田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「ギンレイホール」閉館2 『津軽百年食堂』『まほろ駅前多田便利軒』

2022-11-03 23:27:01 | 違いのわかる映画館

『津軽百年食堂』『まほろ駅前多田便利軒』(2011.8.13.)
(旧ブログ「お気楽映画談議」から)

夫:先週『津軽百年食堂』(大森一樹監督作)と『まほろ駅前多田便利軒』(大森立嗣監督作)の二本立てをギンレイホールで見たね。

妻:『こち亀』に続き、”ご当地映画”続きだったわね。

夫:『津軽~』に出てくる食堂の名前も“大森食堂”だったから、さしずめ“大森祭り”か?! 偶然ながら、どちらも若者の再出発やふるさと愛を描いていた。もちろん映画の内容は異なるけど、こうして2本並べて見ると、プロとアマの違いというか、ベテラン監督と新人監督の差をまざまざと見せ付けられた思いがするなあ。

妻:というと?

夫:片や、『津軽百年食堂』は、明治と現代という二つの時代背景と雑多な登場人物をテンポ良く描いている。簡単に言えば青森のPR映画なんだけど、たとえ、どんな条件で“ご当地映画”を撮ったとしても、映画のプロならそれなりに楽しいものに仕上げてしまうんだな。大森一樹は、伊達にアイドルやゴジラの映画を撮ってきたわけじゃないんだと思ったよ。本人にしてみれば、先に公開された『世界のどこにでもある、場所』のようなシュールな映画が撮りたいのかもしれないけど、映画監督ならばどんなテーマでも撮り続けるということが大切なのではないかな。その意味では立派だと思うよ。

 一方、まほろ(町田)を舞台にした『まほろ駅前多田便利軒』は、独り善がりで感情過多のカメラの長回しに違和感があったし、全体のテンポも悪かったな。あまり観客のことを考えて作っていないという感じがしたよ。

妻:確かに見ていてちょっと疲れたわ。でも、松田龍平って、たたずまいが松田優作にそっくり!で、それを見られただけでもよかったかな。

夫:瑛太が「なんじゃいこりゃー」と優作のパロディーをやったら、横にいた龍平が「誰それ。全然似てない」と言う場面もあったね。大森立嗣監督にしてみれば、瑛太と松田龍平を使って、昔の『傷だらけの天使』『探偵物語』のようなものが撮りたかったのだろうけど、残念ながら雰囲気だけの突っ張り映画に終わっていたな。もう少し観客の気持ちを考えて整理すれば締まったとも思うけど、これが彼のテンポなのかな。ちょっと惜しい気がするけどね。

妻:まあまあ、今後に期待、ということで。

夫:大森一樹監督とは和歌山県の田辺市で毎年行われている「田辺・弁慶映画祭」でご一緒する機会があったけど、素顔は、スティーブ・マックィーンやB級アクションが大好きな、愛すべき映画好きのおっちゃんだったよ。

妻:難しいことは分かりませんけど、会ったことのある大森一樹監督には情が移っちゃって若干ポイント高し?


完成披露試写会を取材した(2011.3.4.ニッショーホール)


『英国王のスピーチ』(2011.8.29.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7c16409bd92214c43089ff9b78cf62c5

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「ギンレイホール」閉館1 『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』

2022-11-03 22:04:55 | 違いのわかる映画館

 飯田橋の「ギンレイホール」が11月27日をもって閉館とのこと。立退き移転らしいから、またどこか別の場所で再開するようだが…。原田マハの『キネマの神様』に出てくる、市ヶ谷の架空の名画座「テアトル銀幕」のモデルは多分ここだと思う。

 2011年に名物支配人にインタビュー取材をした。まだ健在でいらっしゃるだろうか。
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0d710cff78c79ef0fc15d08952cf7869

それが縁となって何度か顔を出した。


『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(2011.7.27.併映『トゥルー・グリット』)

 ユダヤ人の強制収容所にいた過去を持ちながら、人生を謳歌する80歳の老女モード(チャーミングなルース・ゴードン)と、良家のお坊ちゃまだが、自殺願望を持つ19歳の孤独な若者ハロルド(童顔のバッド・コート)の恋を描いたファンタジー。

 というよりも、生と死について語ったブラックコメディーと言ったほうがしっくりくるかな。聖書からの引用も多い。

 高校時代にテレビの深夜放送で見て以来、実に久し振りの再見となったが、その間、この映画はカルト的な人気を獲得した。確かに時代的にはちょっと早過ぎた映画という気もするが、今回見直してみても、傑作と駄作の間を行きつ戻りつするハル・アシュビーらしい映画という印象は変わらなかった。

 ただ、アシュビーはもちろん、脚本のコリン・ヒギンズ(後に傑作『ファール・プレイ』(78)をものにするが、エイズで早世した)、撮影のジョン・A・アロンゾ(『バニシング・ポイント』(71)『チャイナタウン』(74)…)、音楽のキャット・スティーブンス、片腕将軍役の名脇役チャールズ・タイナー、白バイ警官のトム・スケリットらが、70年代初頭のニューシネマのにおいをぷんぷんさせており、久し振りに名画座でそうした雰囲気に触れることができて懐かしいやら、うれしいやら。

 ゴードンは、舞台の名女優として活躍するかたわら、夫のガーソン・ケニンと共に脚本家としても活動した才女なのだ。


『トゥルー・グリット』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/864fdbda012ea5a413db81c77ca0538a

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『生きる』

2022-11-03 08:41:51 | 映画いろいろ

『生きる』(1980.11.21.並木座.併映『酔いどれ天使』)

 とにかく素晴らしい。この映画には主張がある。哲学がある。そして「生きるとは?」という永遠の疑問に対する黒澤明の答えとも取れる。

 ただ実直に役所勤めをしてきた定年間際の市民課の課長・渡辺勘治(志村喬)。彼は、自分ががんで余命いくばくもないことを知り、自分の歩んできた道が、いかに空虚なものであったかに気付く。そして、そんな彼にとっては、息子(金子信雄)もその嫁も、職場の同僚たちも、もはや遠い存在となっていた。

 ヤケになった勘治は、知り合った小説家(伊藤雄之助)に誘われるままに、飲めない酒を飲み、パチンコをし、ダンスをし、新しい帽子を買い、ストリップに興奮し、ピアノの伴奏に合わせて涙ながらに「ゴンドラの唄」を歌い…と、これまで全くしたことがないことをしてみたが、そこには一時の楽しさはあっても、後には空しさが残るだけだった。

 そして、偶然出会った、元部下の小田切とよ(小田切みき)に、自分にはない華やかさ、楽しさ、若さ、健康を見付けて、彼女を追いかけ回す。

 だが、そんなことをしてみても、残りのわずかな人生をどう生きていったらいいのか皆目分からない。いら立ち焦る勘治が、その思いをとよにぶつけると、彼女は自分が作っているうさぎのおもちゃを見せながら、「課長さんも何か作ってみたら」という。

 その時、勘治の頭に一つの考えが浮かんだ。それは、自分も含めて役所の誰もが全く相手にしなかった、暗渠での公園建設の計画だった。 

 そして、勘治が人生の再スタートを切ったところから、いきなり彼の遺影が映る。

 一転、勘治の通夜の場面になる。そこには、同僚たちのそれぞれの意見、家族の憶測、助役のずるさなどが入り混じり、人間の醜さ、ずるさ、汚さなどが、笑いを伴いながら、あからさまに映し出される。

 そんな彼らの回想が挿入され、ミイラだ、生きた化石だと言われた勘治が、公園建設にまい進する姿が対照的に映る。

 やがて、勘治がわずかな余命を知っていたのではないかということが推測されてくる。そして、公園完成の雪の夜、幸せそうな笑顔を浮かべ、一人ブランコに揺られながら、「命、短し、恋せよ乙女~」と「ゴンドラの唄」を歌う勘治が映る。

 同僚たちは酔いに任せて、「渡辺さんに続け」「私は生まれ変わったつもりでやりますよ」などと口々に叫ぶ。

 ところが、酔いが覚め、職場に戻れば、またいつものたらい回しが行われている。ただ一人憤然とした木村(日守新ー)を除いては、みんなそれが当然といった顔をしている。

 そして、映画は、勘治の造った公園で遊ぶ子どもたちの姿を、木村が陸橋の上から見つめるシーンで終わるのだ。

 何はともあれ、志村喬がすごい。もちろんほかの映画でも素晴らしいが、これこそ一世一代の名演といっても過言ではないだろう。心の底から湧き出るような「ゴンドラの唄」、苦悩の表情、動作、時折見せる笑顔…。すごい!

 そして、黒澤映画の全てにいえることだが、脇役たちがこれまた素晴らしい。一人として無駄な演技をしている人がいない。怪しい小説家の伊藤雄之助、同僚の藤原釜足、左卜全、山田巳之助、田中春男、千秋実、そして日守新一。助役の中村伸郎、若い職工の小田切みき、やくざの加東大介、宮口精二…。

 特にみんなが集まった通夜の場面は、それぞれが個性を発揮し、驚くばかりのアンサンブルを奏でる。

 もはやこの映画は、ただの娯楽としての映画を超えている。そこには、人間の尊さ、醜さ、ずるさなど、あらゆる面が描き込まれ、そこから、「生きるとは?」という疑問に対する一つの答えを出しながら、逆に我々見る側にも「生きるとは?」という問いを改めて発してくるのだ。

 名セリフ「私は人を憎んでなんていられない。私にはそんな暇はない」心にグサッとくる一言だった。

【今の一言】ただ、粗筋を追っているだけの拙い文章だが、40数年前はこんなに細かく粗筋が追えたのだと思うと、今との記憶力の差にがく然とする。


名画投球術No.2「ダメな人間ばかり出てくる映画を観て安心したい」黒澤明
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5b428edd45778476ab0530bc08c0ef67


『生きる』の「ゴンドラの唄」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/40189563ee0d3f6f439ee429953ba184

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