Japon depuis Hiroshima et Nagasaki ,75ans d'ambiguïté sur l'arme nucléaire.と今日のフランスの新聞に書かれていた。ヒロシマナガサキ75年たって核兵器に対しての日本の「曖昧さ」って見出しで。セレモニーのためのセレモニーになっていて何らメッセージ性がないのはこのことかと外国に教えられている。一体どうしたいんでしょうね。核廃絶それとも核保有?どのみち戦争で核兵器が使われた最後の国なんだから堂々とこれを最後にしなくてはいけないと態度で示さなくてはならないと思うけど。ヒロシマと長崎では原爆の種類が違っていてヒロシマはウラン型、ナガサキはプルトニウム型。ウランは自然界に少なくプルトニウムは人工に造れて威力も大きいからこれで核兵器が量産できるようになった。ということは戦争に名を借りた生体実験であるから原爆投下は戦争犯罪だよね。罪を憎んで人を憎まずと言うけれど今更アメリカにとは思わないが日本が声を上げることによってのjusticeというものがあるだろう。でも日本人にとっては曖昧さは希望でもあるんだろうからそこらへんでの二者択一の決断は鈍ることもあるだろうなと思ったりもして。フランスの激励もうれしくは思うけど。
何年か前の山の絵
この中の一人は
この世にいない
あのとき あんだけ
はしゃいでいたのに
死ぬのは分かっていた
治らない病気だったからね
だからみんなで山に行ったんだ
バカばっかり言って
気遣うこともなく
笑い転げていた
今ではこの絵の中で
生きている
ただそれだけのこと
何年か前の山の絵
この中の一人は
この世にいない
あのとき あんだけ
はしゃいでいたのに
死ぬのは分かっていた
治らない病気だったからね
だからみんなで山に行ったんだ
バカばっかり言って
気遣うこともなく
笑い転げていた
今ではこの絵の中で
生きている
ただそれだけのこと
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