この季節には何度か錦帯橋と吉香公園を会場にした新聞社主催の写生大会が開かれる。この日も、実に多くの園児・児童・生徒らが画用紙に向かっていた。低学年以下には親の付き添いも多い。その親たちは子ども以上に熱心で、子どもそっちのけで写生の世界に没頭している姿もある。その絵を子供がのぞき見している。珍しい光景ではないが、愉快な一コマ。やはり錦帯橋を描く子が多そうだ。
息子について何度か写生大会に行った。5連の橋を描けば錦帯橋と分かってもらえるので、いつも橋の下流から眺めた構図にさせていた。ただ、子どもの描くことに口出しはしたが手出しはしなかった。中学校まで図工で絵には多少の自信はあった。だから手を出せば賞になったかもしれないが、それは子どものためにならずと眺めていただけ。そのためか息子の絵は受賞したことはなかった、と思う。
私は写実派だった。小学生の時、放課後、吉香公園の錦雲閣を描くのに1週間くらい通った、図工教室で何日も続けて静物を描いたことなどを記憶している。画用紙は画板一杯くらいの大きさだから子ども的にはサイズは大作だった。打ち込めたのは図工教諭の指導が楽しかったのかもしれない。そんな絵はどこにいったのだろうか。
クレヨンからクレパスそして水彩用絵具、学年が進むにつれ絵が面白くなったように思う。そんなことを思い出しながら写生中の絵を立ち止まって眺める。画用紙一杯の灯籠や錦帯橋の橋脚だけなどの大胆な構図は面白い。沁みるような新緑を切り貼りしたかと見間違うようなやさしい絵など見飽きない作品が出来つつある。そんな絵心をいつまでも持続し故郷を見つめて欲しい。