tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

9月「早朝坐禅会」に参加。

2022年09月18日 | 坐禅会

禅堂に到着は、6時10分前。

すでに老師と2名の参禅者が着座

 

私の席に着きザブを整えていると小鐘3つ。

まだ6時前?、ようやく身を整えましたが、2分位の遅れてのスタートとなりました。

同時に6時の梵鐘、今朝の当番も坊守さんらしい、

何時もより力強く感じられましたのは、空気(台風14号の生温かい風)のせいか。

 

10分位沈黙の経過、

老師の坐中のお話が始まった、

 「今、カラスのグワッという変な鳴声がありました」皆様聞こえましたか、の問ぃ。

(私は整身・整息・思いをたなごころに意識をしていたせいか、聞こえませんでした。)

「聞こえなかった人も、今カラスが泣いたという事実、聞こえなかった人は、

その鳴き声はどこへ行ったのでしょう」

このことを、修行中のお釈迦様も持たれた疑問の一つでした、

「今聞いた・聞こえなかった事実の鳴声は、

私の身体をつき抜け、どこかへ行ったのです」と、解釈された。

このことは、人間だけでなく、虫・花などすべての生き物達も、同じ事をやっているのです」。

「今生きている身体は、命の通り道」」だと伝えられた。

坐禅は、そんな事を考える時間。

すべての生き物は「命の通り道」の途中にあるのです、

このことを「この不思量底を思量せよ」と呼びかけられた。

その考えの一つに「私はどこからきて、どこへ行くのでしょう」

前世にもいたのであろうか?、

坐禅は、そんな思いを静かに考えめぐらすのもよろしいのでは。

お釈迦さまは「私の命の大元に出会うため」とも解かれた。

坐禅は、自分の本来の命の元にたどり着く」ための行いとも。

お釈迦様の教えは、多岐にわたりますが、

「貴方もあなたの命に出会いなさい」その命を喜び、

今を生きていくのが、万物の生きる姿だと説かれた。

皆様も、いずれはこの教えにたどり着こうではありませんか、

と、老師も結ばれた。

そして小鐘1つ。

「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」

と、回向唱えられた。

何時もと異なるお話、

なぜか30分余で終了、短く感じました。

(老師の時計の不調だったとか)

不思議と思えた坐禅会でした。

 

 

 

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