欅坂46『黒い羊』は、いかにも欅坂らしい緊迫感のあるメッセージソングだ。
飼い慣らされた白い羊にはなりたくない、自分は迎合せず黒い羊のままでいようという分かりやすい比喩で、これまでの欅坂46と同様の生きづらい自我を主張する歌詞だ。
序盤の「商店街の雑踏が嫌なので遠回りして帰る」といった歌詞は、あまりに早口で言葉を詰め込み過ぎていて全く聞き取れない。後に続く「教室での居心地悪さ」と比べ、内容も切実感がない。どの道を通って帰ろうが好きにすればいいし、誰もそれを咎めたりしないだろう。この部分だけは気に入らない。
その後の展開は見事だ。彼の違和感の対象は、管理しようとする大人ではなく、従順に管理され、異分子に同調圧力をかけて来る同級生たちだ。遠慮のない小気味よい言葉の連射を、「白いふりをした羊」たちへ浴びせる。「全部・ぼくの・せいだ」と慟哭するように歌うが、それは懺悔ではなく、それでも僕は今のまま「悪目立ち」を続けるという決意に繋がる。
この「悪目立ち」という言葉も好きではない。最近よく目にするようになったが、目立つのに良いも悪いもあるものか。まさに同調圧力の強い昨今、圧力に屈しない人をやんわり批判する言葉として重宝されているのだろう。敢えてその言葉を使って「悪目立ちしていよう」と歌うのは、「頑固じじいで構わない」という年寄りの開き直りと同じレトリックなのだろう。
サビの曲調は印象に残る。ポップスと言うより、シャンソンとかカンツォーネ、あるいはミュージカルのようだ。言葉と旋律が調和している。
途中、無音部分が5秒以上ある。山口百恵『美・サイレント』では2、3秒だったと思うので、それよりはるかに長い。その無音部分は聴き手に、「あなたは白か黒か」と問いかけている。
ユーチューブでミュージックビデオの公式動画を見て、またまた仰天した。
つい最近STU48『風を待つ』の素晴らしいワンカット撮影に感動したばかりだが、この『黒い羊』も一見して繋ぎ目が見えずワンカット撮影のように見える。映画『カメラを止めるな』の影響なのか、ここに来てワンカット撮影が流行っているのか。
『黒い羊』のミュージックビデオは物語調だ。平手友梨奈が様々な場面の中を歩きながら他のメンバーと絡んでいくといった内容だ。脈絡のない夢のような、平手自身の心象風景のような、幻想的な作品だ。1篇の映像作品として鑑賞に値する。
場面転換が非常に目まぐるしく、これが本当にワンカット撮影だとしたら、『風を待つ』以上に難易度が高いと思う。ドローンこそ使っていないが、それぞれの場面で「演技」をきちんと撮らなければならない。ワンカットならではのライブ感や躍動感よりも、完成度や芸術性を求めるべき作品のはずで、ワンカットにこだわらず、数場面ずつ丁寧に撮影しても良かったはずだ。もしかしたら特殊な技術で繋ぎ合わせている場所もあるのかもしれない。
撮影は学校のような建物の中を様々な場面のセットとして装飾した場所で行われ、最後は屋上でのダンスシーンだ。あまりの豪華さ、目まぐるしさにクラクラした。お金と時間が沢山かかっている作品だ。
(追記)音源を聴き直してみたら、無音部分は1秒くらいだった。5秒以上無音なのはミュージックビデオだけだった。
飼い慣らされた白い羊にはなりたくない、自分は迎合せず黒い羊のままでいようという分かりやすい比喩で、これまでの欅坂46と同様の生きづらい自我を主張する歌詞だ。
序盤の「商店街の雑踏が嫌なので遠回りして帰る」といった歌詞は、あまりに早口で言葉を詰め込み過ぎていて全く聞き取れない。後に続く「教室での居心地悪さ」と比べ、内容も切実感がない。どの道を通って帰ろうが好きにすればいいし、誰もそれを咎めたりしないだろう。この部分だけは気に入らない。
その後の展開は見事だ。彼の違和感の対象は、管理しようとする大人ではなく、従順に管理され、異分子に同調圧力をかけて来る同級生たちだ。遠慮のない小気味よい言葉の連射を、「白いふりをした羊」たちへ浴びせる。「全部・ぼくの・せいだ」と慟哭するように歌うが、それは懺悔ではなく、それでも僕は今のまま「悪目立ち」を続けるという決意に繋がる。
この「悪目立ち」という言葉も好きではない。最近よく目にするようになったが、目立つのに良いも悪いもあるものか。まさに同調圧力の強い昨今、圧力に屈しない人をやんわり批判する言葉として重宝されているのだろう。敢えてその言葉を使って「悪目立ちしていよう」と歌うのは、「頑固じじいで構わない」という年寄りの開き直りと同じレトリックなのだろう。
サビの曲調は印象に残る。ポップスと言うより、シャンソンとかカンツォーネ、あるいはミュージカルのようだ。言葉と旋律が調和している。
途中、無音部分が5秒以上ある。山口百恵『美・サイレント』では2、3秒だったと思うので、それよりはるかに長い。その無音部分は聴き手に、「あなたは白か黒か」と問いかけている。
ユーチューブでミュージックビデオの公式動画を見て、またまた仰天した。
つい最近STU48『風を待つ』の素晴らしいワンカット撮影に感動したばかりだが、この『黒い羊』も一見して繋ぎ目が見えずワンカット撮影のように見える。映画『カメラを止めるな』の影響なのか、ここに来てワンカット撮影が流行っているのか。
『黒い羊』のミュージックビデオは物語調だ。平手友梨奈が様々な場面の中を歩きながら他のメンバーと絡んでいくといった内容だ。脈絡のない夢のような、平手自身の心象風景のような、幻想的な作品だ。1篇の映像作品として鑑賞に値する。
場面転換が非常に目まぐるしく、これが本当にワンカット撮影だとしたら、『風を待つ』以上に難易度が高いと思う。ドローンこそ使っていないが、それぞれの場面で「演技」をきちんと撮らなければならない。ワンカットならではのライブ感や躍動感よりも、完成度や芸術性を求めるべき作品のはずで、ワンカットにこだわらず、数場面ずつ丁寧に撮影しても良かったはずだ。もしかしたら特殊な技術で繋ぎ合わせている場所もあるのかもしれない。
撮影は学校のような建物の中を様々な場面のセットとして装飾した場所で行われ、最後は屋上でのダンスシーンだ。あまりの豪華さ、目まぐるしさにクラクラした。お金と時間が沢山かかっている作品だ。
(追記)音源を聴き直してみたら、無音部分は1秒くらいだった。5秒以上無音なのはミュージックビデオだけだった。