田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

大森一樹の映画『世界のどこにでもある、場所』『津軽百年食堂』

2022-11-15 18:21:34 | 映画いろいろ

『世界のどこにでもある、場所』(10)(2011.2.3.シネマート六本木試写室)

大森一樹監督が本当に撮りたい映画を撮った?

 去年の田辺映画祭で親しく話をさせてもらった大森一樹監督の最新作。面と向って話をしてしまうと、ご本人はもとより、作った映画にも情が湧いてしまうのが自分の悪い癖。故市川準監督しかり、小林政広監督しかり。

 この映画の基になったと思われるフィリップ・ド・ブロカの『まぼろしの市街戦』(67)(原題は「ハートのキング」)は、第一次大戦中に、英国人兵士(アラン・ベイツ)が迷い込んだフランスの村は、実は精神病院から抜け出した患者たちに占領されていた…というもので、コメディータッチの中で、果たして、誰(何)が正常で誰(何)が異常なのかを考えさせる、“楽しみながら哲学する映画”になっていた。

 この大森版は、遊園地と動物園が一緒になった不思議な場所で、精神病患者たちがデイケアをしているという設定。そこに警察に追われる若い男が迷い込む。それぞれの患者が抱える心の問題を描きながら、現代社会の闇部を浮き彫りにしていく。一つの場所に集ったさまざまな人々の群像劇という点では、ロバート・アルトマンの『ナッシュビル』(75)を思い出した。

 そして、この映画の場合、SET(スーパーエキセントリックシアター)の、あまり顔の知られていない役者たちの起用が効果的だった。

 彼ら一人一人には意外性があり、個性的でもあるが、同じ劇団に所属しているから統一されたカラーのようなものも持っている。だから映画全体としてはまとまりを感じさせるのだ。

 一つの劇団を丸抱えして映画を撮るという手法は、古くは、『河内山宗俊』(36)や『人情紙風船』(37)の山中貞雄と前進座の関係にも見られる。

 また、東宝特撮映画を支えた佐原健二と水野久美の出演、『第三の男』(49)『シンシナティ・キッド』(65)『道』(54)など、過去の映画からの引用が端々に見られる。映画は映画から生まれるという大森一樹が、久しぶりに自分が撮りたい映画を撮ったのではないかという感じがした。


『世界のどこにでもある、場所』のトークショーを取材(2011.2.17.シネマート新宿)

大森一樹監督に舞台上から目で合図された。


『津軽百年食堂』(11)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b832c2c17c6b1693c947b6157cc349ea


 

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大森一樹の映画『ゴジラvsビオランテ』『ゴジラvsキングギドラ』『ドリーム・スタジアム』『走れ!イチロー』

2022-11-15 17:39:10 | 映画いろいろ

『ゴジラvsビオランテ』(89)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/cb3f27db50a70d209ce435301625c541


『ゴジラvsキングギドラ』(91)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6d40701648afc05f4ffa0a42d3adf2d9


『ゴジラVSモスラ』(92) 脚本
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/20303ad17dde5de9b7437ca4cd88b759

『ゴジラVSデストロイア』(95)脚本
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5219610d17999b3ad21d576ba3b51a48


『ドリーム・スタジアム』(97)(1998.2.)

 『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ナチュラル』(84)『天国から来たチャンピオン』(78)からアイデアを頂いて、和風の味付けをしてみた珍品とでもいうべき代物。

 いやはや何とも不器用な映画で、アメリカ(ベースボール)と日本(野球)に対する愛の違いを、改めて見せつけられたような気がする。王さんはじめ、名球会の人たちよ、頼むからこういう映画には出ないでくださいよ。

 若くして亡くなった趙方豪が出ていた。これが遺作になったのか。


『走れ!イチロー』(01)(2014.5.29.)

 村上龍の『走れ!タカハシ』の広島カープの高橋慶彦を、大森一樹監督が、オリックスのイチローに置き換えて映画化。震災後の神戸を舞台に、大リーグでプレーする夢を実現させたイチローに声援を送りながら、自らの夢に向かって走り出そうとする人々の姿を描いた群像劇として仕上げた。

 ご都合主義的な展開も多いが、この後メジャーリーグで活躍し、今選手としての黄昏を迎えたイチローの姿、そして東日本大震災のことを思うと、映画の出来とは別の意味で、2001年の日本を記録したものとして感慨深く映る。

 中村雅俊は、こうした、悩んでいるようで、お気楽に見える役がよく似合う。元広島、巨人の川口和久がソフトボール部の監督役で出演していた。

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大森一樹の映画『オレンジロード急行』『風の歌を聴け』『トットチャンネル』

2022-11-15 17:14:00 | 映画いろいろ

 30年間、映画を撮っていない映画監督を主人公にした『愚か者のブルース』を見た後で、その訃報に接したので、たとえ、意に沿わない企画であったとしても、映画を撮り続けた大森一樹監督に、改めて敬意を表したいと思った。とはいえ、自分は監督の映画の熱心なファンというわけではなかったので、残っている鑑賞メモでは生意気にも、結構辛辣なことを書いている。

 和歌山県の田辺・弁慶映画祭に審査員として参加した際に、審査後の飲み会で、審査員長を務めた大森監督と、「今、地球上でこんな映画の話をしているのはここだけ」と笑いながら、スティーブ・マックィーンやアラン・ドロン、今は幻の女優たち、60年代から70年代のB級アクション映画の話題で盛り上がったことを懐かしく思い出す。

2010「第4回田辺・弁慶映画祭」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f65fde8b607b8a85229362cc977171fd


『オレンジロード急行』(78)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8f1e4ff621ece5348742a9048a6296db


『風の歌を聴け』(81)(1981.12.18.有楽シネマ)

 十年前の夏休み。生まれ故郷の海辺の街に帰省した主人公の大学生(小林薫)と旧友との再会や、女性(真行寺君枝)との出会いを描く。村上春樹の同名小説を映画化。

 大森一樹監督の映画は初見である、と書くのは正直ではないか。以前、テレビでデビュー作の『オレンジロード急行』(78)を見た際に、途中でチャンネルを変えたことがあったからだ。だから、評判がよかった『ヒポクラテスたち』(80)も、何となく足が遠のいてしまって見ないでいた。

 今回は先輩のOさんの誘いもあって、注目の新進監督のお手並み拝見となったのだが、最後まで一本芯が通ったものが感じられず、つかみどころのないまま見終わったというのが、正直な気持ちだ。

 一言で言えば、不思議な魅力を持ちながらも、それを生かし切れていないという感じなのである。明らかにゴダールの『勝手にしやがれ』(60)を意識したと思われる男女の会話や、声だけが聴こえるシドニー・ポラックの『ひとりぼっちの青春』(69)など、大森監督が影響を受けたであろう、過去の映画を取り入れながら、夢とも現実ともつかないドラマが展開していく。

 時折、青春という不確かなものに対する答えともとれるセリフが発せられたり、大学紛争などの世相が登場したりするので、見ているこちらの頭は少々こんがらがってくる。

 例えば、『勝手にしやがれ』やウディ・アレンの『アニー・ホール』(77)を見た時と同じように、いい場面は多々あるのだが、全体から見ると、もう一つピンとこなかった印象に似ている。

 それ故、こちらにも分かるところは十分に伝わってくるのだが、いったん分からなくなると迷路に陥る。よく言えばあまり作為的な映画ではないが、 悪く言えば、自分勝手な映画だともいえる。

 青春時代は、誰もが通過する時期の一つ。従って、共通の夢や心の痛みなどは存在し得る。だから、大森監督や原作の村上春樹のような青春を過ごした人にとっては、この映画は身近なものとして受け入れられるだろう。

 悲しいかな自分には、彼らのような青春はないので、どこか別世界の出来事のように映ってしまうところがある。大森監督には、どこかおぼっちゃま的なものを感じてしまうのだ。


『トットチャンネル』(87)(1989.1.12.)

 黒柳徹子の自伝エッセーを映画化。黒柳が、NHKの放送劇団に入団して以降、テレビ草創期の現場でのドタバタに巻き込まれつつ、失敗を乗りこえながら個性派女優へと成長していく様子を描いた青春記。

 天皇崩御のおかげで放映されたこの映画を、テレビと映画との関係という点から興味深く見た。そして、デビュー当時は、自主映画やインテリのにおいを強く感じさせた大森一樹が、斉藤由貴を使って手堅く娯楽作を撮っていることに驚いた。

 ここでは、テレビ創世記の楽屋落ちの数々が面白く描かれ、後に映画から娯楽の王様の座を奪ったテレビの存在の変化を考えると、時代の流れの早さを感じずにはいられない。当時はそんな未来は予想もつかなかったのではないか。

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『愚か者のブルース』

2022-11-15 12:43:36 | 新作映画を見てみた

『愚か者のブルース』(2022.11.15.オンライン試写)

 30年前、伝説の映画を監督したが、その後映画を撮らず、今や過去の人となっている大根(加藤雅也)は、ピンサロ嬢として働くタマコ(熊切あさ美)のヒモとなり、空虚な生活を送っていた。

 そんなある日、タマコの昔の男(仁科貴)が現れ、大根とタマコは、大根の大学時代の後輩の那須(横山雄二)が館長を務める広島のストリップ劇場に逃げ込む。

 同じ場所を舞台にした、加藤主演、横山企画プロデュースの『彼女は夢で踊る』(19)の“姉妹作”とも呼ぶべき一作で、監督・脚本は横山。コロナの影響で公開が遅れたのだという。

 一言で言えば、次回作を作る勇気がないヒモ状態の映画監督と、その後輩でストリップ嬢に惚れている劇場の館長が繰り広げるダメ男の物語。『彼女は夢で踊る』では、館長役が加藤でヒモ役は横山だったが、今回は立場を逆転させて演じている。加藤は妙演を見せるが、熊切と横山の演技力不足が目立ち、バランスの悪さをを感じさせるのが惜しい。

 その他、『仁義なき戦い』に憧れているおかしなやつ(松田優作の「探偵物語」のイレズミ者的な役)を演じたノッチが意外に面白かった。仁科はますます親父(川谷拓三)に似てきた。

 『彼女は夢で踊る』で加藤にインタビューした際、「こういう役は、東京のメジャーの作品では僕にオファーは来ません。なので、こういう地方発信の映画でお話を頂いたときは、普段とは違うキャラクターが演じられることに意義があるわけです。「こんな役もやれる」というプレゼンテーションの意味もあります。だから、いつもと変わらない風貌で、同じようなことをやったのでは面白くないし、役者としていろいろな形を表現する、という意味ではプラスになると思います」と語っていた。この映画も、その延長線上にあるのだろう。

 いかがわしさの中に漂う哀感や場末感が、70年代末から80年代初頭の東映セントラルフィルムの諸作をほうふつとさせるように、明らかに昭和のテイストを狙って撮られている。加藤はセリフ回しなどで、ちょっと松田優作を意識しているようにも見えるし、大根のモデルは、広島出身で『青春の殺人者」(76)『太陽を盗んだ男」(79)以来、映画を撮っていない長谷川和彦ではないかと思われる。

 「元プロ野球選手はいても元映画監督はいない」と嘆く大根のセリフが印象に残った。


【インタビュー】『彼女は夢で踊る』加藤雅也
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7ad08433cb6654e0d56745e39d3b2e64

 

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「BSシネマ」『ミザリー』

2022-11-15 06:30:36 | ブラウン管の映画館

『ミザリー』(90)

作り手と受け手との厄介な関係
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/aed8dd6eef7b6c798c0166e46c509fab

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