AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

HKT48『突然 Do love me』とSTU48『息をする心』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-29 18:51:40 | ときめき研究家
両グループの新曲は対照的な曲調だが、どちらもこれまでの各グループの楽曲イメージを踏襲したものになっている。

HKT48『突然 Do love me』。
内気な男子を女子の方から誘惑する歌だ。榊原郁恵『DO IT BANG BANG』、早見優『誘惑光線クラッ』など過去のアイドルでも定番のテーマだ。
HKT48の過去の楽曲では『Make noise』とか『しぇからしか』に曲調が似ている。激しいリズムとサウンドを楽しむための曲だろう。私の中ではHKT48はいつまでも「末っ子」のイメージで、『スキ、スキ、スキップ』やら『メロンジュース』を元気に歌っている印象が焼き付いているが、その後NGT48やSTU48ができ、チーム8もでき、全然「末っ子」ではないのだ。
こんな激しい曲を、激しいダンスをしながら歌うお姉さんグループなのだ。認識をそろそろアップデートしなければならない。
せっかくのノリのいい曲だが、歌詞の乗せ方が不自然で気な箇所が多い。特に以下の3か所は気になって仕方がない。こんなことが気になるのは私だけだろうか。
1.「向こうから来ないなら」が「むーこから」となっていて、「婿から」または「猫から」かと思う。同じ音符に乗せるなら「むこぅかーら」の方が自然だ。あるいは「そっちから」にしてもいい。
2.「胸が張り裂けそうで」の「張り裂け」を1音に乗せているので、全く聞き取れない。
3.「YesでもNoでもいいの」も早口過ぎて、「ゲテモノでもいいの」に聞こえた。歌詞を見ながら聞くと、確かに「YesでもNoでもいいの」と辛うじて聞こえる。
無理な歌詞の乗せ方は今風なのかもしれないが、私は好きではない。歌うメンバーたちも歌いにくいのではないか。

STU48『息をする心』。
これもまたSTU48らしい、おっとりした楽曲だ。
他人に合わせるのは苦手だが、気の合う「君」に出会って、呼吸も楽になったというような歌詞。「君」のことを好きだという自覚はあるが、急ぐことなくゆっくり距離を縮めようとしている。
乃木坂46『今、話したい誰かがいる』あるいは『君の名は希望』のような世界観だ。
この歌の聴き所は、声に出して「好きだ」と言ってみていることだ。言霊というか、自己暗示というか、自分の気持ちを「好きだ」と定義づけることで、彼は気持ちが楽になっている。それはそうだろう。言葉にできない、得体のしれない気持ちを持ち続けることは苦しい。「好きだ」と声に出すことで、ああ、自分は彼女を好きだったんだと確認できて安心する。そんな瞬間のことを写し取っている歌詞だ。
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AKB48『どうしても君が好きだ』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-23 12:24:06 | ときめき研究家
AKB48の原点回帰というか、昔よく聴いたような楽曲だ。
イントロのギターは『言い訳Maybe』に似たフレーズがあるし、ソロの歌い出し部分は『大声ダイアモンド』のようだ。全体としても、素直に気持ちを伝えようといった『会いたかった』の世界観だ。

踏切の向こうにいる彼女に「好きだ」と叫ぶのは、松田聖子『夏の扉』で道路の向こう側から彼が「好きだよ」と叫んでいる場面を想起させられる。
2番の「もし君と出会わず生きていたなら どこを歩いているだろう」という仮定法は、麻丘めぐみ『芽ばえ』の「もしもあの日あなたに会わなければ この私はどんな女の子になっていたでしょう」という歌い出しへのオマージュだ。
そうした古典的なアイドルソングの系譜を踏むクラッシックな楽曲なのだ。

この曲を何回もリピートで聴きながら、今一つ盛り上がれない自分に気が付いた。
なぜ今、この歌なのだろう。そんな気がしてしまった。

かつてどこかで聴いたような曲であっても、今日的なときめきが感じられればそれでいい。
AKB48を17年続けてきて、彼女たちは様々な楽曲を歌ってきた。メンバーもどんどん入れ替わる中、以前歌ったような楽曲を歌ってももちろん何の問題も無い。むしろ、青春の「ときめき」と「じたばた」というような永遠のテーマを巡り、同じような内容の歌を、少しずつ変化を付けながら歌い続けてきたのがAKBグループなのだと言える。
何より踏切越しの片思いという同じ状況を歌ったSKE48『初恋の踏切』という歌まであるのだ。


同じような歌に、以前のようなときめきを感じなくなったのは、私の方に問題があるのかもしれない。
10年以上前から聴き続けているファンはもはや少なく、乃木坂とか別のグループにシフトするか、アイドルファンをやめてしまっているのかもしれない。『どうしても君が好きだ』は、そんなオールドファンなど眼中になく、今のテーンエイジャー達に向けた楽曲なのかもしれない。たぶん、そうだ。

それでも、目新しくてちょっと耳を引くのは、1番のサビ部分の歌詞の乗せ方だ。
「ずっと言いたかった 僕の想いよ」の「ぼくの おもいよ」が、音符が足りないので「ぼ・く・のお・も・い・よ」と当てはめている。「の」と「お」で1音使うのだが、母音が同じなので歯切れが悪く聞こえる。
続く「通り過ぎる電車に かき消されたって」の「とおりすぎるでんしゃ」は、「とおりすぎーるでんしゃ」と乗せているので「るで」が忙しい。
これらはきっとわざとそう乗せていて、聴いた時のちょっとした違和感を楽しませようとしているのだ。2番の同じ場所ではそういうことはなく、1音ずつ奇麗に乗っている。この趣向、私はあまり好きではないが、耳に残ることは事実で、楽曲の個性化には貢献しているだろう。

もう1つ気になるのが、エンディングだ。「生きている間にどけだけの踏切があるのだろう 言いたいことはどこからでもいいから叫べ」といったこの曲の要約を歌っている。私には蛇足に思えてならない。それでもメロディーが秀逸で、心揺さぶられるならそれでもいいが、何だか取ってつけたようなメロディーだ。私はこのパートは無くてもよかったと感じた。同じようなことを最近書いたなと思ったら、日向坂46『一生一度の恋』のエンディングにも似たような蛇足感を感じたのだった。 

『一生一度の恋』だって、青春の一度限りの夏の恋を歌って、何度も歌い尽くされたテーマだ。だけど私は激しく心揺さぶられた。『一生一度の恋』と『どうしても君が好きだ』のどこに違いがあるのか、もう少し考えてみたい。
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櫻坂46『桜月』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-07 21:55:13 | ときめき研究家
櫻坂46がようやく代表曲と言える楽曲に出会ったのではないか。名曲だと思う。
欅坂46から櫻坂46に改名しても、欅坂時代と似たようなテイストのシングル曲が続いていた。即ち、世の中や束縛への反発や抵抗、自分自身への苛立ちや焦燥、そういったものを苦しそうに歌ってばかりいた。それはそれでいい曲だから構わないのだが、改名の意味があったのか疑問だった。

今回の『桜月』は、まずタイトルがグループ名に似つかわしいし、テーマもこれまでのシングルとは全然違っている。
この歌は、彼女との別れを歌った卒業ソング、いわゆる「桜ソング」である。

歌詞は置いておいて、まず曲調やアレンジについて書きたい。
イントロのピアノの高音は、桜の花びらが舞い散っている様子を描写しているように聞こえる。
続いて早口気味の歌詞を載せたAメロ、ラップ調のBメロと、緊張感を保ったまま曲は進む。そしてメロディアスなサビ部分は、ユニゾンで朗々と歌い上げられる。全体として格調高い歌だ。
サビ後の間奏に「トゥルル トゥルル」というスキャットが入る。これがまた絶妙だ。スキャットは無くても普通の間奏として違和感ないと思うが、スキャットがある方が断然いい。スキャットがあることで緊張が途切れずに、すぐに2番に続いていく効果があるように感じる。
2番の後、いわゆる大サビ部分で、音量が小さくなり、遠い記憶を思い出すような切なさがピークに達する。その後、再びサビ、そしてエンディングにもスキャットが重なる。
楽曲の構成として完璧だと思う。

歌詞は、実はよくある状況を描いている。
彼と彼女は最終バスを待つバス停で何度も一緒になったのだろう。最終バスと言うと東京の人は22時とか23時とか遅い時間を想像しがちだが、舞台は地方都市なので、せいぜい19時くらいと思われる。部活終わりか何かで同じ時間になることが多く、友達としての会話くらいはしたのかもしれない。いやもしかしたら彼の一方的な片思いで、話などできずたださり気なく見つめていただけとも解釈できる。でも、ここでは一応友達で、お互いに好意のようなものは持っていて、でも告白はしていない関係だったとしておこう。
そして、卒業後、彼女は東京の大学に行く。お互いに気持ちを伝えることなく、関係は自然消滅になるだろう。それでも今この時、満開の桜が散る景色は、自分自身の心象風景とも重なり、忘れることは無い。そのような自己陶酔的な思いを臆面もなく歌っていて清々しい。

彼女が遠くに行くため別れてしまう歌は、これまでもいくつかあった。
『酸っぱい自己嫌悪』(日向坂46)
『大人列車』(HKT48)
『フェリー』(NMB48)
『三つ編みの君へ』(渡辺麻友)
そして櫻坂46自身の『ずっと春だったらなあ』は、この『桜月』の姉妹曲と言うべき曲だ。ずっと春ではいられないから、せめてこの満開の桜を心に焼き付けておきたいと歌っているのだ。

歌の中とシンクロするように、桜が日に日に散っていくこの一週間、毎日の通勤時に、『桜月』をリピートで聴いていた。何回聴いても飽きない、むしろ聴けば聴くほど歌の世界引き込まれていった。
私もこの春のことは忘れないと思う。
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乃木坂46『ここにはないもの』と『人は二度夢を見る』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-01 11:42:30 | ときめき研究家
森高千里ばかり聴いているうちに、季節は巡り、桜が咲いて、もう散りそうだ。
その間に、AKBグループや坂道グループの新曲も沢山発売されている。慌ててそれらの曲を入手して、順番に聴いていくことにする。乃木坂46に関して言えば、年末に発売された『ここにはないもの』について感想を書かないうちに、もう次のシングル『人は二度夢を見る』が発売されていた。さすが、秋元康が一番力を入れていることがうかがえる。

『ここにはないもの』。
乃木坂46が得意な「自分探しソング」の一環と言えるだろう。曲調はいい。ピアノソロのイントロで始まり、ラップ調のAメロ、Bメロからサビにかけてはメロディアスに盛り上がっていく。孤独な旅立ちの悲壮感が美しく歌われていると思う。
ただし、歌詞のところどころに腑に落ちない点があるのは残念だ。
まず歌い出しでは、夜になって喧噪も消え、大人たちに虚勢を張るため着ていた鎧を脱ぎ捨て、無防備な自分と向き合う場面から始まっている。そして、その思考の結論として、この歌の主人公「僕」は、現状の安全な生活に飽き足らず、孤独で困難な道に旅立とうと決心をしている。この結論と、歌い出しの状況が噛み合っていないのがモヤモヤする。現在の彼も、大人たちに抵抗して闘っているのではないのか?それを「安全な生活」と捉えているのがしっくり来ないのだ。
もう1つ、途中から「君」が出て来るのだが、その「君」がどういう存在なのか、理解が難しいのだ。
「君」はサヨナラを言うべき相手で、「僕」の決心に気づき、微笑みながら涙を隠している。
「君」は「僕」を甘えさせてくれる存在だ。
「君」は「僕」に生きる理由を教えてくれた。
そして「君」がいてくれたから素敵なサヨナラを言える。
「君」は現在の生活に満足しているのか?それとも「僕」に外の世界があることを教えてくれたのではないか?「僕」はなぜ「君」と共に旅立とうとは思わないのか?

考えているうちに1つの解釈に辿り着いた。「僕」はいわゆる宗教二世で、「君」は母親だとすれば辻褄が合う。
母親が信じる宗教の教えに守られ、その教えの範囲内で、時には周囲に反発したりしながらも安全な生活を過ごして来たが、どうしても外の世界に飛び出したくなったのだ。
母親には感謝している。これまでの生活や信仰を全否定するわけではない。しかし、それを超えて、自分自身で信じるものを見つけたいという渇望を抑えきれなくなった、そういう心情を歌っていると思えて仕方ない。
タイムリーな時事ネタ過ぎる気もするが、こういう解釈もできるのではないか。アイドルソングの蓑を被った、悩める宗教二世の背中を押す歌なのだ。
「後ろ髪」「じたばた」「答え合わせ」など、秋元康の定番ボキャブラリーが彩を添えている。
 
『人は二度夢を見る』。
この曲もまた「自分探しソング」だ。
曲調は『ここにはないもの』の方が好きだが、歌詞はこの曲の方が共感できる。かつての『逃げ水』と相通じるようなテーマだ。
若い頃見ていた夢はいつか諦めてしまっていたけれど、長い歳月を経て、もう一度見てもいいんじゃないか、そんな内容だ。還暦を過ぎて未だに夢みたいなことばかり考えている私にとって、勇気づけられる歌だ。
夢を叶えるためには様々な力が要る。若い頃はそういう力がなくて叶えられず、忘れたと思っていたけれど、年を取って思い出したら、叶えることができるかもしれない。そんな希望を歌っている。
この歌では10年経ったと歌っているが、そこは10年でも20年でも、私のように40年でも、何でもいいのだ。何なら二度でなくても三度、四度、何回でも見ればいい。
再び夢見ることを「ベッドの中で二度寝する」ことに喩えているのが秋元康らしい。「夢を見る回数が減って大人になっていくなら 私は瞼開けながら夢を見続けられる」(『清純フィロソフィー』)と、かつてチーム4が歌ったように、夜見る夢と昼間に見る夢は違うのだが、敢えて同一視しているのが、彼らしいレトリックだ。

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