フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

A Route 66 town

2024-12-13 08:08:04 | Weblog

小さな町は、ルート66沿いの多くの町と同様に、死んでいるはずだ。近代的な高速道路の台頭と過酷なモハーベ砂漠の環境に運命づけられたアンボイは、放棄された近隣の町のように見えるはずです。しかし、11月の爽やかな日、アンボイは友人や旅行者と、この地域の歴史、それを救った家族、そして彼らをそこに導いた道についての話を交わしました。「これはマザーロードです」とディガー・シンプソン(61歳)は言い、かつてシカゴからカリフォルニア州サンタモニカへの移動の大動脈であった伝説のルート66を指し示しました。「ここはアメリカーナだ。家族経営のレストランやガソリンスタンドだよ」と彼は付け加え、トゥエンティナイン・パームズからアンボイに引き寄せられたノスタルジアを振り返り、町に活気を取り戻したとされるアルバート・オークラを称えた。2005年、南カリフォルニアのチキンレストランチェーン「ファン・ボロ」の創業者であるアルバートは、ロサンゼルスから東に200マイル弱の町アンボイを購入し、何年もかけて建物を丹念に修復しました。アンボイを再び観光地にするという夢を完全に実現する前に、アルバートは2023年に71歳で亡くなりました。現在、アルバートを描いた高さ14フィートのそびえ立つ道路脇の絵画は、アメリカーナの不朽のシンボルであるルート66沿いのアンボイの一部です。式典では、何百人もの家族、友人、旅行者が3枚のパネルアートの前で写真を撮り、アルバートの肖像画で自撮り写真を撮りました。2026 年、ルート 66 は 100 周年を迎えます。・・・・・オークラかい。ウチの裏の家がオークラでアメリカに親戚がいるって言ってたけど関係ないか。まさにアメリカンドリームというかアメリカに夢を与えた男だったね。懐かしいねルート66、テレビで見てたなぁ。

昔のテレビドラマのルート66って

大学を卒業した若者二人が

スポーツカーで

アメリカ横断の旅をする話だったよね

今思えばどうってことのない話だったけど

あの頃のアメリカは

輝いていたよね

そのルート66も高速道路が出来て

1985年頃に廃線だったかな

白頭を掻けば

さらに短しだなぁ

でも国道(ルート)って

甘い響きがあるような気がするね

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Dengue fever  | トップ | Exercising for 30 minutes  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事