『世界のどこにでもある、場所』(10)(2011.2.3.シネマート六本木試写室)
大森一樹監督が本当に撮りたい映画を撮った?
去年の田辺映画祭で親しく話をさせてもらった大森一樹監督の最新作。面と向って話をしてしまうと、ご本人はもとより、作った映画にも情が湧いてしまうのが自分の悪い癖。故市川準監督しかり、小林政広監督しかり。
この映画の基になったと思われるフィリップ・ド・ブロカの『まぼろしの市街戦』(67)(原題は「ハートのキング」)は、第一次大戦中に、英国人兵士(アラン・ベイツ)が迷い込んだフランスの村は、実は精神病院から抜け出した患者たちに占領されていた…というもので、コメディータッチの中で、果たして、誰(何)が正常で誰(何)が異常なのかを考えさせる、“楽しみながら哲学する映画”になっていた。
この大森版は、遊園地と動物園が一緒になった不思議な場所で、精神病患者たちがデイケアをしているという設定。そこに警察に追われる若い男が迷い込む。それぞれの患者が抱える心の問題を描きながら、現代社会の闇部を浮き彫りにしていく。一つの場所に集ったさまざまな人々の群像劇という点では、ロバート・アルトマンの『ナッシュビル』(75)を思い出した。
そして、この映画の場合、SET(スーパーエキセントリックシアター)の、あまり顔の知られていない役者たちの起用が効果的だった。
彼ら一人一人には意外性があり、個性的でもあるが、同じ劇団に所属しているから統一されたカラーのようなものも持っている。だから映画全体としてはまとまりを感じさせるのだ。
一つの劇団を丸抱えして映画を撮るという手法は、古くは、『河内山宗俊』(36)や『人情紙風船』(37)の山中貞雄と前進座の関係にも見られる。
また、東宝特撮映画を支えた佐原健二と水野久美の出演、『第三の男』(49)『シンシナティ・キッド』(65)『道』(54)など、過去の映画からの引用が端々に見られる。映画は映画から生まれるという大森一樹が、久しぶりに自分が撮りたい映画を撮ったのではないかという感じがした。
『世界のどこにでもある、場所』のトークショーを取材(2011.2.17.シネマート新宿)
大森一樹監督に舞台上から目で合図された。
『津軽百年食堂』(11)
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