「借りてきました」とある会合で見せられたのはある施設の職員の方が作成されたという「1600年初期の岩国」という絵図。岩国の平野は干拓で造られたと聞かされていたが、絵図で見る今の岩国の中心街は水の中にあることが分かる。
干拓、それは湖沼や海浜などを、堤防を築き排水して、陸地や耕地にすること。かって各藩は財政を豊かにする策の一つとして干拓を図り、禄高をあげた。耕地のための干拓として最近では完成後も賛否の意見が分かれ政治問題化している諫早湾の干拓がある。
岩国藩の干拓は財政経済からの強い要求からで、慶長から慶応までの年月に渡り、年代的にみると4期に分かれると郷土史に記されている。その始まりは絵図にもある出屋敷からだったという。もっと今の海岸に近いとこからはじまった、という思いは見事に覆された。それだけに干拓の大変さを感じていた。
その干拓地が水田耕地として財政再建を図り、大正以降は工場適地として認められ、近代岩国発展の根元をなした。人力で進められた干拓をなした先人の偉業に頭が下がる。この歴史をおろそかにすることなく、故郷に思いをはせねばならない。
(写真:水の豊かさを示す岩国藩初めころの錦帯橋下流域)
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