日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

岩国駅 その1

2017年12月14日 | 回想

 JR山陽本線岩国駅が橋上駅となって3週間余り経つ。最近は列車を利用する機会は減り同駅を利用するのは年に1度か2度くらいになった。それでも橋上化工事中に2度ほど隣駅まで利用したが、その時、どのように変わるのか楽しみにした。1部工事は続いているが、出かけたときに立ち寄ってみた。外観はすっかり変わり「街の駅らしくなった」という知人の話しに納得した。

 駅の開業は1897(明治30)年9月25日、山陽鉄道(現山陽本線)の広島ー徳山間の開通を機に、今の地にスタートした。建設当時の駅舎は天井の高い殿堂のようであったと古い記事に残っている。駅周辺は今津村といい、のどかな田園地帯だが高貴な方の乗る人力車が行き交っていたとある。

 太平洋戦争開戦の電信が市内の柱島泊地から発せられたのは1941(昭和16)年12月8日で、終戦は1945(昭和20)年8月15日。終戦の前日14日午前11時ころから岩国駅一帯はB29の40分間にわたる猛爆撃を受けた。投下された500ポンド爆弾は1446個といわれ、その様子は夕立のごとくであり、直径15㍍ほどの大穴がハチの巣のように空いた。爆弾穴は昭和30年代半ば頃まで散見された。

 戦後の世相は灰色だったが並木路子の「りんごの歌」が光明を与えたと古老は話す。再建の槌音も聞かれるようになり、終戦の年の12月に待ちに待った仮駅舎が完成した。駅前には爆弾穴があり、また、竹の子生活にあえぐ主婦の背中には、米や麦、大豆に食油などの統制品を背中に負い家路を急ぐ姿があったと残されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする