とても寂しい、かつての大エースの死。それにしても、晩節の過ごし方は難しい。
当時のメモから。
ロッテ・オリオンズ(6)対近鉄バファローズ(7)(1989.4.16.川崎球場.生観戦)
今日は、村田兆治200勝達成という“特別な日”になるはずだった。何と日頃は閑古鳥が鳴く川崎球場を彼一人の存在で超満員にしてしまったのだ。
ところが、野球の神様は時に残酷な仕打ちをする。結果、村田の延長11回、180球を超える熱投が報われることはなかった。思えば、対戦相手のバファローズは、去年の10月19日に、同じ川崎球場で、これ以上の仕打ちを受けている。
それにしても、今日の村田の投球内容は、まるで彼の一本気で不器用な野球人生を象徴するかのようで、何だか胸が詰まる思いがした。
どうして、大事な場面でライオンズの東尾のように、かわすピッチングが出来ないのだろうか、などと歯がゆく思うのだが、それがまた、あえて逃げることをしない、いや出来ない村田という男の生きざまとして、跳ね返ってくるところがあり、敗れたとはいえ、いいものを見せてもらったという思いがした。
これにめげず、次回の登板での大願成就を願わずにはいられない。
ロッテ・オリオンズ(7)対日本ハム・ファイターズ(5)(1989.5.13.山形県野球場)
まるで、彼の山あり谷ありの野球人生を象徴するかのような、ドラマチックな試合展開の結果、ついに村田兆治が200勝を達成した。
22年間の通算成績が、彼のいかにも不器用で頑固な生きざまを浮かび上がらせる。若き日、球は早いがコントロールが悪いという模索の日々、伝家の宝刀フォークボールをマスターした後の全盛期、肘を痛めた苦闘の日々、手術後の奇跡のカムバック、そして現在…。
もはや、自分が子どもの頃に仰ぎ見た現役選手は、村田を含めて数えるほどしか残っていない。そんな中で、いまだに輝き続ける彼の姿は、その奇跡のカムバックとも相まって、大げさに言えば、生きる勇気のようなものを与えてくれる。そして、サムライの残り香を感じさせる“最後の男”という感じもする。
200勝は通過点と語る彼の姿が、うれしくもあり、頼もしくもある。今後のますますの活躍を期待したい。
村田役に名高達郎、妻の淑子役に星野知子という配役の「サンデー兆治の妻」(86)というドラマがあったし、河島英五が村田の姿に影響を受けて作った「地団駄」という歌もあった。