日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

渋抜き

2015年11月10日 | エッセイサロン

2015年11月10日 毎日新聞「はがき随筆」掲載 

 今年も渋柿をもらった。皮を剥き、軒下にぶら下げ陰干しにして干し柿にする。この作業を始めると「熟すまで待つ」という祖母の渋抜きを思い出す。

 木箱に、青く硬い柿を並べ、それをもみ殼で覆い隠し、蓋をしてそのままにしておく。年が明けると祖母は蓋を開ける。待ち遠しい一瞬だ。もみ殼を除くと、赤い熟し柿が姿を現す。

 果肉のとろっとした口触り、その中に満ちていた甘さは今も覚えている。この技を受け継がなかったことを残念に思う。

 10月から後期高齢者に。身についたいやな渋をどうして抜くか思案している。
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変わらない黄葉

2015年11月09日 | 生活・ニュース


 格別の用事がなくて街を歩いていると「散歩ですか」と声を掛けられることがある。散歩は気晴らしや健康のためにぶらぶら歩くこと(広辞苑)と載っている。気晴らしに歩くのはふさいだ気分を払いのける意味になる。自分はよし歩こう、という気分のとき健康的な意味で歩いている。

 通りなれた道でも周囲を観ながら歩く、何かあると写真を撮っておく。それは町かどという写真のカテゴリーに残したり、迷惑にならない範囲でブログの題材にしたりと勝手に楽しんでいる。たまには投稿を促すような場面にも出くわす。こんな「ぶらぶら、ふらふら」歩くことを「フイールドワーク」とかっこよくいい表す人があるという。ただ、興味だけの歩く姿には不似合いだ。

 いつも北から南へ向かって右側を歩く通りも、その逆を歩くと趣が変わる。だから散歩する区域は決まっているが道順は決決めていない。お稲荷さんの赤い幟に肩をなぜられながら歩く。その反対側を歩きながら眺めると幟と鳥居が1枚の絵に見える。シャッター通りも眺める側で通りの様子に違いを感じる。しかし、どの通りも復活を思い起こさせる姿は見かけなくなった。

 人の営みが直接かかわらない公園は、長い年月、四季に合わせその姿を変化させる。その公園にやって来る野鳥は「四季それぞれの野鳥がやってきて楽しませてくれる」と野鳥を観察し、それを撮る知人は話す。今朝、閉まっていたシャッターが開き内部で改装らしき作業がされている。どんな鳥が飛んでくるのか、そこは遠い昔にお世話になったDPE店だったと思う。
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鍋の日

2015年11月08日 | 自然 季節


 11月8日の立冬は4年に1回ということを知った。立冬の日は、11月7日が3年続き4年目に8日、次の3年は7日が立冬の日になる。今年は1日遅れで迎えたことになる。暦の上の冬は立冬から始まるので今日から冬が始まる。朝から雨模様の生暖かい一日、冬到来を肌では感じなかった。

 吉香公園や錦帯橋畔ではこの時期の風物詩、松のこも巻が始まった。1週間て約200本の松に冬支度を施すという。これは、害虫が松の幹中に入り込むのを防ぎ、巻きつけたこもで越冬させる。啓蟄のころに、巻きつけたこもを取り外し越冬した害虫を駆除する。巻きつけも取り外しも錦帯橋一帯の風物詩として定着している。

 立冬の日は「鍋の日」という。スーパーには何種類もの「鍋の素」が積み重ねてある。鍋の日は食品メーカーさんの発想だろうと容易に想像がつく。しかし、寒さに向かうこの時期、季節に見合った商品PRだと思う。品数の多さを思えば、鍋の出汁が自家製という家庭は少なくなっているだろう。毎日食べても1週間では食しきれない。

 立冬といえば木枯らしまで予測しそうだが、「冬が来る、冬の始まり」位に思えば厳しさは柔らぐ。「今朝の冬」は立冬の日の朝という季語の説明を読んだ。言葉を楽しむのもよいが長期予報の「暖冬らしい」を期待して本番の冬を待とう。
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3桁の番号

2015年11月07日 | 生活・ニュース

 頻度は少ないがカード番号や通帳番号、住基番号など転記するとき、記入様式に合わせ3桁か4桁に区切り、口ずさみ確認しながら記入するのが癖になっている。3桁の方がリズムに乗りやすいが様式によっては致し方ない。一方、以前は可なり記憶出来ていた電話番号、携帯を持ち始め記憶の外に出ていったまま戻っては来ない。

 固定電話番号は10桁、ガラケイは11桁、とても覚えきれるものではない。しかし、緊急の場合に使用する番号は3桁になっている。その代表の110番は警察、とんでもない内容も掛かるそうだが厳しく取り締まって欲しい。119番は消防、こちらにも仕事を邪魔するいたずらも多い。118は海上保安庁、海の事故や事件は一報できる。よく使われる117は時報、177はお天気、104は有料で番号案内。これらはよく知られている。

 188(語呂は「イヤヤ」)番は最近設定されたもので「消費者ホットライン」。これまでは10桁番号で運用されていたが不便で仕方なかったが3桁の188になった。これは全国共通、困ったらすぐに連絡しよう。最近多い児童虐待などの通報も3桁に変わった。その番号は189。消費者ホットと混同しそうだがこちらは鳴らない方がいいのだが、子どもの万一の時は頼りになる。語呂はいち(1)はや(8)く(9)と覚える。

 171番は災害用伝言ダイヤル、144番は迷惑電はお断りが設定できる。何年も使ったという記憶の無いのが115番で電報の申し込み、これも変わらず生きている。いらいらしながら掛けるのは114番で、相手の話し中調べ、113番は電話故障、いや3桁もいろいろある。知っておいての損得は分からない。電話回戦によっては使用できない番号もあるからご注意とか。3桁が3つも4つも並ぶ税金が無駄に使われている。これの損は納税者、得は誰だろう、これはほっておけないことだ。
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鴨鍋の肉

2015年11月06日 | 自然 季節


 先日の天高くの日、秋になって初めて鴨を見た。ねぐらへ急ぐのか暮れかかった川面に20羽ほどの鴨が行跡を残し同じ方角に進んでいる。北方へ向けて飛び立つ春までは中洲の茂みに留まるのだろう。どんなに寒くても体温は40度あまりという。真冬でも寒風の川面に浮かんでおれるのはそのためだろうか。

 鴨はどんなに寒い日でも水の上でのんびりしているように見える。ところが、見たことはないが水中では絶えず水掻きを動かし続けているという。これを「鴨の水掻き」といい、人には人知れずの苦労や努力の必要なことを教える例えに使われる。決して水面下での談合や裏取引を教えることわざではない。

 鴨といえば「鴨が葱を背負ってくる」ということわざもよく知られている。鴨が葱を背負って向こうからやってくれば、すぐにも鴨鍋にして食べることができる。その裏の意味は「利用しやすいものが、さらにこちらの利益になるものを持ってやって来る」例え。何か種がまかれているのかも知れない。鴨鍋を食べたことがないので分からないが、一般に市販されている鴨肉はアヒルや合鴨という。この3つの肉味はどう違うだろう。

 鴨は縦列で進んでいる、急に横列に変わる。かと思えば左転回する。そんな動きに目的があるのか指令を発するリーダーがいるのか分からないが統制がとれている。感心してみていると列を乱す気ままなのもいる。それを合図にしばらくまばらな行動、自然に列になったところで1羽が飛び立つ。すると他の鴨も続いて同じ方向へ飛び去る。見送りながら、最初の1羽がリーダーだろうと思いながら見送っていたが背の高い葦に遮られ見えなくなった。
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閑散と

2015年11月05日 | 地域


 天高くというが、秋空は澄み渡って高く見え心地よいと会話しながら海抜500メートルの位置で見上げたのは昨日の空、今日は朝からどんより、昼過ぎから予報の通り小雨が降り始めた。所用で出かけて渡る木造の橋錦帯橋がしっとりしていつもより落ち着いた雰囲気は渡る人が少ないせいかもしれない。渡橋券売り場の知人が「今日は閑です」とちょっと嬉しそう。

 公園内の無料駐車場利用者も少ない。城山山頂から山麓駅に着いたロープウェー、たまたまかもしれないが乗客も数名とこれまた少ない。秋の観光シーズンとはいえ週の半ば、曇り空も関係あろうが観光客はまばら。堀に飛来してきた鴨たちは餌を投げ入れてくれる人の近くで争奪戦を展開中。その水掻きの下で鯉がそのおこぼれにあずかっている。ここだけは穏やかな公園の一角で賑わっている。

 錦帯橋横山側のたもとにあるソフトクリーム屋、雨足の天気と少ない人通りに呼び込みの声は聞かれずこちらも静か。観光地は観光客が訪れてなんぼの世界だ。公園の草木や花々だけが頼りでなく集客力ある施設、特に文化的施設の拡充を図らない観光地では、1年を通しての観光誘致はやがて行き詰るとおもう。

 紅葉に黄葉、見ごろには中旬からという。そういえば吉香神社前の銀杏の大木ももう一息という感じだ。その神社前の通りにも人影は見えず、通りにある時代劇映画のセットのような茶店前にも人影なし。これほど静寂、しんとしている公園を歩いたのは初めて、この雰囲気もまた格別だ。
 
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嫁(妻)はいらない

2015年11月04日 | 生活・ニュース


 このところ近在の食品スーパーやドラッグストアのリニューアルが相次ぐ。消費者にとってはその工事期間は不便を感じるが、どう変わるのか興味があり待ち遠しい気にもなる。リニューアルかリホームか、いや改装か、専門家は使い分けされているようだが、何年かに1度だが通い慣れた店内に手が加えられ新しく変わるのは悪いことではない。

 最近リニューアルを終えたスーパー、店内各所にリニューアルの掲示がある。店としては誇りたいと気持ちだろう。通路が広くなり店内が広くなった感じ、なかなかいい。また、商品棚の配置変更が一目でわかる、ということは可なりのお得意さんになっている証拠だろう。開店早々の店内を一回りする。ここは大きく変わったな、そう思わせたのは惣菜コーナー。これはスーパーのノーハフでなはなさそうだ。

 並んだ多種多多彩な惣菜を見ていると「もう嫁も古女房もいらなくなる」と同年配の知り合いの女性から声を掛けられた。電子レンジがあれば食にこまらない時代だが、こうして並んでいる「おかず」を見ると電子レンジからは生まれない良さを感じる。欲しい品が必要な量だけ買えるのは高齢者には都合がいい。自炊する独身者にもいいだろう。掛けられた言葉の意味をつくづくそう思う。晩婚化が進む原因のひとつかもしれない。

 「買わせたい、買ってもらいたい」という売り側の施策の一つがリニューアルだろう。その効果がどこまで持続できるのか、店長を悩ませる。GDPの上昇を抑えるほど消費者の懐が硬いことは国の分析でも示された。リニューアルオープンセールが終わったあと客足がどうなるか、明るくなった照明が上方から見ている。

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昼火事

2015年11月03日 | 地域


 午後1時を過ぎたころ近くで火災発生。現場は錦帯橋の岩国側を500メートル余り大明小路を下ったところ。現場付近は民家や商店が密集し、火災現場を囲むように3つの金融機関の支店が居を構える一帯、3棟が焼けたというが幸い負傷者は無かったという。被災された方にお見舞い申し上げます。

 「ぶお~ん」そんな音が聞こえ始めたので火事だと気付いた。大分前になるが、今回と同じ音が聞こえるので何事かと思っていたら防災無線が火災発生と流した。防災無線が設置されたことは知っていたが、火災地域への周知、消防団員の招集通知も防災無線で流されるとは知らなかった。火事は消防のサイレン、消防団はそれを聞いて即出動、こんな構図が変わったということだ。広報されていたとしたら見落としていたことになる。時報がサイレンから防災無線に変わることは知っていた。

 今日の火災通知の音を聞いた近所の人が「誰かが電気ノコギリでも使い始めた」くらいに思った。部屋いると後の音声は聞こえなかったと話される。知り合いの記者も現場で「火事だとは分からなかった」という話を聞いている。強い風雨の最中にはどの家もいつもより厳重な戸閉だろう。肝心な避難勧告や避難指示の放送は聞こえない。風向き次第ではその用をなさないだろう。

 防災無線と言いながら、市の一般通知にも利用する頻度が高くなると、いざという時のに、オオカミ少年ではないが、その用を達しなくなる気がする。聞こえた時は避難、そんな緊張感を防災無線には期待する。文化の日にふさわしいことを書き残したかったが火事で燃えてしまった。
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I T自動車

2015年11月02日 | 回想


 「今のうちに運転免許を取れ」はおよそ50年前、化学プラントで3交替勤務しているときの職場同僚の助言。自動車学校に通うには勤務変更か長期の在学かどちらかになる、と悩んでいたら「勤務配慮はしてやる」という温かい同僚の支援で免許取得に挑戦した。その時代、3交替者の通勤手段は公共のバス利用者が多かった。

 当時の自動車学校は大繁盛、入学待機も出る時代、「仕事の合間に免許を取るなど甘っちょろい考えを持つな」が指導教官の初日の訓示。「会社を辞めてまでは来れん」という何人かの声が聞こえたのか指導はおろそかでぶっきら棒、理由は分からないが途中で教官が交替になった。それでも練習コースでの検定試験は1回で合格でき同僚に感謝した。

 車通勤になったのは免許取得から3年目、次第に車社会に移行したことでバスの便数が減り、また仕事の都合でバス通勤が困難になりマイカー通勤になった。幸いなことにこれまで反則金も罰金も収めることなく乗れた。しかし、高齢者の病が原因かと思わせる事故が相次いで発生、後期高齢の身では人様のこととばかりは思えない。我が身にも忍び寄ってきているかも知れぬと気を引きしめて運転している。

 科学は進歩し、ハンドルを握らず、アクセルを踏まず、ブレーキを踏まず、それでも事故が起きない試作車が走り始めた。それで絶対安全なら、先ずは地方に住む交通弱者の高齢者へ優先して渡してほしい。ただ、そのために必要なインフラは大都会優先だろうから、身を引き締めてハンドルを握る時代は続くだろう。I T自動車時代になれば、運転免許は不要で自動車学校が消えるかもしれない。妄想のようなことを思いながら、半世紀前に走ったコースを眺める。
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パン屋さんと民話

2015年11月01日 | 生活・ニュース


 「電話で民話が聞けます」という情報に接しさっそくアタック、その前に手元にあるPCで検索してみる。名古屋に本社のある製パン会社が1981(昭和56)年から毎週1本ずつ届けているという。同じものを再び流すことはしていないということで、これまでに1600話以上流している。ホームページにもその一部として500話以上が掲載されている。

 パンと民話、どういう結びつきなのだろ。先の情報には、小学校の教壇に立った経験のある2代目社長が「会社として物質的な貢献だけでなく、子どもたちのために文化的な貢献ができないか」と考えて始まったと載っている。続くこと30年を超えるロングラン、長い期間にも驚くが民話の数にも驚く。奥深いのだろうが民話は「民衆の中から生まれ伝承されてきた説話(広辞苑)」という。昔話や神話などとは少し異なるのかなと思う。

 ホームページの「民話の部屋」に入る。そこには、日本各地に古くから伝わるいろいろな民話を、音声と文章でお楽しみいただけますと誘う。ジャンル別、都道府県別に分類されている。ジャンルは30以上もあり、その日の気分で選んでみるのも面白い。読みたい民話を選択すると、子どもの喜びそうな見開きの絵本が現れる。後は読むもよし聞くもよし、操作して楽しめる。

 成人の目で読めばあっという間に終わる分量。だが、音声だと1話がおおよそ5分くらいの話。小さい子どもさんにも分かりやすい話し口調は、おばあさんが孫に読んで聞かせるようでいいなとは私の感じ。各地のこうした民話に接すると、古くから語り継がれてきた人の親切や情け、その性は古くても今に通じる。気持ちにゆとりを持ちたい時に訪ねよう、そう思ってお気に入りに登録した。(トップの写真をクリックされると「民話の部屋」へ繋がります)
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