日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

岩国駅 その2

2017年12月16日 | 回想

 新装なったと感じさせるのは外観だけでなくいくつかある。エレベーター、エスカレーターの設置は以前から求められていた設備、ようやく適ったというところ。出張で各地の橋上駅を経験したが、やっと垢ぬけしたホームへの入り口らしくなった。

「岩国駅」は開業から120周年、街の玄関口の役割をになってきた。その駅名は変わったことがある。1929(昭和4)年4月に岩徳線の一部、麻里布町ー岩国町間が開通して現西岩国駅が「岩国駅」となり、それまでの岩国駅は「麻里布駅」に改称された。1934年12月に岩徳線全線が開通し山陽本線となる。1942年4月、従前はローカル線であった柳井線が複線化され山陽本線に昇格、それまでの本線は岩徳線に改称されローカル線となる。これにより麻里布駅は「岩国駅」に岩国駅は「西岩国駅」と改称された。

 駅名だけでなく駅舎も変わった。その1で書いた終戦前日の岩国駅周辺の猛爆撃で被害を受けた駅舎は、1945年12月に仮駅舎で復旧のスタートを切った。しかし、その2年後の7月に仮駅舎は火災により全焼した。それは昭和22年、学制改革により国民学校から新制小学校変わった年で、私は新しい制度で小学1年に入学したした年に当たるが仮駅舎全焼の事は全く覚えていない。

 全焼から1年余、1949(昭和24)年4月、大きな切り妻屋根の新駅舎が完成し営業を始めた。橋上化工事開始までの66年間に渡って駅前の変遷を見つめとおした。岩国駅周辺の爆撃直後、父は救援隊の一人として参加し、多くの負傷者に接したと話していた。きな臭い極東情勢を思うとき、あの惨禍を繰り返してはならない。
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