日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

迎え方

2014年05月11日 | エッセイサロン
2014年05月11日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 乾いた砂が指の間からサラサラ落ちるように記憶が消える。頭を押さえる。そんな焦りの行動をあざ笑うかのように記憶は消え続け止まらない。胸が苦しくなり、もがく。そこで目が覚めた。のどがカラカラだ。

 眠りから覚め深夜の出来事を反復、思い出せてほっとする。

 老化により記憶力や視力、聴力などが低下する。それは年相応に来るだろう。それに驚かないよう心構えはしておこう。

 でも、夢はその前触れ、としたら近くまで来ているのか。もし来たら題材にして書いて投稿しよう。そう思うと楽しみが増える。明るく迎えてやろう。
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夜明け

2014年05月10日 | 生活・ニュース


 ガラス窓がうっすらと白くなっている。静かな静かな夜明けのような気がする。近所のポストの蓋が閉まった音が聞こえる。日本だけという新聞の各戸配達、バイクの音が遠ざかる。少し大きめの音がした、これは我が家のポスト。また、バイクの音が遠ざかる。最近の新聞配達は自転車からバイクに変わったようだ。休刊日以外はどんな天気でも配達される新聞は毎日の生活に欠かせない。

 玄関を出る。そよそよと吹く冷たい風に首をすくめながら空を見る。全天、一片の雲もなく良く晴れている。東方には赤みを帯びた空が広がる。もう、ツバメが鳴いている。カラスが高いとこを2羽3羽と南へ飛び去る。最近、増えたという瓶入りの牛乳配達車が通り過ぎた。ガチャガチャという瓶の触れ合う昔懐かしい音はしない。昨夜のうちに済まされたのか、隣の家の物干し台に洗濯物が干してある。

 新聞を取り出す、ここから一日が始まる。明日は母の日というのに折込広告が少ない気がする。いや、すでにその日のための手はうってあるとということだろう。1面の見出しを見たらオピニオン面、もしや投稿が掲載されていないか、と期待と不安を交えて開く。これは「投稿した者でないと分かんで」という我流の言い訳。知人の掲載も喜んで読み1面に戻る。

 紙面も時代に合わせて変わる。今は1面が12段で1行12文字、書体は新聞独自となり従来の明朝体に似てはいるが、輪郭がすっきりし読みやすくなった。15段15文字のころに比べ、紙面全体の文字数は相当に減じたことになる。これは加齢に合わせて変化したようで読みやすくなっている。一日が新聞で始まる、まだまだ縁は切れそうにない。

 京都に住む息子夫婦から母の日の贈り物が届いた。歳はいくつになっても嬉しそうだ。
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お詫びの姿勢

2014年05月09日 | 社会 政治


 今年のタケノコのでき具合、表と裏の両方の声を聞いた。我が家は頂もので旬を味わうので表裏の実際はどうだったのか分からないが、おいしくいただいた。そんなタケノコのもそろそろ終盤、竹林は「竹の秋」を迎えている。タケノコに栄養分を回したため竹の葉は落葉期、周囲の新緑との対比が際立つ。秋になると竹の葉は緑が茂り、新緑を誇った木々は落葉期となり、竹の葉が誇らしく笹の音を奏でる。

 そんな竹林の山裾に1本だけタケノコが伸びている。その姿は「遅くに出てきてごめんなさい」と腰を曲げて詫びているような姿勢をしている。タケノコが腰を曲げて出ている姿に記憶はなく、何ともユーモラスな姿だと撮った。そういえば人の世にも腰を折り曲げる場面によく出会う。

 官民を問わず不祥事発生のたびにお詫びと説明の記者会見が開かれる。詫びる側が自主的にセットするのか取材側が要請するのか、そのいきさつは知らないが、マイクを前に関係者が整列し腰を折り、頭を下げる。どの会見もそこまでは似たり寄ったりで同じに見える。もしや詫びの記者会見指導員なる職種があるのかと思わせるほどよく似ている。

 会見する人を竹に例えて申し訳ないが、会見の報道を読んだり映像を見たりすると「竹を割ったような会見」は非常に少ない。弁舌の達者なことを「竹に油を塗る」というが、専門的なことをよどみなくしゃべっても部外者には分からない。丁寧に、正直に、解りやすく、弁明やお詫びの姿勢を見せてほしい。
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狐ケ崎 絵巻

2014年05月08日 | しっちょる岩国


 横山の菖蒲園、間もなく開花の時期になる。その菖蒲園のそばに白壁に囲まれた由緒ある建物は吉川史料館。「1803(寛政5)年、吉川藩7代経倫(つねとも)の隠居所として建築された。経倫の死後は8代経正の夫人・喬松院の居所とされ、明治になってから岩国県庁がおかれた。 1995(平成7)年に吉川史料館として公開されるようになった。岩国市の有形文化財に指定されている」(いわくに通になろう参照)。

 史料館には吉川家にまつわる史料が保管されている。その中には数多くの国宝などがあり、それらは折々に展示されるので自由に拝観できる。その国宝の一つに「「狐ヶ崎の太刀」がある。

 館内資料の説明。「源頼朝没後、2代将軍・源頼家は御家人の梶原景時と疎遠になった。正治2(1200)年、梶原景時は一族と共に京都へ向かった。頼家は梶原一族追討ちの命令をだした。梶原一族が駿河に通りかかった時、吉香友兼(吉川氏2代)は近畿の豪族たちと清見関(現在の清水市」で迎えうち、近くの狐ケ崎の地で戦った。その時、友兼は梶原景時の三男・景茂をこの太刀で倒した。吉川家では、この太刀を戦場の名にちなんで『狐ケ崎』と命名し、第一の宝物として大切にされてきた」と太刀の説明がされている。太刀は青江為次。

 その太刀のいわれをまとめた絵巻物が発行(岩国吉川会)された。題して「吉川氏物語 駿河國編 狐ヶ崎絵巻」。前記の戦いの様子やそのころの時代背景などが絵と文章になっている。文章は語り口調、どちらかといえば講談調、岩国藩風にまとまっており、後に周防岩国藩主となる吉川氏先祖の知られざる歴史として読み心地はいい。長さ480センチ、幅21センチの巻物。タイトルからすると続編がありそうだ。
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育てよ生れよ

2014年05月07日 | 生活・ニュース


 GW終わる。その最終日には高速道の渋滞、新幹線の混雑、海外からの帰国風景などTVニュースは毎度変わらぬ映像を流す。どの局も切り口は同じで、まるで季語の羅列のようだ。あまりにも知られすぎた光景をこれまでにないカメラアングルで撮り、見せてほしいものだ。

 出かけなかった人のある日の模様。今の時期は夏野菜の植えどき、近所の種苗店は前月末から休みなしで繁盛している。一見して専業農家の人は、苗を見極める目つき、それを選ぶ手運びに自信がみなぎる。そんなに植えるの、と思わず聞きたくなるほど買っていく若い夫婦もある。小学生くらいの子ども連れの親子も結構多い。付けられている苗の名前を口にしながら選んでいる。「ピーマンが食べれるようになったから」と苗を親に渡した子どもに「えらい」と周りの人が誉める。

 そんな中で我が家もプランター菜園の苗を買う。キュウリは接ぎ木のこれがいい、など店主の薦める苗を買う。ほかにピーマンとミニトマトの3種類で5本。購読紙にこれらの植えつけ方が載っていたので切り抜いておいた。これまでは自己流で植えていた。収穫が多ければ育て方がいい、悪ければ苗が悪いなど責任転嫁をしてきた。今シーズンは新聞記事が悪いと言い訳しないように育てよう。

 朝顔も久しぶりに種をまいた。発芽率は6~7割くらい。種袋の写真のような花を期待して準備を終えた。あとは、よく育って、よく生って、よく咲いてくれるのを待つだけ。さて、収穫報告がブログに載せれるか、天のみぞ知る。
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キリシタン灯籠

2014年05月06日 | しっちょる岩国


 「キリシタン灯籠」と呼ばれるものがあることは知っていたが、そのいわれなど知る由も無かった。ネット情報では次のように載っている。「織部流茶道の祖である古田織部正重然が天正年間(1573~91)の切支丹全盛時代に、信者や茶人の好みに合うよう創案したものといわれ、天文18(1549)年にキリスト教が伝来するまでは、この様な形の灯籠はなかった」。

 錦帯橋を横山側へ渡った一帯は吉川藩時代のいわれある屋敷跡や有形文化財など往時をしのぶものが数多くある。そんな一角に吉香茶室がある。その敷地に白い説明札が立っていて、それには「キリシタン灯籠」と記されている。それは庭園の植え込みに包まれるようして一基の灯籠が静寂の中にある。説明はこう教えてくれる。

 「旧吉川邸茶室に手洗いのあった近くに立てられたもので、茶道(茶の湯)では、このような形式の灯籠を織部灯籠という。いわゆるキリシタン灯籠 の一種であるが、時代が下がるとこのようにはっきり仏像が彫りあらわされるようになった」そして続く。  

 「岩国には藤生の松厳院(しょうがんいん)に合掌する人物像を彫ったものがあり、また錦見の「普済寺山」桂家の墓地、川西の西川倉次郎氏宅のも異なった形のものがある。俗にキリシタン灯籠と呼ばれ、江戸時代キリスト教禁制後(1612年)隠れキリシタンがひそかに礼拝の対象にしていたものといわれている」。そわそわする気分のときなどに、この灯籠の前にしばし佇み静寂に身を浸すと回復の途が見えるやもしれぬ。
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子どもの日

2014年05月05日 | 生活・ニュース


 祝祭日で子どもの日。「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と1948(昭和23年)に定められた。終戦から3年目の制定、父を外して母にだけ感謝とはどんな意味合いがあったのだろう。かっては5月5日の「男の節句」が祝祭日で3月3日の「女の節句」が祝祭日でないのは「男尊女卑」などの批判もあったやに記憶するが、趣旨に含まれる、母に感謝、の一言は父とは違う母と子どもの関係を強調したのだろう。

 購読紙の「子ども6人に1人が『貧困』にあえいでいるのがこの国の現実だ」という書き出し、どこの国かと思えばそれは日本の現実ということに目を疑った。対策法がありながら、その動きは遅いとある。どのくらい貧困か、経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国のうち、悪い方から10番目という。先進国といって胸を張れない。また、子どもの人口推計では14歳以下の子どもの数は1633万人で33年連続で減少している。1950(昭和25)年当時からすると1300万人減少した。 

 財政の困窮、社会保障の崩壊など暗い末期的な推測のたびに少子高齢化がその一因として上がる。少子化の因は一つでなく複雑に絡み合った社会現象から来ている。現世の借りを子どもらの将来に付けとして残さない施策がなければ、子どもを取り巻く環境改善は難儀だろう。将来に連なる策を期待する。

 息子が誕生した時に鯉のぼりを祝いにもらった。といって、空に泳がすスペースが屋敷内にはない。仕方ないので廊下の天井に飾った。代わりに2メートルほどの竿に飾った鯉のぼりを軒下で泳がせた。これも写真の撮り方で大空に泳ぐひごいやまごいに変身させて残している。数年前からは陶芸教室で作った手作りの兜を飾っている。家内の親元から届いた段飾りには何年も日の目を見せていない。我が家の子ども日は遠くなった。
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GW

2014年05月04日 | 町かど


 後半といわれるGW、お出かけになりましたか。休みが短く家族連れは遠出を避けられたとか、賢明な策でしょう。動けば汗ばむ初夏の日差しながら新緑の色が一段と鮮やかで、目の保養になります。GW日和とはまさに今日のような天気をさすのでしょう。

 名勝・錦帯橋畔も賑わっています。錦帯橋下流の川原駐車場、橋の下流およそ400メートルほどまで車くるまが並ぶ。その上流の駐車場もぎっしりと埋まっている。目にした遠くのプレートは横浜だった。そんな観光の人を受け、錦帯橋入橋券売り場、城山ロープウエー、白ヘビ観覧所などは順番待ちの大行列、ソフトクリーム店も老若男女の列で大繁盛。ここだけ見れば観光客誘致の声を大にする人の気持ちは分からないでもない。が、観光や行楽に関係ない住民の話もくみ上げて欲しい。

 ニュース映像でGW中の行楽地などの家族の愉しそうな様子を見ているとき、嫁から「家族そろって皆でどこかへ、ということが難しくなりました」とメールが届く。京都に住む孫、学年が進むにつれ行事など何かと忙しくなり、小学校のころのように家族そろって出かけることが少なくなったという。患って動けなのなら心配もするが、元気で行事に参加できるのであればこれに越したことはない。今日は嫁の誕生日、「外食します」でメールは終わる。

 行楽も愉しいことだけでなく紙一重で起きる事故も多い。予測できない事故に出合ったら沈着冷静になれよく言う。不意に出合う事故、便りなるんはお父さん、そのことを心しておいて愉しんで欲しい。明日は子どもの日、天気予報が少し気がかり、なおのこと注意してほしい。
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小さな入道雲

2014年05月03日 | 生活・ニュース


 昨日は八十八夜、もう霜は降りないでしょうと「八十八夜の別れ霜」という希望の日とか。これに続けて「九十九夜の泣き霜」がある。これをひとくくりにして「八十八夜の別れ霜、九十九夜の泣き霜」と呼ぶ。農家にとってこの時期の霜は農作物にとって大敵。「別れ霜」でほっとしたのにそれよりも遅い霜を「泣き霜」と呼ぶ心情が伝わる。それにしてもうまい命名だと感心する。

 そんないい伝えを知ってか知らずかお昼前に「霜注意報」が発表され「4日朝は霜に対する農作物の管理に注意してくださ」とコメントがついている。昨日の最高気温は26度超え、今日も25度手前の最高気温なのに「霜」とは解せない感じだが、これが自然界だろうか。空気が乾いているので火の取り扱いに注意とのコメントもある。

 この暑さをあらわすかのように山入端に小さな入道雲らしき姿がある。一人前には遠いがそれなりの威厳を感じさせる。日傘をさしたひとが「どうしてこう暑いのでしょうか」と行き違いに挨拶。確かに心地よい暖かさを一気に通りすぎている。その小さな入道雲を正面に見ながらしばらく進み広い道路へ出る。そこを曲がると向こうの空には雨を心配させるような黒い雲が広がる。空も季節の変わり目に何か迷っているようだ。

 下校する小学一年生と一緒になった。後ろをゆっくりとついて歩く。ランドセルがちょっと大きめに見えるがまだ一カ月、そのうち背中に落ち着くだろう。どの子もとにかく元気、大きな声の会話が学校生活の楽しさを感じさせる。みんな奨励服に着ているので皆仲良しを感じる。子ども入道雲は児童らの威勢におののいたか姿が消えていた。
 
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ウグイスの鳴き声

2014年05月02日 | 自然 季節


  
 我が家の墓は、私が生まれる前から数十基が立ち並ぶ墓地の一角にある。そこは山の斜面だが、周辺が放置された状態が長く続き、竹が徐々に繁茂し墓の周囲まで攻めてきた。そのため、タケノコの時期にはそれを取り除くため、墓参りの頻度を高める。周辺の墓の持ち主もそれぞれに対応し、時には隣の墓を邪魔するタケノコは取りぞく相互協力は無言のうちに成り立っている。

 タケノコの季節になって4度目の見回りに行った。1メートルほどに伸びた2本を倒した。作業しながら妙に「ウグイス」の鳴き声が気になった。先日見たニュース映像が記憶のどこかに残っていたのだろう。

 ニュースの内容は「1980年代、東京都三宅島にネズミを駆除するために持ち込まれたイタチが繁殖、ウグイスが危機にさらされている」という映像を見た。「イタチは卵やひなを襲う。ウグイスは子孫を守るためそれまでより3倍も高い位置に営巣を始めた。すると今度は空からカラスに襲われる被害が出ている。生態系のバランスが崩れる恐れもある」という。

 頭上の新緑の中で鳴く、一呼吸の間をおいて、道路を挟んだ向かい側の同じような新緑の中で鳴く。止むことなく交互に泣き続けるが、どちらもウグイスの姿は見えない。縄張りを主張しているのかそれとも求愛の鳴き声なのか分からぬままに聞いている。「梅にウグイスというけれど、あれはメジロの間違い。ウグイスは花の蜜を吸わないし見晴らしの良い枝は避ける」そんな話を思い出しながら、ウグイスの鳴き声はすれども姿は見えぬ、に納得していた。そういえば、ウグイス餅の色はメジロ色だ。
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