フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

橋の思い出

2011-05-21 18:28:18 | Weblog
橋には思い出がたくさんある。ミラボー橋もベルシー橋も行ったことないけどちゃんと思い出になっている。雨の橋、雪の橋、風の橋、雨上がりの橋、晴れた橋、それぞれに物語があって詩があってなんとなくイメージがつきやすい。五月晴れのある日、橋のスケッチをしパンプとの思い出を載せた。


描いてるうちにあれやこれや思い出して懐かしくもあり、悲しくもあり、むなしくもあった。あの日、出会った人は、自分を除いて誰一人この世にいないなんて。無常だね。
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ブラッドオレンジジュースとニルギリ

2011-05-20 17:36:53 | Weblog
毎年のことだけどデパートの企画展で


ヨーロッパフェアというのがこの時期にあって必ずイタリアのブラッドオレンジジュースとこの企画の目玉を買うんだけど今年の目玉はイベリコ豚のベジョッタだったかマジョッタだったか忘れたがどんぐりを食った豚のことだ。根が貧乏人だから一番安いコロッケを買ってみたけどコロッケじゃどう違うのかわからなかった。残念。物の本によると最高においしい・・・とことであった。食後に
とりあえずブラッドオレンジを飲み今日の3時のお茶は「ニルギリ」これは癖がなく香り豊かでコクがあるというアフリカのお茶で大好きなんだ。この時季に飲むのが一番美味しいんじゃないかな。残り少ない人生だもの、好きなお茶をいただいて好きな時間を優雅に過ごす。これに勝る至福なし。
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お茶屋で和菓子を買う

2011-05-19 17:45:22 | Weblog
今日は、なんとなく濃いお茶と和菓子のムード。お茶は、上等の土佐茶を持っているので和菓子をお菓子屋さんではなくお茶屋さんに買いに行く。店に近づくとお茶を煎っているのかいい香り。店内に入るともうそれだけでいい気分。豊さってこんなことをいうんじゃないかな。ここだけは、ゆっくりとゆったりと時間が流れている。お茶請けの惜しいお菓子が並んでいるだろうとお店のひとにきくと水曜金曜にお菓子屋さんが来るので今日は、あまり揃っていないとのこと。残念。お目当てのお菓子は買えなかったけど見繕って買った。店を出る時もなんか満足。これは、スーパーや産直の店では味わえない魅力。お茶もお茶屋で買おうと思いながら帰ってきた。お湯を沸かして少し濃い目のお茶を点ててといってもお薄ではないが玉露に近い味わいのものとしか表現できないけど美味しいお茶を淹れてさっきの和菓子をいただく。至福の時。
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もらい物でお昼

2011-05-18 16:41:27 | Weblog
猫のフィガロの左手は骨折ではなかったので原因は分からずじまい。菌がはいったのかもしれないからと注射して薬貰って帰ってきた。今朝見ると腫れがすこしひいたみたい。今日は、パンプの三十五日、閻魔大王が地獄か極楽かへ裁定を下す日だ。そしたら姪のショータンがきびなごをもらったと言って持ってきた。もち米も貰ったので赤飯炊いたとパンプの霊前に供えている。霊前に赤飯かと思ったけどまぁいいか。ナンセ姉のケイコフは、お通夜のお茶請けに「開運小判」という最中と「バウムクーヘン」を買ってきて「これは、全部おめでたいお菓子だよ」というと「食べたかったもん」の一言で片付けられた家だから赤飯もまたしかりか。昼前にハマダのおばちゃんが筍というか破竹を10本くらいくれたのできびなごの天ぷらと筍の煮付け、酢の物と赤飯でお昼をみんなでとった。すべてもらい物。この辺りでは、何やっても食うには困らないななんてこの昭和残響街のありがたさを噛みしめながらここらは時代が変わっても昔のままなんだなと思った。まるで「JIN」みたい。俺は、未来から来ているのだろうかお昼を食べてからスコーンを焼いたので焼きたてのスコーンを浜田のおばちゃんに持っていってあげた。このまえ作ったマンゴージャムを添えて。昭和の風は止まずか。里山に囲まれた小さな町からかな。
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猫の手

2011-05-17 08:27:53 | Weblog
昨日、猫のフィガロが起きてこないから、とりあえず寝かしてた。夜も寝てるからようすをみると弱っているが腹を見せて甘える。なんかよっぽど疲れたのかなと寝かす。オスだからな。いろいろあるよな。なんて、お気軽に。今朝起きて、いつものように手を握ってやるとギャァと言って思い切り噛み付いた。あれ痛いのかと思って両手をみると左手が腫れていた。右手の倍はあった。どうしたんだろう。戸ではさんだのかな。病院へ連れて行かなくっちゃ。折れてなきゃいいけど。これじゃ、猫の手は借りられない。まずは、病院へいってきま~す。
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木の玉

2011-05-16 17:31:48 | Weblog
久しぶりにいいCMを見せてもらった。docomoの「森の木琴」という3分間CMだ。信州かどこかの森で長い長い滑り台のような木琴を作って山肌に沿って並べておいてその上を木の玉が転がっていく。それだけのCMなんだけど工夫がしてあって木の玉が転がると音がでるその音が「バッハのカンタータ第147番」になっているんだ。泣かせるぜ。なんといっても豊かな森がいい。ヘンに外国で撮影されてなくて純粋日本のロケーションだったからさらに感動した。その木の玉を文房具店で見つけて買ってきた。


1個200円。何するものか知らないけど「あっあの木の玉だ」と衝動買い。というのかな。持ってみるといい手触り、この感触だよな、僕らが昔から記憶しているぬくもりというのは。
原発に見られるように、より強く、より早く、より快適にを求めすぎてこの木の感触、僕らは、いつのまにか忘れてしまっていたんではないだろうか。僕らは、豊かな森と水と海に囲まれた国で暮らしているんだから自然を無視した環境では暮らせないよとつくづく思った。今からでも遅くないから取り戻そう自然と共に生きていく道を。
このCMの商品は、携帯電話。間伐材を利用した環境商品で「touch wood」というのだ。
使われているのは、「四万十ひのき」だ。木の玉を耳に当てるとバッハのカンタータが聞こえてくる。
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blood orange

2011-05-15 14:42:24 | Weblog
国産のブラッドオレンジが出ているって聞いて買ってきた。愛媛の宇和島産だ。値段は、デコポンと同じくらいかな。早速、割ってみるとまぎれもなくブラッドオレンジ。味を見てみる。


ウ~ン淡白。イタリアのヤツは、もっと濃厚で香りも強かった。日本の風土では仕方がないのかな。と思いながら食べた。イタリアの田舎の蜜柑農家の青年とバカンスに来ている街の娘との恋。ギラギラと輝く海。さんさんと陽が当たる海岸沿いの山肌。こんなシチュエーションを思い浮かべながら食べる蜜柑だものもっとジューシーで濃厚な味と香りのものでなくちゃイマジネーションわかないね。さて、どんな味に成長するか楽しみだね。
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パンプの観音様

2011-05-14 15:38:31 | Weblog
パンプが生前描いていた絵を見つけたので詩をつけてあげた。一瞬、シャガール風の観音様。顔というか、表情がなんとなく豊かに描けていると思う。「フリーじゃきに」という性格が見えてくる。ボケる前だったかな、なんて思い出しながら詩を書いた。

そう言えば、写経も一時してたよなと一つのことであれもこれもと思い出してきた。社会にあって、野性にいる。パンプは、形を変えた野生児だったのかも知れないと思った。それなら、Tippiとウマが合うだろうとまだ彩色はしていないけど、Tippiを描いた僕の絵を一緒に霊前に置いた。

絵は、DNAというけれど・・・・なんとも言えないな。本当に、絵は大変なんだよ。あるレベルでいいんだけど、そこまで行くのに僕は大変なんだ。でも、絵を描くのは好きだね。いまは、教えてもらっているからストレスの方が多いけど、いろいろやらないといけないことが多くて。ある程度上手くなったらスケッチ旅行なんかしてと思うと止められない。パンプもそんな気持ちで描いていたのかな。いいじゃないか、下手の横好きのDNAで。心に映りくるものを描きましょう。
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原子力村

2011-05-13 08:06:57 | Weblog
最近ニュース番組にやっと中曽根元首相とか山本教授とかチェルノブイリ事故以降に原発を推進していった「原子力村」のメンバーが言い訳ばかりを述べるためにギャラもらって老醜をさらすようになってきた。もうメンバーのほとんどは死んでるそうで今の80代の欲ボケた老人がまさしく負の財産を日本に残したのだ。彼らの罪を罰せられない日本には、未来はないだろう。いまだに、「俺たちの時代は、安全は完璧だった。原発は、カガクのスイを集めたものだから絶対大丈夫と思っていた。」とかこの期に及んでもボケたことを言ってる。みんな、国民はイルージョンの中にいたのだ。権威に弱いというか首相とか学者、役人を偉いと錯覚する特性をつかれたんだな。いまなら、アホくさの一言で済むことなんだけど。どんだけ、偉いと思わせた彼等が、私利私欲のために日本を食い物にしてきたか。もう目を覚まさないといけない。小泉さんは、この構図を壊そうとしたんだけど竹中の平ちゃん組んで日本を解体させてしまった。人の使い方を知らなかったんだ。だから、小泉の構造改革以降に日本の国力は衰退したんだけどその元が原子力村にあった。死んでいても構わないから、彼ら一族の財産を没収して福島に、いや、福島は、原発建設ですでに350億もの金貰っているから、他の被災地の復興に当てたらいいのに。と思う。
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小さな煙草屋の閉店

2011-05-12 08:20:43 | Weblog
近所の小さな煙草屋さんが高齢のためいよいよ店をやめることとなった。店の前には小さな小さな張り紙:5月15日をもって店を閉じることにしました。ながらくありがとうございました。店主。:と簡単に書かれていた。もうすぐ80になる婆さんが一人でやっていた。ご主人がなくなって10年くらいかな。タバコとジュースの自動販売機とタバコの店売りだけの店だった。煙草は吸わないのでこの店に寄ることはなかったけど僕らが子供の頃は、タバコと駄菓子の店をやってたから、僕ら、ここの近所の子供達は毎日のようにかよってたもんだ。その頃は、先代の爺さん、婆さんだったけどずっとずっとお世話になっていた。そうだね、スーパーマーケットなんかが出来て買い物の形態が変わる頃までかな。それから、大人になってタバコを35歳でやめるまで買ってたんだ。ぼくらの町にはなくてはならない店だったんだよ。死んだウチの犬が入り浸っていたときもあった。嫌がらずに店においてくれてた。「お吟、帰るよ」というと店の奥からのこのこと出てきたことが昨日のようだ。お吟という犬は捨て犬で近所に勝手に住み着いていたのをうちの親父が餌をやったりしてたもんだから僕が飼わされることになった町内会公認の放し飼いの犬だ。餌と寝床はうちだったけど昼間は好きなところでブラブラ。特にここの煙草屋さんがお気に入りだった。その煙草屋さんがやめる。だから昨日僕は、花を買って「長い間、ごくろうさま、あと少しだね」と引退祝いの花束を渡した。


婆さん、目が潤んでいた。今朝、犬を連れての散歩のとき煙草屋さんの張り紙を見たら:5月15日のところが5月11日に書き換えられていた。僕が、引退を早めたのかな。それとも花を貰って満足したのかな。誰でも、自分がしてきたことどこかで認められたいよね。長い間、ありがとう。
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