AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

欅坂46『誰がその鐘を鳴らすのか?』を聴く。(ときめき研究家)

2020-08-30 19:19:44 | ときめき研究家
欅坂46としての最後のシングル曲となる『誰がその鐘を鳴らすのか?』を配信で購入して聴いた。

台詞で始まり、歌と台詞が交錯しながら進んでいくのは『世界には愛しかない』と似た構成だ。早口で観念的な歌詞を歌うのも欅坂46らしいスタイルと言える。
歌詞の内容は、大雑把に言うとこうだ。それぞれが自己主張ばかりするのではなく、他人の声に耳を傾けよう。誰もが共感できる鐘があって、その音色に皆が耳を澄ませば世界は平和になるのに。でもその鐘を誰が鳴らすのか?それが問題だ。
どの国も自国中心になっている現在の社会状況を踏まえ、世界平和を希求するメッセージソングなのだろう。
しかし、その鐘の音色を世界中の人が聞いたら、争いやわだかまりが消え、世界が平和になるなどとは、あまりに楽観的な空想だ。その鐘を鳴らす主導権争いなど意味がない、誰が鳴らしてもいいのだと歌っている。個人の主義主張や利害を超えた、人類誰もが共鳴でき、気持ちを一つにできる音色だと言うのだ。
おそらくそんなものはない。全知全能、公平無比の神などいない。どんな思想や宗教だって信奉者とアンチがいる。つまり、この歌はないものねだりの歌なのだ。それにもしそんなものがあったら怖い。誰もが従うだなんて、それは洗脳か、生物学的に遺伝子に組み込まれた本能のコントロールだろう。そんなものは欲しくない。
多分そのことを作詞家も歌い手も分かって歌っているから、全体的に暗いトーンになっているのではなかろうか。

欅坂46の最後のシングルとして、スッキリしない歌だ。
しかし、平手友梨奈というエースを失ったグループが、最後までもがき苦しんでいたことを記録した楽曲という意味合いで言うならば、スッキリしないのは必然だという見方もできる。
「僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?」という台詞に集約されている。
世界平和を願う歌詞は表向きであって、グループ内で鐘を鳴らすメンバーを待望するのが歌詞の真意なのではないかと邪推する。

世界平和を歌った曲で、鐘が出て来るというと、チームK6th公演曲『夢の鐘』を思い出す。その曲は、ミサイルが飛んで廃墟となった世界で、最後の一人になっても希望の鐘を鳴らし続けるという覚悟を歌っていた。メッセージとしてはこの曲の方が分かりやすかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

周庭さんと『不協和音』。(ときめき研究家)

2020-08-23 18:54:16 | ときめき研究家
香港の民主活動家周庭さんが当局に逮捕されて収監されていた間、欅坂46の『不協和音』の歌詞をずっと思い浮かべていたとの報道があった。その報道を見た時に、私は少し驚いた。正真正銘、生命の危機に瀕している「本物」の抵抗者に、あの歌詞が響いたのかという驚きだ。
『不協和音』の歌詞をよく聴くと、「僕」の抵抗は、自由を奪う権力者というよりも、その権力者に迎合して「同調圧力」をかけて来る周囲の人々に向けられたものだ。切実さを比べることはできないが、周庭さんの抱いているであろう危機感は、日本の若者の閉塞感よりもっとリアルな生命の危機のはずだ。しかし、そんな彼女に響いたのだとすれば、楽曲も本望だろう。

このことに関して、中森明夫氏は8月20日の朝日新聞のコラムで以下のような考察をしている。
どうせ秋元康の詞だと日本では皮肉っぽく受け止められていた歌詞が、香港の若い女性に響いた。その事実が欅坂46のファンに感動を与えた。そして今のコロナ禍の日本人にも再び響いているのではないか。
楽曲は、作り手や歌い手のコントロールを離れて、時代や状況、聴き手に対して思わぬ影響力を及ぼすことがあるということだろう。

当初はアルバム曲だったキャンディーズの『春一番』は、好評のためシングルカットされて彼女たちの代表曲になった。1971年にアイドルの夜明けを告げた南沙織の『17才』は、1989年に森高千里がカバーしたことで新たなアイドルの地平を拓いた。1970年代のフォークソング『翼をください』は、1990年代からなぜかサッカー日本代表の応援ソングになっている。
『不協和音』は元々欅坂46の代表曲であり、紅白歌合戦での過酷なパフォーマンスなどもあったが、また新たな伝説を手に入れた。

そんな未来があるかどうか分からないが、香港の自由が守られ、コロナ感染が収まり、欅坂46(グループ名は変わるが)が香港でライブをすることがあるとすれば、『不協和音』は圧倒的な感動を呼び起こすだろう。そして、アンコールでもう一度『不協和音』が歌われるとしたら、その時センターポジションに立つべき人は周庭さんその人以外に考えられない。(少なくとも紅白歌合戦の内村光良よりも必然性がある。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NGT48『シャーベットピンク』を聴く。純粋に1曲のアイドルポップとして味わえるか?(ときめき研究家)

2020-08-15 22:26:08 | ときめき研究家
1年9か月ぶりにNGT48のシングルが出た。
前作が2018年10月の『世界の人へ』。その後、2019年1月に発覚したメンバー山口真帆への暴行事件がスッキリと解決しないまま今日に至っており、グループの活動にも依然として大きな影響が及んでいる。
そんな中での久々の新曲発売である。

事件に関する運営側の不透明な動きや、ほとぼりの冷めるのを待つような態度は批判されて当然だろう。
私自身は、事件について積極的に情報収集もしていないため、真相がどうだったのか推察することはできないが、運営側が極めて不誠実だったのは間違いないと思う。何より、アイドルにとって何より貴重な「時間」を空費し、1年半以上もの間CDを出せなかったことは罪深い。
その間に、私の一推しだった「おかっぱ」こと高倉萌香も、歌唱力が素晴らしい佐藤杏樹も、私が知らない間にグループを去っていた。

しかし、とにもかくにも新曲が出た。出たからには聴かざるを得ない。運営が気に入らないから新曲を聴くことをボイコットするという考えの人もいるだろうが、私は切り離して考える。楽曲に罪はない。もしそれが素晴らしい楽曲であれば、頑なにそれを聴かないことは損失である。
そう思って、配信で購入して聴いてみた。その際、グループの現状とか、事件のこととかは思い浮かべず、純粋に1曲のアイドルポップとして味わおうと努力した。なかなか難しいことだが、私なりに純粋に鑑賞することはできたと思う。

結論を書くと、素晴らしい楽曲だった。
好きな子との久し振りの再会を歌った曲で、1年ぶりの再会を歌った『みどりと森の運動公園』と状況がよく似ている。『みどりと森の運動公園』はお互い制服姿だったが、『シャーベットピンク』は私服姿だ。彼女はシャーベットピンク色のスカートを穿いている。もしかしたら『みどりと森の運動公園』のカップルの数年後の歌なのかもしれない。
季節が速く過ぎて行くということも歌われているが、それは『青春時計』『春はどこから来るのか』に通じる内容である。
曲調も、『みどりと森の運動公園』や『春はどこから来るのか』にどことなく似ていて、躍動感と若々しさに溢れている。電子ピアノと男性コーラスが大活躍するサウンドもNGT48っぽい。
イントロからサビのメロディーが使われていて、この曲はサビが命だ。大サビ部分も、テンポをスローダウンさせてはいるがサビと同じメロディーだ。サビの中間に入る電子ピアノの「ジャジャジャン・ジャジャジャン」という合いの手が印象的だ。

歌詞を深読みすると、明らかなダブルミーニングが込められている。
「元気だったかい? 何をしてたの? 久しぶり」
これは歌詞中の彼女への呼びかけであるが、あからさまにファンへのメッセージにもなっている。いや、どちらかと言えばファンからメンバー達へかけたい言葉だろう。そしてそれへの答えはない。
タイトルの『シャーベットピンク』はスカートの色ということだが、何か深い含意があるのではないかとあれこれ考えた。そもそもそんな色の名前があることを初めて知った。シャーベットのように淡いピンク色ということなのか。つまり桜色?『青春時計』で、桜の花びらが散る中、スカートを揺らしながら走って行く彼女のイメージにも重ねているのかもしれない。
それとは別に、松田聖子の『ピーチシャーベット』という曲を連想してしまう。「桃のシャーベット」だからほとんど同じだ。その曲は、2人でプールに行った帰りにピーチシャーベットを食べているが、一向に口説こうとしない彼に痺れを切らしているという歌だ。松田聖子が得意とした、内気な彼を誘惑するパターンだ。『シャーベットピンク』とは、歌詞の内容に共通性はない。

総合的に、NGT48の過去の名曲のモチーフを活用しながら、久しぶりのシングルらしいメッセージも込めた巧みな作品になっている。状況に応じた楽曲づくりは、秋元康の得意とするところだ。マッチポンプとは言わないが、引き続き苦境に立っているNGT48にとって、考えうる最良の楽曲だと思う。

一方カップリング曲に『絶望の後で』という曲があり、これこそマッチポンプの自己言及ソングのようだ。
購入はしたものの、気分が悪くなりそうで、まだじっくり聴いていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アイドル出身だったと見えない」ことは「うれしい」ことか?(ときめき研究家)

2020-08-08 18:10:30 | ときめき研究家
8月8日の朝日新聞朝刊の芸能欄に、元乃木坂46の西野七瀬のインタビュー記事が載っていた。その冒頭部分が気になった。

「え、元々アイドルだったの?」アイドルグループ乃木坂46を卒業して以来、共演者に何度かこの言葉をかけられた。「なんだかちょっとうれしくて」。照れくさそうにほほ笑むその瞳には、過去よりも、もっとまぶしい未来が映る。

短いインタビュー記事は必ずしも正確ではないだろう。記者の主観が入り、記者が作り上げたストーリーに沿った発言を拾われ、本人の本意と異なる記事になってしまうこともあるだろう。
そういう前提は承知の上だが、残念だと思った。「アイドル出身だったと見えない」ことは「うれしい」ことなのだろうか?

そもそも「え、元々アイドルだったの?」という言葉をかけた共演者の意図は何だろう。
1.元々アイドルだったとは思えないくらい、可愛くないね。
2.元々アイドルだったとは思えないくらい、演技がうまいね。
3.元々アイドルだったとは思えないくらい、大人っぽいね。
4.元々アイドルだったとは思えないくらい、礼儀正しいね。

1.ということはないだろう。1.だとしたら言われて嬉しいわけがない。
2~4のどれかだと思うが、その発言の背後にはアイドルを一段低いものとみなす価値観が垣間見える。アイドルは演技などできない。アイドルなんてしょせんガキ。アイドルは礼儀知らず。そんな風に思ってるのだ。そう思う人がいることは仕方がない。

しかし、それを言われて「なんだかちょっとうれしくて」と感じる西野にがっかりする。
自分はアイドルという低い存在より一段上だと見られたから嬉しいのは、西野自身がアイドルは一段低いものと思っているからだと解釈してしまう。
仮にそう思っていないとして、先輩である共演者に対して「アイドルだって演技が上手い子もいるんですよ」とか反論しろとは言わない。そういう立場ではないだろうし、今の自分の立ち位置を確保することで精一杯なのはわかる。その場では「うれしいです」と言ってやり過ごすことは必要だろう。

でも、朝日新聞の取材時に、わざわざそれを披露する必要があるだろうか。
その記事を読んだアイドルファン、乃木坂46ファン、それから乃木坂46の後輩たちがどう思うのか、想像力が欠如している。
それとも、朝日新聞の記者がアイドルを一段低く見る考えの持ち主で、それに反論もできず、その意図に迎合するようなエピソードを言わされてしまったのだろうか。

ドラマ『あなたの番です』『アンサング・シンデレラ』で重要な役を与えられて、今が大事な時期なのだろう。AKBグループや坂道グループの卒業生たちが、それぞれ芸能界の厳しい競争に臨んでいる中、活躍する卒業生が大勢出ることは、現役メンバーたちのモチベーションになる。
そういう意味で西野の活躍は喜ばしいことだが、せっかく上がったモチベーションを下げることがないよう、発言にも気を付けてほしいものだ。

(追伸)すごく好意的に解釈して、5番目の選択肢をひねり出した。
5.元々アイドルで素晴らしい活躍をして人気もあったのに、そういう過去の栄光はすっぱり忘れて、今は全く違うフィールドで新人のような気持で取り組んでいるね。
これだったとしたら、喜んでもいいかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乃木坂46『Route246』を聴く。小室哲哉作品の思い出。(ときめき研究家)

2020-08-02 16:07:17 | ときめき研究家
乃木坂46の新曲。配信限定発売。
今回の曲の注目点は、やはり小室哲哉作曲ということだろう。
小室哲哉は一時期のJ-POP界を席巻したが、アイドルへの提供楽曲は意外に少ない。
当時から私が好きだった曲は以下の3曲だ。

『Follow me』(沢口靖子/1988)。
今ではすっかり京都府警科捜研のオタク技師だが、まだ彼女が清純派若手女優だった頃の楽曲。女優の余技として歌うには明らかに難しすぎる歌だった。それでも「夜のヒットスタジオ」でも生歌を披露し、強烈な印象を残した。安田成美の『風の谷のナウシカ』に比肩する。女優としての演技力と、歌手としての表現力は別物だということがハッキリ分かった。薬師丸ひろ子などは例外だ。
それでも私は『Follow me』という楽曲と沢口靖子の歌唱がずっと好きだった。こんなに頼りなくたどたどしい風情で「付いて来い」と言われたら、心配で付いて行くしかないではないか。
小室哲哉独特のポジティブな節回しやサウンドが心地よく、沢口靖子の絶妙な歌唱と奇跡的なマリアージュが実現している。狙ってできるものではない。

『愛を今信じていたい』(堀ちえ/1987)。
堀ちえみのアイドル時代最後の作品。何か吹っ切れたような爽やかな歌唱だという印象があった。
作詞は秋元康。「あなたがいなくても一人じゃない」。どうとでも取れるような曖昧な歌詞の中に、旅立ちの決意を滲ませている職人技は認めざるを得ない。彼はこの頃から今まで何曲卒業ソングを書いたのだろうか。
小室哲哉の曲調とも非常にマッチしていて、最後にいい曲を与えられて良かったなという感想を抱いたことを思い出す。

『ドリームラッシュ』(宮沢りえ/1989)。
まだヌード写真集も発売していない頃、満を持して発売されたデビュー曲。普通のアイドル歌手とは違うのよと言わんばかりに、差別化された力作だ。
イントロからじわじわと期待感が募って行くようなサウンド。同時代の少女たちへの応援歌と言うべき歌詞と小室サウンドがシンクロして、素晴らしいクオリティーの楽曲だった。
歌唱は、技術的には決して上手ではない。でも、彼女の勢いと、圧倒的な可愛らしさの前には些細なことだ。アイドルポップの黄金期である1980年代の最後を飾る名曲とさえ言えるだろう。

小室作品のヒット曲としては、小泉今日子『Good Morning-Call』(1988)や中山美穂『JINGI・愛してもらいます』(1986)『50/50』(1987)があるが、実は当時は小室作品だという認識がなかった。今思うと彼らしい節回しは感じられるが、当時は小泉今日子や中山美穂のヒット曲の1つとういう認識でしかなかった。そこまで作家性を主張していなかったのだろう。

そして2020年の今、乃木坂46『Route246』である。
それなりの期待をして聴いたが、辛口の評価をせざるを得ない。
「小室哲哉が久しぶりにアイドルに提供した楽曲」という期待には充分応えている。イントロのシンセサイザーからして、いかにも「らしい」曲づくりだ。節回しも小室らしい、どこかで何回も聴いたようなメロディーの連続だ。それは悪いことではない。小室らしい楽曲を安心して堪能できた。
一方で、期待を裏切る「何か」が全くない。
特に歌詞がよくない。半分以上が英語で、そのうち半分が「WOW WOW」だ。日本語部分を一所懸命聴いても、何を言いたいのかほとんど分からない。そもそもタイトルに必然性がない。国道246線が舞台なのだろうが、246号線のどの辺なのだろうか。渋谷なのか、厚木なのか、それとも沼津か?「ヘッドライト」「ショウウインドウ」「この通りで誓ったことを」などのヒントはあるものの、車に乗って走っているのか、歩いているのかさえ読み取れない。何となく、自分らしくポジティブに生きて行く決意を歌っているのだろうなとは分かる。そしてそれは乃木坂46得意の世界観だし、小室哲哉作品と親和性が高いテーマでもある。
小室が曲調を変えることはないし、それを求めるのでは彼に依頼する意味がないのだから、歌詞の方に期待を裏切る一工夫がほしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする