
昨日は彼岸の入りだったが、朝からの雨で墓参りは敬遠されたようだ。というのは、今日は母の36回目の年忌、墓掃除は先日済ませておいたので、今日は参るだけ。墓地の墓に新しい花やしきび、榊などが見えない。今日から3連休、これからお参りされるのだろう、帰り数人に出会った。
よく通る歩道の側に、どなたが、いつ、どういう目的で建てられたのか知らないが「交通安全地蔵」と標識のある地蔵菩薩がある。この地蔵には彼岸などに関係なくいつ通っても花や榊が供えられ、ローソクや線香も置かれている。立ち止まって手を合わせたことはないが、いつも軽く頭を下げて通る。事故にあわれた方にこの通りを見守ってもらっているのかもしれない。
墓じまいをされる人の話しを聞いた。家庭それぞれの事情により、墓を守っていればいつかその日は来ることと思う。我が家も納骨堂は準備しているがまだ使ってはいない。墓地から移すときにはそれなりの手続きが必要になる事は納骨堂手配の時に聞いている。墓地内の無縁となったであろう墓石を見ると、墓を守り継いでいくことの難しさを感じる。
先日、墓参りしている時、墓地そばで畑仕事をされていた知り合いが「あんたが参っとるけえわしも参って帰ろう」と声をかけられた。畑にいると分かるが「墓参りする人が減った」と言われる。少子化高齢化や過疎だけでなく、納骨堂利用者が増えたからと話される。身に染みる話として聞いた。
(今日の575) 年季の日霊はいずこかそよ風が