フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

teyateya

2020-01-19 10:35:09 | Weblog

「てやてやにやったらいかん」と小さい時によう言われたと昨日の絵画教室でオバンが言ってた。「てやてや」ってオレは使ったことも聞いたこともなかった。「長者で言いよったが?」「山田でも言いよったで」「そしたら高知の標準語や」「知らんなぁ」というと「知らんが?」ってバカにされた。年は同じくらい。オレが知らないところでそういう言葉が使われてたのかしかも日常的に。意味は「いいかげん」とか手抜きとか言うのだそうだが土佐弁も100%は知らないんだなと思うと焦る。知ったところでどうということはないんだが年取っただけで何にも知らないって言うのもなぁ。「てやてやに絵を描いたらいかんで」とかウルサイ。こんな言葉も使う人がいなくなれば死語になってしまう。方言のみならず、死語になって辞書の中に埋没してしまった日本語はどれだけあるんだろう。言葉が失われるとき文化が滅ぶとはこのことか。と今では使わなくなった言葉を思い浮かべる。日本語って流行り廃りが結構激しいんだよね。それが日本語の中でのことならまだしも今じゃ、外国語にとってかわられてるから確実に日本語は減ってるんだよね。マスコミがそれを良しとして放送でもカタカナ英語を頻繁に使うからね。フランス語でもドイツ語でもなんでもがカタカナ英語の括りだけど。昔はそれを日本語が呑み込んでいたけど今じゃ日本語が呑み込まれているからちょっと心配。いくら俺が「手や手や」に生きてると言ってもなぁ。周りがもっと「てやてや」だからあせってしまう。「てやてや」ってこういう使い方も出来るのかな。また教室で聞いてみよう。

コメント
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