広告だからかもしれないが、日本郵船の年賀はがき広告、ちょっと変だと思いませんか?
「出したい枚数が、ぼくを助けてくれる人の数だから」ちょっとうろ覚え、でも大体がこんな感じで。これは、代理店やなんかが、左手で書いたカンプにめくら判をおして通したやり手の部長さんの決断って予想だな。年賀って、そんなに打算で割り切れるものじゃないでしょう。助けてくれない人にも出すし、年賀なんか出さない人でも助けてくれるよ。どちらかというと出さない人のほうが親しいわけで、遠方の人には親しい人にも出すけど。後は、来るから出すという惰性の習慣と儀礼。それでも、打算はないよね。打算で使う人もいるだろうけど、販売元がそれを言っちゃァ、おしまいさ。と、一瞬のうちにこの広告にネガティブな反応をしてしまいました。それにしても、あっというまに11月も半ばですか紅葉も散り、そろそろ年賀状を書かなくっちゃって時季になるのですね、振り返ると、今年の目標が、達成されないまま残骸となって荒野を形成している。その荒野へ今から漂白の旅へと出たくなる。放哉のように「入れ物がない 両手で受ける」何て言いながら。
「出したい枚数が、ぼくを助けてくれる人の数だから」ちょっとうろ覚え、でも大体がこんな感じで。これは、代理店やなんかが、左手で書いたカンプにめくら判をおして通したやり手の部長さんの決断って予想だな。年賀って、そんなに打算で割り切れるものじゃないでしょう。助けてくれない人にも出すし、年賀なんか出さない人でも助けてくれるよ。どちらかというと出さない人のほうが親しいわけで、遠方の人には親しい人にも出すけど。後は、来るから出すという惰性の習慣と儀礼。それでも、打算はないよね。打算で使う人もいるだろうけど、販売元がそれを言っちゃァ、おしまいさ。と、一瞬のうちにこの広告にネガティブな反応をしてしまいました。それにしても、あっというまに11月も半ばですか紅葉も散り、そろそろ年賀状を書かなくっちゃって時季になるのですね、振り返ると、今年の目標が、達成されないまま残骸となって荒野を形成している。その荒野へ今から漂白の旅へと出たくなる。放哉のように「入れ物がない 両手で受ける」何て言いながら。