総選挙分析ライターさんの記事を事前に読まないようにして、予備知識なしに鑑賞した。
全体として見どころも多く、後味も良く、満足できた。
映画の内容は総選挙分析ライターさんの記事で紹介されているので、印象に残った場面について記す。
映画全体としては、坂口理子と上野遥の2人がクローズアップされている。
坂口理子は選抜に入ったことがない。1人の熱心な男性ファンがいて、彼へのインタビューに相当の時間を割いている。どうして彼女のファンになったのか。どのように応援しているのか。ファン仲間をどのように増やしていったのか。総選挙にかける思い。2014年の総選挙で60位に入ったのにHKT48シングルの選抜に入れないもどかしさ。
ファンの期待に応えたい坂口の思いも語られる。坂口と指原が食事をするシーンでは、選抜メンバーの予想をする会話があって、「宮脇、兒玉、指原、田島、朝長、森保、松岡、穴井、多田、矢吹、田中美久、神志那、・・・」と当確メンバーを揚げて行く。正確には憶えていないが、この順番が撮影当時の指原の中での序列だと思われ、結構リアルなシーンだ。すると残りの枠は3つか4つくらいしかなく、坂口は「狭き門」「絶対無理」と弱音を吐く。指原は「坂口には時間がない」と冷静に告げる。
そして新曲『しぇからしか』の選抜発表の場面。スクリーンに坂口の名前が表示された後の、くだんの男性ファンの表情の移り変わりがリアルだ。一瞬呆然とし、喜びを噛みしめ、やがて号泣。他の選抜メンバーの発表など一切聞いていない。そして仲間たちと満面の笑顔でハイタッチ。一般人だし、演技でああはできないだろう。まぎれもなくこの映画のハイライトシーンだ。私は生身派ではなく、握手会にも行ったことがないが、彼の心境には思わず感情移入してもらい泣きしてしまった。
上野遥も選抜に入ったことがない。「劇場の守り神」的な存在で、劇場公演の幾つものポジションをマスターしている。いつも指原のアンダーを務めており、めったに劇場公演に出られない指原は、出演直前に上野から振り入れしてもらうおかげで出演できていると感謝していた。
そんな上野に、指原は「選抜メンバーについてどう思う」「選抜に入りたいか」など、結構厳しいインタビューをする。
そして、今回のドキュメンタリー映画の主題歌を歌う選抜メンバーに上野が選ばれる。映画の中でこれだけクローズアップされているのだから、当然と言えば当然かもしれないが、喜びが溢れる。その上、歌入れの当日、何とセンターに抜擢されるのだ。「今まで諦めたり、手を抜いたりしなかったから、今回の抜擢があったと思う。」という述懐は、実感がこもっていた。
レコーディングが始まり、上野が歌い出す瞬間、そのまま主題歌とともにエンドロールが流れ出す。印象的な終わり方だ。
坂口と上野が今後も推され続けるのか、それはわからない。今回は映画を盛り上げるための抜擢という面もあるだろう。しかし、一時的にもこの2人にスポットを当てた構成、演出には、指原監督らしい思いがあり、この映画のメッセージとして強く心に残った。
宮脇と兒玉、田島と朝長、矢吹と田中美久、各世代のエースコンビには、しっかり時間を割いて描いていた。それぞれの思いと覚悟を、インタビューで指原が自然に引き出していた。その中でも、兒玉は、『初恋バタフライ』でセンターを外された時、2015年の選抜総選挙で17位となり選抜を惜しくも逃した時、悔しさを露わにする場面が目立っていた。意外だが、田島が一番しっかり自分の気持ちを語っているように思えた。
2015年の紅白歌合戦の落選が決まった夜。「私の力では足りなかった。来年は皆の力で私とらぶたんを連れて行ってください。」と話す指原、涙で言葉にならない尾崎支配人。これが映画のタイトルにもなっている場面だ。その後でメンバーが落胆している場面では、バックにインストルメンタルで『大人列車』が流れていた。良い選曲で、場面にマッチしていた。
映画のタイトルにもなっている尾崎現支配人と、現在は別セクションにいる佐藤元支配人。この2人の扱いの差は露骨だった。佐藤氏へのインタビューでは、本人も「自分では今のHKT48はなかった」と認めていたし、指原も「メンバーと話さなかった」「向いてなかった」などと過去の傷口に塩を塗るような容赦ないコメントをしていた。よほど信望がなかったのだろう。
田島と朝長が遠くの打ち上げ花火を見ているシーン。小さな音量で『僕の打ち上げ花火』。美しい光も一瞬の過去。アイドルの輝きも、一瞬後には過去になってしまう。この映画の隠れたテーマかもしれない。
指原が、あるシーンの映像を映画に使うか使わないか迷っているシーンが3回あった。普通の監督ならそんな言い訳めいた場面は出さないだろう。監督指原の迷いもまたドキュメンタリーの一部という位置付けで収録したのだと解釈した。
1回目は、指原の移籍直後に5人のメンバーが脱退した事件。ライト層には重いし、コア層にはそれをスルーするのは違和感がある。結局、「使うか使わないか迷う指原」を描くことで間接的に描いたことにした苦肉の策だったのだろう。
2回目は、「芸能人で一番のHKT48のファン」という武井壮の芸。そこだけトーンが違うと悩んでいたが「息抜き」として収録した。結構面白かったので使って正解と思う。
3回目は、『しぇからしか』の選抜メンバー選定会議の映像。指原は出席していないが、尾崎支配人、秋元康をはじめ多くのスタッフが意見を述べ合うシーンは興味深かった。しかしメンバーにとっては生々すぎるため悩んでいたが、使って正解だったと思う。指原の意見として「矢吹を一度外すのはどうか」と提起されたり、秋元康の「こういう曲には田中奈津美とかいいんじゃない」という意見が全員に無視されたり。もちろん当事者には、公開前に指原からフォローがあったはずだ。
指原莉乃監督というのが、どういう意味なのか気になっていた。
映画の撮影はHKT48発足当時から始まっていたのだから、指原が監督と言っても、どの映像を使い、どのように繋げるのかという「編集」の責任者という意味なのではないかと思っていた。
実際観てみると、監督就任後に撮影したと思われるインタビューシーンが多く、過去の映像をそこに挟みこんで使うといった構成だった。つまり、立派に「監督」していたと思う。
前述したメンバー以外にも、できるだけ多くのメンバーの可愛い映像を使おうという意図が感じられた。もちろん泣いているシーンもあったが、それを殊更に強調するのではなく、あくまでメンバーの魅力を伝えようというスタンスだったと思う。
映画に最初に登場する時に、メンバーの名前のテロップを出して、観客に名前を覚えてもらおうとしていた。顔認識が苦手な私にはありがたい工夫だが、できれば2回目にも出してほしかった。
コンサートやイベントの場面は、細切れに少しずつ使いながら、主要な楽曲は1コーラス程度聴かせるなど、バランスのいい編集だったと思う。
などなど、細かい部分にも配慮が詰まった、丁寧な作りの作品だったと思う。