田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」

2022-11-09 19:53:03 | 雄二旅日記

 鶴岡八幡宮の境内にある「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」で開催中の「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」を見に行った。

 館内は、各キャストのコメントと演じた人物の紹介パネル、セットを再現したジオラマ、実際に使われた衣装や小道具、撮影や制作の裏側を紹介するオリジナル映像などのコーナーがあり、思ったよりも盛りだくさんで、見るのに結構時間が掛かった。

 改めて、三谷幸喜は、登場人物の一人一人が印象に残るような脚本を書いていると思った。

https://taiga-kamakura.jp/

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「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」“特選名画2本立て”の響きも懐かしい ジローが教えてくれた映画館2

2022-11-09 18:40:20 | 違いのわかる映画館

 武蔵野推理劇場の「リクエスト番組」という上映予定を記した小さなタイムテーブルが幾つか手元に残っている。76年版を見ると、「特選名画2本立400円(学生350円)毎週土曜オールナイト」とあり、2本のくくりタイトルも記されている。

 例えば、『シェーン』(53)『駅馬車』(39)は“遥かなる西部のバラード”。
 『爆走トラック’76』(75)『ベルモンドの怪盗二十面相』(75)は“BROKEN・ACTION”。
 『狼たちの午後』(75)『チャイナタウン』(74)は“限りなく狂気に近い白昼夢”。

 『アイガー・サンクション』(75)『華麗なるヒコーキ野郎』(75)は“スカイ・ハイ・アドベンチャー”。
 『さすらいの二人』(75)『太陽がいっぱい』(60)は“熱砂の果てのエゴイズム”。
 『リップスティック』(76)『午後の曳航』(76)は“衝撃の告白”。

 『レット・イット・ビー』(70)『抱きしめたい』(78)は“ビートルズ結成20周年記念”。

 『博士の異常な愛情…』(64)『未知への飛行』(64)は“原爆 MY LOVE”とある。

 中には意味不明のものもあるが、今見ても、何かそそられるものがあると思う。

 他にここで見たのは、ヒッチコックの『海外特派員』(40)と社会派映画の『サンチャゴに雨が降る』(75)

 エロ目当ての『シビルの部屋』(76)『スキャンダル』(76)にドキドキし、ベルイマンの『沈黙』(63)とブレッソンの『白夜』(71)でちょっと芸術のお勉強を。

 『ナイル殺人事件』(78)『サイレント・ムービー』(77・再)の組み合わせは意味不明。

 たまにはかわいく『リトル・ロマンス』(79)『アイス・キャッスル』(78)

 『アンディ・ウォーホルのBAD』(77)とキューブリックの『時計じかけのオレンジ』(71)というシュールな2本。

 ちょいエロの『プリティ・ベビー』(78)『サロン・キティ』(76)ときて、スティーブン・キング原作の『クジョー』(83)が、武蔵野推理劇場における、わがラストショーとなった。

 武蔵野推理劇場は84年に一時閉鎖され、86年に「自由が丘武蔵野館」として生まれ変わり、04年まで営業を続けた。たが、俺にとっての武蔵野推理劇場はジローやNとの思い出とともに84年で終わっている。

 実は、原田眞人監督の『さらば映画の友よ インディアンサマー』(79)と、佐々木昭一郎演出のNHKドラマ「四季ユートピアノ」(80)の中に武蔵野推理劇場が映っている。今度、DVDでも見ながら、懐かしい記憶の糸をたどってみようか。

https://www.youtube.com/watch?v=D0060JwldoA

 

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「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」“特選名画2本立て”の響きも懐かしい ジローが教えてくれた映画館1

2022-11-09 08:47:06 | 違いのわかる映画館

 東急東横線と大井町線が乗り入れる自由が丘駅の西口を降り、ひかり街デパートを通り過ぎると、熊野神社の森の横に小型の体育館のような建物が見えてくる。武蔵野興行系の名画座「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」(1951~84年。86年に改装後04年まで継続)である。

 ここは基本的には洋画の2本立てだったが、時々邦画も上映していた。その不思議な館名は、社長がミステリー好きだったからとか、当初はミステリー映画の上映が多かったからなど、諸説あるようだが定かではない。まあ、それでもいいじゃないか、その謎もまた“推理劇場”たる由縁ということで。

 1976年、俺は港区にある私立の男子高校に入り、都内のみならず東京近郊からやって来たたくさんの友と出会った。彼らはさまざまなカルチャーショックを与えてくれたが、中でも、T(同じ名字のやつがもう一人いたので、俺たちは彼を、名前の“ジロー”の方で呼んだ)のことは忘れられない。

 なぜなら、ジローこそが、自由ヶ丘武蔵野推理劇場を教えてくれた張本人だったからである。彼の家は大岡山にあり、武蔵野推理劇場には歩いて行けた。つまり俺にとっての荏原オデヲン座がジローにとっては武蔵野推理劇場だったのだ。

 ジローとは初顔合わせの自己紹介で、互いに映画好きだということを知って意気投合し、Nを加えた3人で映画同好会に入った。一つ年上の兄がいたこともあり、ジローの映画の好みはどこか大人びていた。

 新宿アートビレッジにオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(41)を一緒に見に行き、「恋愛映画でも、いい映画なら、男同士で見ても恥ずかしくないぞ」と力説され、テアトル銀座で『ある愛の詩』(70)を一緒に見たりもした。何だか急に大人になったような気分にさせてくれたのだった。

 話を武蔵野推理劇場に戻そう。76年4月26日、初めてジローと訪れた武蔵野推理劇場のプログラムは、『明日に向って撃て!』(69・再)『オリエント急行殺人事件』(74)という組み合わせだった。

 『オリエント急行~』とは、さすが“推理劇場”だと思ったが、次にここで見たのは、チャップリンの『キッド』(22)とミュージカル大作『サウンド・オブ・ミュージック』(64)。うーん館名との関連性が分からないと不思議に思った記憶がある。

 ところで、むき出しのコンクリートの床は底冷えがし、尻型にへこんだいすは座ると痛い上にキコキコと音が鳴る。外部の音(学校のチャイムなど)もよく聞こえ、トイレは狭くて臭い、という劣悪な環境にもかかわらず、なぜか俺は武蔵野推理劇場が気に入った。

 映画館を選ぶ際の基準としては、そこに行き着くまでの距離、交通の便、設備、広さ、建物の新古、客層…などさまざまな条件が挙げられるが、例え、どんなにいい映画を上映する映画館であっても、自分とは相性が悪い、肌に合わないという所がある。要は、その映画館が好きか、自分に合うか、という好みの問題で、これは理屈では説明できないものがある。

 もちろん、高校への電車通学の途中に自由が丘があったこと、また、ここのプログラムの良さや、3本見るのはきついが2本ならちょうどいいという時間的な利点もあったが、70~80年代初頭の自由が丘は、現在のような“おしゃれでハイソ”なイメージからはほど遠く、場末の商店街のような雰囲気がまだ残っており、男子高校生にとっても過ごしやすい街だったのだ。

 ところで、俺を武蔵野推理劇場に誘ったジローは、高一の夏休みを境に登校拒否に陥り、学校に来なくなってしまった。それ以後、武蔵野推理劇場には、Nと一緒に、あるいは自分一人でぴあを片手に訪れることになる。(つづく)

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