フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

azalea

2016-04-20 08:01:27 | Weblog
畑ではいろいろな色のツツジが咲いていて目を楽しませてくれます。
小屋への登り路のところに何か黒い物が落ちていて遠くからでははっきりとは分からなかった。近くに行ってみるとムクドリが死んでた。2~3日経っている。アリが群がってて内臓を貪っているのだろうか。何が原因で死んだんだろう。死んだ野鳥には触らないが鉄則だから棒でつついてみる。傷はなさそうだけど手に取ってみたわけではないから詳しくは分からない
動物に襲われて慌てて飛び出しショック死したのだろうか。それとも鳥インフル。それはなさそうだ。周りでチィちゃんや鶯が飛び回っているから。カラスに蹴られたかな。といろいろ推測しいろいろと悩みます。天変地異の前触れでなければいいが。と熊本のことを考えて悲観的になります。そんな時ツツジの花が目に飛び込んできました。

満開です。今は、小手毬だったか大手毬だったかあの白い花が満開できれい。そうだブルーベリーの花も咲いていたんだ。

その上の段では山吹の花がこぼれんばかりに咲いている。花を見ていて「祈る」と言う言葉が浮かんできました。太古からある心理療法が「祈り」だと聞いたからでしょうか。ただひたすらに祈って心の平安を得るということを原始の昔から人は繰り返してきたんだそうです。花を見て心の花を想像する。祈りにも似た安らぎが訪れる。そうやって人は生き延びてきたのかと思うと草木一本大事にしなければと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじめの一歩の日

2016-04-19 08:14:22 | Weblog
はじめの一歩の日というのが4月19日の今日のことだとラジオで言ってた。伊能忠敬が全国地図の作成のため蝦夷地の測量にその一歩を踏み出した日とのこと。1800年の4月19日っていうから閏年だと新暦では6月くらいかな。梅雨の前だと思う。蝦夷は梅雨がないから測量しやすいと考えたのかな。それとも北から南という構想で冬を避けたのか。何はともあれやる気で力強い一歩を踏み出したことでしょう。希望に燃えた一歩。こんな日を復旧の一歩にしてもらいたいけどまだ熊本大分では地震が続いているんですよね。1回の地震には耐えたけど2回3回と地震が続くと耐えられるものも耐えられられなくて崩壊だなんて話を聞くと耐震より昔のスクラップ&ビルドの方が日本にあってるんじゃないかと思う。日本は西洋のように自然と対立した文化ではなく融合した文化なんだから何でもかんでも西洋化は考えもんだな。環太平洋が地震に揺れてるとエクアドルの大地震が熊本大分地震と関連するかとの分析があったけど科学者は否定してるね。プレートが違うから関連はないと思うけど共振というのがあるから分からない。今まで甘えていた日本人にとって「自分たちの身は自分たちで守る」と言う基本をもう一度叩き込まれたことはなんか覚醒の段がある。東北地震の時は原発事故で放射能が拡散したから自分たちでは守り切れない状況におかれたわけでこの意識が言われた割には薄かったような気がする。自分にとってのことだけど。今回は身に沁みたというかそれなりの準備をしなくてはと思った。アメリカの新聞ではエクアドルの地震がトップで熊本の地震なんかはエクアドルに関連付けての記事にでてるだけ。日本のことなんかあまり気にかけてないみたい。日本ではアメリカが救助に来たとかオスプレイが活躍とか騒いでいるけどね。日本のマスコミはこのレベルだからネットの情報の方がまだましかな。でも今回は原発爆発がないから復旧は早いと思うが復旧が早ければ東北の原発事故が改めて浮き彫りとなるから何でも旧民主党のせいにしてきた安倍ちゃん政府が何らかをしそうな気がするね。国民の心配をよそに「川内は全然問題ない」って平気で言う「安全神話」復活の輩だからね。はじめの一歩の日。間違っても復旧を遅らそうとするなよ。監視。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妹さんの家が全壊

2016-04-18 08:34:56 | Weblog
「妹がね熊本の阿蘇に住んでてね。電話が繋がらなくて心配してたんだけど。やっと繋がって一安心」と展覧会に来たお客さんが話してくれた。「家は全壊したと言ってた。行ってやることもできないしね。家にいても落ち着かないから水彩画を見に来た。」「癒されましたか」「少しはね」「交通機関が再開したら行ってやらんとな」「早く再開したらいいですね」他に何と言ってやったらいいかわからなかったから黙ってみてたその人の後ろ姿。やはり淡彩の少し色がついたかどうかの絵の前で立ち止まっていた。ずっと頻発している地震のため復旧活動が開始できない。物資が不足しても道路が寸断されているため運べない。そしたら今日の新聞に地球の裏側のエクアドルでも大地震があって230人以上が死んだって。もう地球上どこへ行っても逃げ場がない。逃げ場がなけりゃ腹を括るしか手立てはない。遭難も2度目には落ち着いて対処できたからやはりここは落ち着いて考えるのが一番さ。困るのは流言飛語。もっと困るのは気象庁の誤報。水、薬、食料、トイレットペーパー。歯ブラシ歯磨き。懐中電灯。絆創膏、ライター。まぁ普段使っている登山道一式があれば3日くらいのサバイバルはやっていける。と思うと落ち着く。力のあるものは力のないものを助けるそうやって社会は動いてきたと当たり前のことにはたと気づく。地震は格差もなにも区別することなく襲ってくるんだから相互扶助こそが生き延びるコツだと教えてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

展覧会会場も揺れた

2016-04-17 08:32:29 | Weblog
昨日の午前11時過ぎだったかな携帯の緊急地震情報のアラームが鳴り響いた時ちょうど展覧会会場の控室で珈琲を淹れる準備してた。はじめ自分の携帯のアラームだとは気が付かず何かいけないことをして警報システムが作動したのかと焦った。「なかったことにして」とポットから手を外したり電源を確かめたり人間ってパニクル動物なんだね。携帯かと気づいて見てみると「日向灘で地震発生」と書いてある。「こりゃぁ大変だぁ。津波が来るぞ」と会場に出ると落ちなかったけど絵が揺れたとのこと。それでも来場者の情報によると「日向灘は誤報」だったらしいと聞いて不幸中の幸いと安心した。地震計も誤作動や動作せずとかのミスが続くのに「なんで安全だ」と原発を稼働させている政府の意図が分からない。もし川内原発が災害でやられたら西日本は間違いなくおしまい。「日向灘」で大きな地震が発生したら伊方は沈没で放射能は海に解き放される。こんな危険なもののすぐそばで「自分だけは安全だ」と暮らしている現実。信じられないなこの国は。「耐震をしっかり」だなんてチャンチャラおかしい。耐震なんてこの規模の前では気休めでしかない。それより「柔よく剛を制す」なんて発想はないものか。とブツブツ。「来るぞ、来るぞ南海大地震」かとまたもブツブツ。「あせってみても仕方がない」か。ロシアと中国が震災のお見舞いを言ってきてくれてるね。やはり遠くの同盟より近くの隣国か。といろいろなこと考え直す時期なのかな。このまま地震があちこちで頻発すれば日本はリセットされる。神の手はそれを望むのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ緑の桜は咲いていた

2016-04-16 09:04:59 | Weblog
熊本地震は大変だ。昨日も寝てたらここでも揺れたもの。何時くらいだったかな。大体が新幹線が開通するか原発が再稼働したかのタイミングで大きな地震って起きてるね。単なる偶然だろうか
これが鹿児島で原発がメルトダウンなんてことになってたらと思うとぞっとするね。「脱日者となるんだぜ。オレたち」。とにかく今、日本は試されているんだ。バカな政治家達から日本を取り戻すまでこの地震の脅威は続くだろうから。そんな中でも桜は散ったがまだ緑の桜は咲いていた。

ウコン桜っていうのかな。今が満開。

この桜を独占的にみられるというのが田舎の良さだよね。ついでにいえば、牧野富太郎博士が命名した「センダイヤ桜」

こっちは生け花の中で咲き誇ってました。まるで日本画のようですね。「せんだいや」って店舗の名前にちなんだということですが。これも中々でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長屋の花見

2016-04-15 07:06:13 | Weblog
昨夜は絵画教室を居酒屋風にして横浜チームと「長屋の花見」となりました。一人が一品の料理を持ち寄っての宴会です。刺身とたたきは魚やさんに頼みました。参加したのは総勢25名。
横浜は金持ち層なんだけど高知の貧乏宴会を楽しんでる。ウチの先生がといってもあだ名が先生というだけなんだがVSOPを持ってきて僕が一升持って行ってサナエちゃんがワイン2本誰かが焼酎2本持ってきて会費からビールとお茶買って飲まない人は自前でノンアルコールと酒は十分です。一番若い人が59歳一番の年寄が82歳。一番飲むのが80歳。炊き込みご飯と芋天。
スパゲティ、フルーツの盛り合わせ、トマトのざく切りしか記憶がない。ちゃんとした料理持ってきたのかな。僕はパンチェッタと大豆の梅ソース煮込みを作って持って行った。バジルが教えてくれたメニューだ。パンチェッタは自家製。梅ソースも自家製。高知が酒が強いというけど強いのはサナエちゃんくらいでやはり都会は飲む機会が多いのか横浜は強いね。酒もブランデーもワインもジュースのように飲む。酔えば絵画談義。みんなそれぞれ自分の絵に思い入れがあるんだね。その隠れた思い入れが酔うとボロボロとでてきて制作過程が明らかになって面白い。横浜は教室が狭いので待機生徒がいるんだって。大倉山会館はロケーションがいいのかしょっちゅうドラマのロケがあるとのこと。へーぇって都会ならではの話を聞く。9時にお開き。年寄だからね。これくらいがちょうどいいか。酒は一滴もなく料理は僕のと先生が持ってきた炊き込みごはんとカっさんのスパゲティが完食。残ったものはおばちゃんたちが折詰にして持って帰る。これで明日から絵が描ける状態になった。酒を飲む機会がもうないので
久しぶりに飲んだ酒はうまかったな。長屋の花見も悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

展覧会2

2016-04-14 08:15:08 | Weblog
展覧会2日目も120名くらいの入場者でした。見ているとコテコテした油絵よりも淡い水彩画に心を癒されるという人が多いのに驚かされます。絵画といえば油絵だろうと思ってたわたくしには目からウロコでした。まぁ淡彩が好きな人が見に来てるのかもしれませんが水彩画が負けてないのがうれしいですね。世界で一番安くて気軽に始められる絵画趣味が水彩ですから多くの人が始めてみようかしらと来てくれるのかな。今年は2日目で「始めたい。教室に入りたいので」と言う人が4人もいました。なんだか今年はやる気がある人が多いようです。いざとなれば来ない人もいるんですが、今年は最初から入会するんだって意欲を感じます。このうち2人は確実に来るだろうなと予測です。オレなんかチャラオだから「3ヶ月もしたらこれくらいは描けますよ」なんて調子のいいこと言って「あとは努力」という一言を付け加えるのを忘れてた。「先生は亡くなってますから教える人はいません。先生に直接ならった先輩たちがアドバイスをしてくれるだけです。自分で自由に描くというのが基本ですけどかまいませんか」と入会の説明をセッちゃんがしている。「あのう絵なんか描いたことがないんですけど」「それは大丈夫ですよ。描きたいという気持ちがあれば描けます。まぁほとんどおしゃべりしてますけど」「おしゃべり大好きです。」「それなら入会できます」なんじゃこりゃ!今日は横浜チームが来高するから空港までお出迎えだ。それでは行ってきまーす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

展覧会開催

2016-04-13 08:17:31 | Weblog
カルポート7回第4会場で自分たちの「水彩画展」開催しました。17日までの期間90点くらいの作品が目を楽しませてくれます。部屋に飾るのにちょうどのサイズの小さな作品ですが先生の画風を飛び越えて個性豊かな作品が並んでます。上手いとはいいませんが。はじめはね先生の絵を見て「これなら」と教室に入るんですけどすぐに先生のようには描けないと気づきます。そこから明日のない年寄りたちは努力を捨てて自分勝手に描き始めるのです。線画淡彩のように描く人。色彩水彩を目指す人。CGでやる人。油絵のような水彩画を描く人。と多彩です。それが今年で18回目となる展覧会を支えているのです。初日の昨日は120名もの人が見に来てくれました。初日は主に絵を描く人というか他の教室の生徒さんや先生が多いのかな。従ってわたくしの関係は一人も来てません。そんな中でどこかで見たことがあると思ったら痩せて鄙びてたから最初分からなかったけど高校の同級生が来てた。「どこのおジイや」と思ってたら「おう」だって。しかも絵が描きたいから来たって言うじゃない。サナエちゃんも飛んできてペチャクチャ。「ストイックでアカデミックなイメージを持つな。絵と教室は違うからね。お笑いのひな壇へ上がるつもりで来てね」とアドバイス。
多分来月から彼は来るんじゃないかな。ウチの教室ではオレたちは若手なのだから。そろそろ若手を入れないと受付もできないメンバーが多くなってきたからね。体力的に。そんなこんなで心を癒す水彩画展やってます。時間がある方はぜひご来場くださいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金持ちは長生き

2016-04-12 08:33:47 | Weblog
アメリカでこんな調査結果が出たらしい。どんな調査方法か詳しくは知らないが住んでる場所とかをアメリカ全土で貧乏人との比較分布図を作ったらしい。相対的価値観が優先するアメリカ人らしい発想だがこんなことを真面目にやるからアメリカ人のアメリカ人所以なんだろうね
青と赤で示された分布図。赤が金持ちなんだろうかね。街の方に多いね。当たり前と言ったら当たり前か。これで長生き比率を調べたらねナント金持ちが15年も貧乏人より長生きなんだってね。そうかアメリカじゃ金がなければ医者にもかかれないからな。金持ち喧嘩せずは洋の東西を問わずそうなんだろうから貧乏地区はアメリカなら犯罪率も高いし若くして命を落とす奴も多いだろうな。健康なんかに気を付けないだろうから貧乏人は成人病も多いだろう。もっと貧乏なら栄養失調かな。と納得。それにしても治安がよくて国民皆保険で誰でも気軽に病院に行ける日本はいいよね。貧乏人でも長生きできるんだから。貧乏で生きていてもなぁと・・・いいじゃないの幸せならば。この状態をTPPとかで壊そうとしてるんでしょ。安倍ちゃんは。おかしいよね。日本自爆かよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人手帳をもったクリフハンガーたち

2016-04-11 07:43:04 | Weblog
黒滝山に行きました。まともな登山道の地図が描かれたボードが登山口にあります。その横に4wd車なら3㎞走行可という道がありました。沢を渡っていく道と沢を登っていく道とが描かれていました。なぜか途中まで。頂上まで3時間くらいかかるって書いてあったからショートカットで行こうか。はじめは作業道でラクチンでした。こんな道でダラダラと登って行ったらピクニックだね。なんて悠長な会話で進んでいったところ沢を渡ると急登。これって登山道?獣道じゃないの?それでも懲りずに登っていくとついに目印の赤テープも見当たらくなった。「道が分からないぞ」「GPSにも載ってない」「おっ誰かが歩いた跡がある。」とよく見れば二股に割れてた。仰ぎ見れば木々の向こうに空が少し見える。直登して尾根に出ようか。

傾斜がきつい斜面をカモシカになった気分で登る。稜線に出たら立派な登山道が続いている。「なんなのだ。今までの苦労は」と稜線を進む。

花ミズキかないい感じで咲いている。なかなか頂上につかない。結構な距離がある。

やっと着いた。頂上は南面が開けていて

梶が森が見える。頂上でお弁当。シェルパ君がポタージュスープを作る。もう小さなアブが出ている。前に筒状山でアブに咬まれて大変したことを思い出した。帰りは道なりに下山したつもりだったけど第6鉄塔のところで道が分からなくなり違う道に入ったみたい。道は崩落しアドベンチャーかと思わせる山道となった。「方向が違う」とGPSを見ながらシェルパ君が言う
いろいろ道を探りながら行ったが時間と労力を食うだけだからと「遭難」というモードに切り替える。「遭難」が初めてのシェルパ君とアンティークは焦り落ち込む。僕は2回目の遭難だったからこの状況には経験があった。「沢を渡ってきたから沢を下りたら道に出る」と励まし沢を下りる。凄い崖だったが道が柔らかだったので何とか下りれた。体重75キロの僕が大丈夫だったからと二人があとから続く。「老人手帳をもったクリフハンガーたち」だ。途中でアンティークが滑って膝をすりむく。シェルパ君が岩に転んで膝を痛打する。奇跡的にそれだけで済んだ。「簡単な道を選んで下りて来いよ」と言ってた僕もどこで打ったのか試合を終えたボクサーのように右目の横に絆創膏を貼られている。

いいとこなんだけどね。車についた途端「もっとラクなところへ行こうね」とそれぞれの口から出たのがおかしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする