
用事を早く済ませたいと急いでいるとき年配の女性から「辰乃子さん」と声を掛けられた。どこのどなたか知らないので訊ねると「新聞投稿欄の読者です」という答え。話を聞くと、掲載されるとよく読んでもらっているらしく、何編かの話が出た。終わりに先日載った「最期のとき」について、涙を流しながら読んだと言われる。心からお礼を言って別れた。
用事を済ませての帰り、同じ投稿を読んだというお寺さんから良く書けていたと声を掛けられた。どう言う訳か短い時間の間に嬉しいことが重なった。そういえば、掲載された日、朝食を始めた時間に懇意な住職から「最期のとき」を今読んだ、と電話が掛かった。病気のいきさつなど聞かれるままに話した。最後によく書けている、といわれ恐縮したことを思い出した。
掲載されるとメールや電話で感想をもらっているが、最期のときの掲載では「亡くなった主人のことを思い出しながら読みました」と複数の方からメールが届いた。その中に、延命処置を望まず逝かれたという主人の意志の強さを思いだしたという文面があった。
掲載面が週1回編集される宗教面ということで思わぬ言葉を掛けられたのかもしれない。「投稿欄読者」と話しているとき、白い壁に生えるチロリアンベルが応援してくれるように揺れていた。この花は放っておくと四方八方に細い枝が伸びていく。花言葉は「恋の病」「さまざまな愛」など枝と同じく浮気性かも、投稿も多角的な視点に立って広げていきたい。