フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

someday somewhere

2012-07-21 09:18:27 | Weblog
僕らは、someday somewhereで生かされてきた気がするけど今の子にこんな気分あるのかな?虹の彼方のsomewhereやムーンリヴァーのsomeday.虹の尻尾を摑めそうなある種の高揚感。根拠のない自信。それが未来だった。今の子にあるのだろうか?根拠のない自信。somewhere someday そしてsomebodyあの明るい未来。想像しただけでワクワクしてたのに最近今の子も同じように感じているのだろうかと思うと疑問。今日の新聞に載ってたけど同級生をおぼれさせて死にかかりの状態にしてビデオで撮影していた子供たち。彼らの言い分が「度のすぎた遊びだった」だって。これって人を殺しといて「殺すつもりはなかった」とか詐欺しといて「騙すつもりはなかった」とかの自己弁護用語だと思わないかい。度のすぎた遊びを日常的にやられたらやられる方は命がいくつあっても足りないよ。やった方には未来がなく、やられた方に明るい未来があるような社会じゃないとやってられないよ。日本は、3.11以降チェンジして日本人の社会と文化を取り戻したといえるような国づくりを誇らなければならないのに集団でいじめると責任も頭割り分割だなんて誰が決めたんだ。これじゃ集団いじめを助長してるようなもんじゃないか。日本人は卑怯と言うものを嫌うんだ。日本人としての責任を取らさなければならない。西洋の訴訟社会の真似をしても解決できないよ。それでもsomewhere somebody somedayを信じてるよ。
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