僕も、新聞,週刊誌、まぁ、テレビも一緒だなぁ…って、思ってる方なので、マスコミのいやらしさ,危うさには、日頃から思うところがあります。
でも、新聞は、名前などの固有名詞や数字的な間違いが、ほとんど無い?ので、その点に関しては、他とは少し違うのかな?…あ、でも、その分、"ペンの正義" "ペンの暴力"の威力はあるか…?
でもね、僕、世の中の情報って、(全部ひっくるめて)"半分ホントで、半分ウソだと思ってる。まぁ、東スポなんか、テレビ欄だけが、ホントで、あとは、全部ウソっぽいから…あれは、特別なのかな?…いや、どうかな?
とにかく、これからは、こちら側も、本当の事を見抜く能力が、必要になってくると思うんだよね。
以前(わりと最近だけど)、野村克也監督が、"何故、古田敦也だったのか?"という質問に答えていた記事を興味深く読んだ。まさに、"情報をどうとらえるか?"という内容。
"あの、キャッチャーってね、事前に情報をできるだけ集めなきゃダメなんですよ。日本シリーズなんて、短期間で、本当に大変なんだから…。
で、得た情報を生かせないのが、三流。得た情報を時々生かせるのが、二流。そして、得た情報をゲームの中で、時には、増やしたりしながら、自分の中で、どんどん変化させていき、その上で必要がないと判断した情報を、どんどん捨てていけるのが、一流。
それで、92年,93年の日本シリーズだったかなぁ?
古田は、その上をいってた…つまり、情報を全て把握した上で、ピッチャーが、その1球を投げる直前に、相手監督の,相手コーチの,ランナーの,バッターの(いつもと少しだけ違う)動作,仕草,目線…その異変を感じ取り、時には、『これは、三味線なのか?(ウソなのか?)どうなのか?』を冷静に判断した上で、一瞬にして、全ての情報を捨て去れる勇気,決断力があった。
古田は、感じまくってたんだよ…あの時。
ただ、彼はね、ピッチャー的性格なんですよ。目立ちたがり屋…。だから、そこさえ直せば…って、いっつも…(略)"
尚、この後、しばらくの間、古田へのボヤキは続いたらしい…。
この時、僕は、思ったんだよね。"まず、ノムさん、古田も引退してるんだし、もう、いいじゃん。 それに、あんたも、もう、楽天の監督じゃないんだから…" でも、同時に、こうも思ったんだ…"この人、まだ、全てが思い出になってないんだな。まだまだ、情熱は、消えてないんだな"ってね。 そして、何より、情熱分析力,活用術に関して、物凄いと思ったんだよね。
あと、情報解析に関して、多方向から見る事も、結構、大事だなぁって思う。
実は、僕が、こう思うようになったのは、昔やってた、「ラ・セーヌの星」というアニメがキッカケなんだ。
このアニメは、フランス革命当時のヨーロッパが舞台となっていて、最初は、民衆目線で、物語が進んでいくんだけど、途中から、明らかに、王妃マリー・アントワネット&貴族目線に切り替わる、極めて珍しいタイプの作品。
そして、物語の最終回近くで、ふと思ったんだよね。"物事を片方の側だけから見る…って、おそろしい"って…。
同時に、目の前にある日本史の教科書を見ながら、"もし、この教科書の内容が、半分ウソだったら? 全部ウソだったら?"って、思ったんだよね。その頃からかなぁ? 世の中の全ての事、1つの方向だけから見るのは、(できるだけ)よそう!と思うようになったのは…。
"半分ホント…半分ウソ"…これが、僕の情報に対する考え方の基本になった。
だから、僕は、新聞でも、サイゾーでも、何でも…1度、自分の中に入れた上で、どんどん捨てるようにしています。そして、"捨てきれるだけの何か"を持っていたい!って、いつも思ってる…難しいけどね。
同じように、AKBやメンバー個々の情報に関しても、全部、1度は、入れる。 けど、その子のインタビューでの答え方,態度,目線、そして、実際の握手会での2秒で、どんどん判断しちゃう。
全て、わかるよ…その子の本質なんて。本物じゃない場合は、すぐにわかる。そして、それを見抜けるように、いつも、自分自身を磨いておこうとか思っています。
でも、新聞は、名前などの固有名詞や数字的な間違いが、ほとんど無い?ので、その点に関しては、他とは少し違うのかな?…あ、でも、その分、"ペンの正義" "ペンの暴力"の威力はあるか…?
でもね、僕、世の中の情報って、(全部ひっくるめて)"半分ホントで、半分ウソだと思ってる。まぁ、東スポなんか、テレビ欄だけが、ホントで、あとは、全部ウソっぽいから…あれは、特別なのかな?…いや、どうかな?
とにかく、これからは、こちら側も、本当の事を見抜く能力が、必要になってくると思うんだよね。
以前(わりと最近だけど)、野村克也監督が、"何故、古田敦也だったのか?"という質問に答えていた記事を興味深く読んだ。まさに、"情報をどうとらえるか?"という内容。
"あの、キャッチャーってね、事前に情報をできるだけ集めなきゃダメなんですよ。日本シリーズなんて、短期間で、本当に大変なんだから…。
で、得た情報を生かせないのが、三流。得た情報を時々生かせるのが、二流。そして、得た情報をゲームの中で、時には、増やしたりしながら、自分の中で、どんどん変化させていき、その上で必要がないと判断した情報を、どんどん捨てていけるのが、一流。
それで、92年,93年の日本シリーズだったかなぁ?
古田は、その上をいってた…つまり、情報を全て把握した上で、ピッチャーが、その1球を投げる直前に、相手監督の,相手コーチの,ランナーの,バッターの(いつもと少しだけ違う)動作,仕草,目線…その異変を感じ取り、時には、『これは、三味線なのか?(ウソなのか?)どうなのか?』を冷静に判断した上で、一瞬にして、全ての情報を捨て去れる勇気,決断力があった。
古田は、感じまくってたんだよ…あの時。
ただ、彼はね、ピッチャー的性格なんですよ。目立ちたがり屋…。だから、そこさえ直せば…って、いっつも…(略)"
尚、この後、しばらくの間、古田へのボヤキは続いたらしい…。
この時、僕は、思ったんだよね。"まず、ノムさん、古田も引退してるんだし、もう、いいじゃん。 それに、あんたも、もう、楽天の監督じゃないんだから…" でも、同時に、こうも思ったんだ…"この人、まだ、全てが思い出になってないんだな。まだまだ、情熱は、消えてないんだな"ってね。 そして、何より、情熱分析力,活用術に関して、物凄いと思ったんだよね。
あと、情報解析に関して、多方向から見る事も、結構、大事だなぁって思う。
実は、僕が、こう思うようになったのは、昔やってた、「ラ・セーヌの星」というアニメがキッカケなんだ。
このアニメは、フランス革命当時のヨーロッパが舞台となっていて、最初は、民衆目線で、物語が進んでいくんだけど、途中から、明らかに、王妃マリー・アントワネット&貴族目線に切り替わる、極めて珍しいタイプの作品。
そして、物語の最終回近くで、ふと思ったんだよね。"物事を片方の側だけから見る…って、おそろしい"って…。
同時に、目の前にある日本史の教科書を見ながら、"もし、この教科書の内容が、半分ウソだったら? 全部ウソだったら?"って、思ったんだよね。その頃からかなぁ? 世の中の全ての事、1つの方向だけから見るのは、(できるだけ)よそう!と思うようになったのは…。
"半分ホント…半分ウソ"…これが、僕の情報に対する考え方の基本になった。
だから、僕は、新聞でも、サイゾーでも、何でも…1度、自分の中に入れた上で、どんどん捨てるようにしています。そして、"捨てきれるだけの何か"を持っていたい!って、いつも思ってる…難しいけどね。
同じように、AKBやメンバー個々の情報に関しても、全部、1度は、入れる。 けど、その子のインタビューでの答え方,態度,目線、そして、実際の握手会での2秒で、どんどん判断しちゃう。
全て、わかるよ…その子の本質なんて。本物じゃない場合は、すぐにわかる。そして、それを見抜けるように、いつも、自分自身を磨いておこうとか思っています。