2006年1月、岩国エッセイサロンの発足から今日まで「会の母のような存在」だった方が会を去られた。そう決められたのは「いろいろ熟慮してと」と話される。エッセイの投稿暦は40年あまりと伺っている。その足元には遠く及ばない短い経験しかないが、先人の拓かれた道を歩んで行くこと、それがお世話になったことへのお返しかと思う。
その方は83歳。作風は、常に一歩下がった控えめな様子とは異なり、妻として母としての豊富な人生経験から醸しだされた文章は自信に富み、人としての芯の強さを終始感じていた。作風だけでなく、合唱団を結成され、長きに渡ってそのリーダーを全うされたことからもその強さは伺える。その一端を知ることが出来る「瞑想」という月例会の作品がある。
「畑違いの商家に嫁ぎ家業に家事、子育てと忙殺されいろいろと苦しい時期もあった。それは持ち前の意地で切り抜けた。忙しいという字は心が亡びると書く。そこに憩いを見出し潤いのある生活に切り替えた。苦しかった過去があるから今がある」、思い出の中から心豊かな今の日々が書かれている。
最後の例会、代表手作りの感謝状と記念品を感極まって受けらた。その時の写真をお持ちした。「会を去るについては悩み、考え、答えをだした」と改めて話される。数人で発足した会であったが、大きく育ったことに感激ですと、話は続く。秋日和の空も聞いているかのように思える爽やかさだった。