フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

戻って来たぞ

2014-07-16 07:36:07 | Weblog
峻険な嶺、雄大な裾野、四国では味わえない雪景色、北アルプスの立山連峰から戻って参りました。「春も夏も背負って」の意気込みで13日の朝5時半に高知を車で出発したのですがあいにくの雨で立山駅についたのが3時前だったのかな。ここで飛行機とJRと富山電鉄を乗り継いで来る「あと1年」と合流。彼女はイガンで胃を全摘出したので自分で「あと1年」と言うのが口癖だからそういう名前を献上した。しかし4時に美女平までのケーブルカーが出るというのに3時50分になってもまだ来ない。あせっていたら55分にやっと着いた。あわてて乗り込むアンティーク、シェルパ君、ガムシャラ君、イガン君総勢6名の土佐老人登山部「怪炎隊」「なんとかなるぜよ」と足は動かんけんど口はよう動く。ケーブル下りてバスで室堂まで50分。ここから歩いて10分でお宿の「みくりが池温泉」に到着予定だった。が、室堂は台風並みの大荒れの天気で雨風が強く一寸先が見えない。そんな中飛び出したイガン君と「あと1年」シェルパ君が道を教えて先にお宿に行くように指示したはずなんだけど俺達がお宿に着いたら「まだお見えになってません」とのこと事情を話したら宿の人がぱっと外に何人か散った。俺たちもシェルパ君とガムシャラ君に嵐の中を突っ走らせた。待つこと20分位かな道に迷った二人を保護。やれやれの一日でした。次の日も立山で3本の指にはいる強風と宿の人が言った雨風の強い状態で他の客は登山はあきらめようと言ってたが「怪炎隊」はそんなもん恐れはしないと「あと1年」に見送られて立山連峰の主峰雄山に向けて出発。途中はじめてみる雪渓に感激。歩いてみると滑って歩きにくい。全員がこの日のために買ったばかりの「アイゼン」をつけて気炎を上げる。

しかし、まわりは雪ではないけれど雨と風とガスとで「ホワイトアウト」状態。2700mの一の越しの山小屋まできてここにみんなを残しこの先を急峻を上ってみたがここから風がとても強くて普通に歩いても体がずれるような感じでとても登頂はムリと判断。山小屋まで下りていって「中止」を宣言。あと305mくらいなのになと思う気持ちもあったがとてもあの稜線に立つ勇気はなかった。温泉に帰ってみくりが池周遊をすると地獄谷からの毒ガスがこっちの方向に流れてきて目が痛いやら喉がはしかいやら早々に引き上げて温泉に浸かった。夕方から晴れだして次の日、つまり俺達が帰路につく日、ご褒美なのか立山がその雄姿を拝ませてくれた。

みくりが池は凍っていたけど

オレは見なかったけどイガン君が「雷鳥がハイマツの林の中から雛を連れてでてきてたと言った。写真を見せてくれたけどほぼ夏毛になっていた。
この花はナンだ

「白山いちげ」だと教えてくれた。外でウロウロしていると観光客から「地元の人ですか」と言われた。俺が雪国の顔してるかよ。でも地元の人になりすまして「あっちはガスが流れてくるから注意してね」と言ってやった。シェルパ君なんか中国人観光客が温泉の中にタオルつけてるのをみて「タオルつけたらイカン」と土佐弁で注意したとのこと。わかったのかな。温泉宿の辺りは遊歩道も整備されているので観光客が多いのだ。特に中国人がやかましいから目立つな。そんなこんなで強行軍の立山登山を終え北陸自動車道をガムシャラ君がぶっ飛ばしていると後ろから黒い車がついて来て赤いランプを突然出した。80キロ制限で20キロオーバーだって。こんな落ちまでついて今回の「怪炎隊始末記」は終りです。姪のショータンに立山に登れなかったと話すと「それは、また会いましょうのメッセージだと思うよ」だって。たまにはいいこと言うね。
コメント
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