
「箸と親方(主)は丈夫がいい、あるいは 太いのがいい」、いつのころからか聞きおぼえになった。それをまざまざと経験したのは弁当を食べるとき。割りばしを袋から出し二つに割く、それを合わせ両手の親指と人差し指で挟み「いただきます」と言い折弁当食べ始める。二口目のご飯をと箸を指したら「ポッキ」と一本が中央で折れた。
食べているとき箸が折れるというのは初めての事だが、だからといって食べ終いというわけにはいかない。といって周囲に箸の変わりになる物はない。仕方なく折れて短くなった2本を箸にして食べ続けた。その操作は思った以上に難しくわずらわしく、食べるという楽しみはどこにも見出せない。折れたのは力を入れすぎたのか、箸が粗悪だったのかは分からない。
箸はものすごく器用だという。あるブログに2本の棒なのに「つまむ・挟む・切る・割る・剥す・混ぜる・刺す」など日本の食文化には切り離せない物、たかが箸、されど箸とあった。箸の種類は幾通りもあり一組数万円の品も売られているという。値段は別にして割りばしが清潔という人は「割けていなければ未使用だと分かる」、確かにそうだ。
箸にちなんだ諺は分かりやすく納得させるものが多い。「箸と親方」は、箸は太くて丈夫なのがいい親方は強くなければ頼れない。「石臼に箸を刺す」は刺すことは不可能だから無理難題を言うこと、「塗り箸で芋を盛る」は滑ってはさみにくいことから、やりにくい物事の例えを表す。1週間先の年越しそばも塗り箸より割りばしの方が食べやすいということ。今年も滑ってつまみ落とした事件事故や政も多かった。くる年は戌の嗅覚で拾いなおして欲しい。