AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

4月28日指原莉乃卒業コンサートを観戦。(ときめき研究家)

2019-04-29 23:05:26 | ときめき研究家
横浜スタジアムで開催された指原莉乃卒業コンサートを観戦した。
印象に残った点を列挙する。

オープニング映像は、アイドルに憧れた小学生時代の指原の再現映像。彼女は眼鏡をかけていた。ということは、デビュー後はずっとコンタクトなのだろう。初めて知った。

1曲目は『♯好きなんだ』。HKT48メンバー全員が色とりどりの袴姿で登場。卒業式らしい演出で、皆可愛らしい。本人たちも「インスタ映え」すると言っていた。指原の近くに田島芽瑠を発見。
『ロックだよ、人生は』『早送りカレンダー』『スキ!スキ!スキップ!』『ジワるDAYS』まで一気に、ノリの良い曲が続く。指原はステージを走り回ったり、トロッコに乗ったりして、広い会場の全ての観客の近くに来て手を振って行く。

MCを挟んでユニット曲のパートに入る。誰とどの曲を歌うか、考え抜いた構成だろう。
『愛しきナターシャ』は森保まどか、松岡菜摘と。大人っぽい曲なので妥当な人選。
『初恋ヒルズ』は松岡はなと。ソロ曲だが、姉妹のように仲良く2人で歌った。
『君のことが好きやけん』をHKT48研究生 と。全員幼い。
『そばかすのキス』、 『波音のオルゴール』 を続けて多数メンバーと。この2曲は連続した物語として聴ける、通好みの選曲だ。
懐かしいイントロは『Choose me!』。峯岸みなみ、宮崎美穂、そして北原里英 が登場して、オリジナルメンバーのうち4人が揃ったと思ったが、あとで調べたら宮崎は当時チームPBの方だった。細かいことは気にしない。
『LOVE TRIP』は松井珠理奈、小栗有以、向井地美音、岡田奈々と。今後のAKBグループを支えてほしいメンバーだ。
『ハロウィン・ナイト』は白間美瑠、吉田朱里、高倉萌香、矢作萌夏、真下華穂、甲斐心愛
と。
『生意気リップス』を田中美久と。矢吹奈子が不在の中、まるで姉妹のように。間奏のセリフもそのまま。
このあたりで日も暮れて、薄暮の光の中、ステージライトが美しい。

『波乗りかき氷』を本村碧唯、上野遥、村重杏奈と披露。
Not yetの曲が続き『週末Not yet』。大家志津香が登場。北原里英も再登場。そして横山由依。つまりは大島優子ポジションに大家という訳だが、堂々とこなしていた。同じ事務所のはずの大島優子が来られない理由は不明だが、盟友大家がしっかり埋めていた。
『2018年の橋』は初めて聴いた。ベストアルバム収録の新曲だったようだ。本来の歌唱メンバーは指原、宮脇、兒玉、朝長、田島の5人らしい。不在の宮脇、兒玉を除き3人で。
その後1期生メンバーで『夕陽を見ているか?』。AKBグループにとって特別な曲の1つ。初東京ドームコンサートでもいいところで歌われていた。久々の多田愛佳が駆け付け、中西智代梨、谷真理佳も参加。参加できなかった宮脇咲良のビデオメッセージが披露された。

MCを挟んで、全体曲パートへ。『意志』『Make noise』『しぇからしか!』『ぶっ倒れるまで』。
『炎上路線』で柏木由紀登場。指原、柏木でこの曲とはブラックジョークとも取れる。
渡辺麻友がビデオメッセージで登場し、指原との思い出を語る。ビデオだけかと思わせつつ、本人が登場し『アボガドじゃね~し…』を当時の衣装で披露。1年半前、渡辺の卒業コンサートでも披露された。今日のオープニング映像のナレーションも渡辺だったことも明かされたが、自ら気づかなかったのは渡辺ファンとして不覚。
矢吹奈子のメッセージが披露され、『君の名は希望』を音声を重ねてデュエット。

MCを挟んで、指原から故内田裕也さんへのメッセージ後、映像の内田とのデュエットで『シェキナベイビー』。途中から、舞台袖からサイドカーに乗った内田?と思いきや松本人志が登場。指原との丁々発止のやり取りの後、曲の後半を歌って退場。バラエティーの世界における指原の存在感を示す演出だった。
『私だってアイドル!』『Get you!』『メロンジュース』『12秒』『最高かよ』『それでも好きだよ』とコンサートは最高潮に。

本編最後の曲の前に、特報があった。指原がHKT48への置き土産としてオリジナル公演の作詞をするというニュースだ。公演名は『いま、月は満ちる』。これはメンバーが一番喜ぶプレゼントだろう。
「オリジナル公演を一から作り上げる喜びを知らずに辞めていくメンバーが忍びない」「シングルを年1枚しか出せないようではだめだ」とは、運営批判とも取れる言葉だが、批判するより自分ができることをやるという指原の心意気を感じた。作詞もでき、プロデュース力もあり、メンバーのことも熟知している指原ならではの贈り物だ。
『今 君を想う』。HKT48独自の絆ソングだ。「ここに居られなかった3人にも本当はいてほしかった」と指原が語った3人とはもちろん、宮脇、矢吹、そして兒玉。3人の不在は大きい。しかし、逆に言うとそれ以外の主力メンバーはかなり残っていて、今回のコンサートでもそれぞれ見せ場を与えられていた。指原のきめ細かなマネジメントの一端だろう。

アンコールで登場した指原は、丁寧な謝辞を述べた。スタッフ、メンバー、そしてファンへ。噛んで含めるようにゆっくりと語った。スタッフには「メンバーの目を見てよく話を聞いて」、メンバーには「芸能界で活躍することも大事だが、優しく強い女性になってほしい」、ファンには「メンバーに優しくしてほしい」と語ったのは、NGT48のような悲しい状況になってほしくないとの思いからだろう。
アンコールは『いつだってそばにいる』『ジワるDAYS』『私だってアイドル!』。本編で歌った曲をアンコールで再度歌うのは、私は好きだ。アンコール感が強まる。
『ジワるDAYS』からは姉妹グループメンバーやゲスト参加の卒業生 も加わって豪華版だ。
指原の乗るトロッコに柏木、渡辺も同乗してニコニコしながら手を振っている。
ステージに戻って『恋するフォーチュンクッキー』では、センター指原の周りは柏木、渡辺はじめゲスト組。
次の『桜、みんなで食べた』ではゲスト組は上段のステージへ移動。指原の周りはHKT48メンバーが囲む。私の目は申し訳ないが上段の柏木と渡辺に釘付けだった。普段歌ったり踊ったりしたことがない曲なのに、柏木の「持ち歌感」が凄い。独特の身のくねらせ方はHKT48メンバーの踊りとは全く違う曲のようだ。渡辺もブランクを感じさせないアイドル的な所作が健在だった。

全ての曲が終わり、指原はゴンドラに乗り、セットの王冠の中に去って行った。

改めて振り返ると指原の11年のアイドル人生を漏れなく振り返る凝縮されたプログラムだった。前田敦子や大島優子が卒業した後、AKBグループを支えた貢献者であることは疑いなき事実だ。
多くのメンバーと絡み、Not yetというユニットも組み、ソロデビューもした。それらを丁寧に盛り込んで、3時間半にまとめていた。そう言えば「アンリレ」だけは今回呼ばれなかった。指原のソロ曲なのにアンリレ中心のカメラワークという無理のある演出は、指原本人も本意ではなかったのだろう。『意気地なしマスカレード』自体はかなりいい曲だったのだが。

また、指原自身のアイドル愛の深さを、まざまざと見せつけられた。
とりわけ新公演の作詞をするという発表には喝采した。生粋のアイドル好きが、自らアイドルを極めて、思い残すことなくアイドルを卒業する。しかしこれからも様々な形で、アイドルと関わって行くことと思われる。今後も彼女から目が離せない。


2013年から5年連続で春にはHKT48のライブを観た。6年目は途切れたが、7年目の今年はまた観られた。

2013年4月日本武道館
2014年4月さいたまスーパーアリーナ
2015年4月明治座
2016年2月代々木第一体育館
2017年4月さいたまスーパーアリーナ

コメント (1)
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HKT48『意志』はNGT48山口真帆への応援歌?まさか?(ときめき研究家)

2019-04-27 16:16:24 | ときめき研究家
HKT48のシングル『意志』は指原莉乃の卒業ソングではなかった。
AKB48『ジワるDAYS』が正統的な卒業ソングだったし、カップリング曲に何曲もあるので充分だろう。

『意志』は、昨年のベストアルバム収録の『人差し指の銃弾』を想起させるような楽曲だ。異端児と迫害されても自分の意志は変えないで生きて行くといった内容の歌詞だ。ある意味、指原莉乃の決意表明として聴くこともできる。アイドルグループの楽曲として『意志』という曲名は素っ気なさすぎる気もするが、あえてそうしているのだろう。

このような内容の楽曲は、欅坂46が得意とするものだ。『サイレントマジョリティー』『不協和音』『ガラスを割れ』。それぞれニュアンスは異なるが、いずれの曲も、周りに流されず自分の生き方を貫くといった主張を歌っている。『意志』も同様で、欅坂46が歌っても何ら違和感がない楽曲だと思う。なぜ今、HKT48がこのような曲を歌うのか。

考えていると、恐ろしい妄想にたどり着いた。
この『意志』という楽曲は、秋元康がNGT48の山口真帆を想起して作った曲なのではないか。
「一人きりでも間違っていない」「説得されたくない」「こうでしか生きられない」「失うものばかりでも歯をくいしばる」など、内部告発後、グループ内で孤独に戦って来た彼女の境遇そのものではないか(実際には理解者が3名ほどいたようだが)。
もしそうだとしたら何というマッチポンプだ。秋元康は、これまでもメンバーを厳しい状況に追い込んでおいて、それを歌詞にしてきた。突然の転勤命令で『理不尽ボール』、長期間待たせ続けて『お待たせセットリスト』、干されメンの心境を『少女たちよ』、エースを剥奪して『そこで何を考えるか?』などだ。どれも好きな曲ではなかった。

しかし、今回はグループ内のゴタゴタでは済まされない「事件」であり、それを歌詞のモチーフにするなど不謹慎の誹りを免れない。その前に実質的なトップとして事態を収束させ、彼女を救済しろと思う。だから彼もモチーフにしたなどとは絶対認めないだろうが、私は不謹慎でも創作意欲を止められないクリエーターとしての業(ごう)を見た。
あくまで私の妄想である。

妄想抜きに純粋に楽曲として聴くと、緊張感があり良い曲だと思う。
孤独でいいと言いながら、密かに思いを寄せる相手のことも歌っていて、乃木坂46『君の名は希望』にも通じるものがある。
ミュージックビデオでは指原が大きな旗を振っていて、『鏡の中のジャンヌダルク』を思い出した。
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HKT48『大人列車はどこを走っているのか?』の「僕」は何歳か?(ときめき研究家)

2019-04-20 21:39:35 | ときめき研究家
HKT48のシングル『意志』のカップリング曲にこの曲名を見つけた時、ぜひとも聴かねばと思った。この曲名は、言わずと知れた名曲『大人列車』の続編であることを明示している。

『ポニーテールとシュシュ』の続編が『Everyday、カチューシャ』で、更にその続編が『ギンガムチェック』だとか、勝手に想像して楽しめるケースはよくあるが、作り手自身が続編だと明示しているケースはそれほど多くない。松田聖子には『思い出の渚のバルコニー』『続・赤いスイートピー』という楽曲がある。さだまさしには『もうひとつの雨やどり』『関白失脚』という曲がある。そういう曲を楽しめるのは、長くファンを続けている者の特権だろう。他の歌手にもあるかもしれない。
HKT48の『大人列車』は『Green Flash』のカップリング曲だから、4年ほど前の曲だ。この間、人気曲としてコンサートなどでも頻繁に歌われて来た。その続編なのだから否が応でも期待は高まる。今回、この2曲を連続してリピート再生するという聴き方で堪能した。

『大人列車』の方から振り返ってみたい。
列車で旅立つ彼女の見送りに、「僕」はほんの僅か間に合わなかった。気持ちを告げることも、ましてや引き留めることなどできるはずもなく、ただ列車の後姿を見送り絶望を味わっていた。「大人列車 僕はまた乗れぬまま」の「また」に注目したい。今回に限らず、大事な場面で一歩踏み出せないのは「僕」の習性となっている。何かを決断して踏み出せばもう少年ではいられない。無意識のうちに「僕」はそれを避け、往生際悪くモラトリアムに安住していたのだ。
スピード感あふれる曲調と、胸を締め付けられるようなメロディーが相まって、誰にでも思い当たることがあるような青春のじたばたを歌った名曲だった。

『大人列車はどこを走っているのか?』は、その後日談だ。
彼女を見送れなかったこと、気持ちを告げられなかったこと、引き留められなかったことを彼は未だに後悔している。その後彼女とは音信不通のようだ。一人悶々と悩んでいる。
「あの日出ていった列車はどこを走る?」と問いかけているが、もちろんそれは比喩だ。彼女はとっくに目的地に到着し、新しい生活を始めている。「大人」として彼女自身の人生を歩んでいるはずだ。
「僕」の方はと言えば、未だに「大人列車」に乗ることができていない。
「君は僕を覚えているか?」という問いかけが痛々しい。とっくに忘れられていることを自分でも分かっているのだ。
曲調は『大人列車』よりはスピード感がなく、陰りを帯びていて、苦い味わいだ。これはこれで心に響く。
踏切の遮断機の効果音が入っているが、電車でイヤフォンで聴いていると現実の音なのかと一瞬錯覚し、この楽曲のリアリティーを一層高めている。

『大人列車はどこを走っているのか?』の「僕」は何歳なのだろうかと考えた。
『大人列車』が18歳だったと仮定すれば、その数年後と考えるのが自然だ。22、23歳か。

しかし私はもっと年長だと思う。35歳とか40歳でもおかしくない。
男はいつまでも若い日の恋を忘れないものだ。新しい恋をしても、結婚しても、それとは別な引き出しにしまいこんでいるのだ。「僕」は悔いが残る別れをいつまでも引き摺り、時々は思い出しては甘美な感傷に浸っているのだ。

2曲で同じ言葉を使っている点に着目した。
「若さ」は、『大人列車』では「若さとは不器用でやり残すもの」、『大人列車はどこを走っているのか?』では「僕も若くて受け止めることができなかったよ」。
「青春」は、『大人列車』では「もどかしいだけの青春」、『大人列車はどこを走っているのか?』では「青春とは何もできず持て余す果てしない線路と時刻表だ」。
この2曲の間には、現在進行形と過去完了形くらいの違いがある。この間に20年くらいの歳月が横たわっていてもおかしくないと思うのだ。

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『AKB48 SHOW』が終了。(ときめき研究家)

2019-04-13 10:25:18 | ときめき研究家
NHKで放送していた『AKB48 SHOW』が3月末で終了した。
NGT48のゴタゴタとは直接の関係はないだろうが、AKB48グループの退潮を象徴する出来事であることは否定できないだろう。
この番組はAKBグループへの愛情に溢れ、楽曲は基本的にフルコーラスで聴ける貴重な番組だった。シングルの新曲はもちろん、隠れた名曲も取り上げる真面目な音楽番組だったと思う。コンサートのレポートなども有益な情報だった。私はコントや予防接種中継などにはあまり興味なく、その代わりに1曲でも多く曲を聴きたかったが、逆のニーズの視聴者もいたと思うので仕方ない。いずれにせよ終了は非常に残念だ。

最終回で歌ったのは『少女たちよ』と『約束よ』。
『少女たちよ』は、恵まれない境遇のメンバーたちの心境を歌った曲で、押しつけがましい気がして当時はあまり好きな曲ではなかった。今回は、各メンバーが1コーラスずつソロで歌い継いでいて、結構感動した。推され、干されを問わず、全員ががむしゃらだった当時のAKBグループのことを思い出した。
『約束よ』は、渡辺麻友の卒業コンサートでも最後に歌われた曲だ。明るい別れにふさわしい選曲だ。間奏では各グループの代表が一言述べていたが、SKE48からは山内鈴蘭だったのは意外だけど嬉しかった。

最終回の1回前で、柏木由紀が横山由依に語っていたが、「最近の若いメンバーは優等生で、皆と同じでいようとする」そうだ。だとしたら、それこそがAKBグループ退潮の兆しに他ならないのではないか。
AKB48が既にトップアイドルになってから加入した子ばかりだから、ゼロから立ち上げた初期のメンバーと意識が違うのは無理からぬことかもしれない。しかし、アイドルになろうという時点で、「皆と同じ」では満足できない意識の持ち主ばかりのはずだ。言うならば「黒い羊」のはずなのだ。いや、それぞれが個性的で「黒い羊」だったり「赤い羊」「青い羊」「紫の羊」「金色の羊」「虹色の羊」・・・・・等々、それぞれが個性を主張し合うようなグループ、それがAKBグループだったように記憶している。それともそれは美化された記憶なのだろうか。
私自身の熱意が醒めて来たこともあるのだろう。今も熱心なファンには、現在も個性的なメンバーぞろいに見えているに違いない。

そんなことを考えながら、1つの番組の終わりを惜しんだ。
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AKB48『ジワるDAYS』はAKB48久々の桜ソング。(ときめき研究家)

2019-04-07 16:09:58 | ときめき研究家
指原莉乃がセンターを務めるラストシングル。奇をてらわないストレートな卒業ソングになっている。秋元康も久々に本気を出したか、しみじみと良い曲だと思う。
誰かが卒業するたびに常に全力を出して卒業ソングを作るのは容易ではない。エピソードが多く、思い入れの強い指原だからこそ、正統派の「桜ソング」が久々に産まれたのだろう。

去って行く「君」への思いを歌った歌詞で、卒業する指原がメインで歌うのは構図としては変だが、それはグループの作品なので仕方がない。卒業する側からの歌詞だと、送り出すメンバーが歌うのは変だということになってしまう。
そもそも指原の卒業を念頭に置いた歌詞ではあるのだが、新しい夢に向かって旅立っていく仲間を送る歌という普遍性があるのが好ましい。いやむしろ、指原は卒業しても器用なタレントとしてこれまでとあまり変わらない活動を続けるはずで、「自分の夢をやっと見つけた」という歌詞には違和感がある。
ここは純粋に、普遍的な桜ソングとして味わいたい。

ミュージックビデオも見た。
これまでの膨大な衣装をディスプレイした中で歌うシーンと、メンバーのオフショットを編集した、カジュアルな内容だった。『黒い羊』『風を待つ』のミュージックビデオには仰天したが、今作にはしみじみした。正にジワる作品だ。卒業に当たっては、仲間たちと過ぎた日々をまったりと思い出して語り合うだけで充分だ。


カップリング曲のうち『私だってアイドル!』こそ、指原個別の卒業ソングだ。
『それでも好きだよ』の続編と言ってもいいだろう。「スキャンダル心配かけたけど」とか「あのヒットナンバー、センター歌っていたのよ」とか、普遍性は全くない。でもこの曲は本人とファンが楽しめればそれでいいのだ。
「顔もスタイルも中の下くらいのレベル」と歌っているが、さすがにそれは謙遜だろう。「中の上」くらいは行けると思うが、彼女のファンはそういう所ではなく、発言や行動などが好き、もっと言えば人格全体を崇拝しているのだろうから、こういう歌詞が歌えるのだ。正に偶像崇拝。そういう意味で、彼女は確かに正真正銘のアイドルだった。
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