続「Cincyシンドローム」シンディの覚悟を尊敬します(ときめき研究家)
前回の記事は、放送を聞いた直後の高揚した気分で書いたが、一晩明けて冷静に考えたことを補足する。
「落ち込んだ時期もあったが、今は・・・・」という発言から、SDN専任の話は、かなり前から言われていたことが推測される。おそらく、SDNに参加することが決まった時点で、近い将来のSDN専任(=チームBからの卒業)を言い渡されたのだろう。
そして、その現実を消化するためには、相当の時間が必要だったこともうかがえる。
それを思えば、シンディと比較すれば年端もいかぬAKBのメンバー達が、武道館でいきなりチーム再編を告げられて、すぐには受け入れられないのは無理もない。
「チーム再編の目的や効果は理解できなくもないが、その発表方法は乱暴すぎた。」との批判はもっともだと思う。多くのファンの立場からも、嬉しいサプライズではなく、折角の武道館コンサートの後味を悪くしただけのものだったと思う。
「どこにいても私は私。夢に向かって頑張る。私はそう決めました。」前回の記事では「私がそう決めました。」と書いたが、正確には「私はそう決めました。」だった。「が」ではなく「は」にどういう意味があるのか。
①他のメンバーはどうか知らないが、私は覚悟を決めたという宣言。
②ファンの間でも今回の組閣にはいろいろな評価があるが、私は割り切ったという宣言。
③運営側の真の狙いが何かに関わらず、私はこういう意味合いで受け止めているという宣言。
どれも考えられるが、③の意味合いもあるのだろう。
メンバーの能力発揮なのか、チームの戦力均衡化なのか、各チームのマンネリ打破なのか、研究生の一斉昇格なのか知らないが、またシンディ本人にどういう説明がなされたのか分からないが、運営への不信・不満は払拭できない。しかし、そんなこと言っても仕方がない、自分の中での動機付けはこうなんだという強い主張を、「は」の一文字に感じた。
ファンである私の動機付けは、以下のとおり。
シンディがチームBを卒業したのではなく、チームBがシンディから卒業するべき時期が来たのだ。
チームB立ち上げのために移籍し、リーダーとして奮闘した。ダンスは誰よりもダイナミック。MCでは自ら道化を演じ盛り上げた(これは性分の目立ちたがりもあるだろうが)。ユニット曲でなかなかセンターがなくても、チームBの精神的支柱であったことは衆目の一致するところだろう。
『初日』が1位を取り、ユニット曲も上位に多数入ったことで、『パジャマドライブ』公演が圧倒的に支持されたことを証明し、シンディの所期のミッションは完了した。AXでの「このメンバーではこれが最後」という檄は、そのまま8ヶ月後の予言になっていたのだ。
そして『アイドルの夜明け』公演が、シンディの花道になるはずだった。しかし、公演開始直後の怪我による長期休演、その後もドラマやラジオの仕事により休演がち、という状況から、期せずして「チームBのシンディからの卒業」は早まった。
そして、たまたまユニット再編というイベントも同時期に重なった。
これが私の整理である。
ラジオを聞いて気づいたこと。
自分の母親のことを「おかあさん」と言っていたが、オヤジ世代から見ると、そこは「母」と言ってほしい。そんなことは百も承知で、若いリスナー向けに、堅苦しくならないように「おかあさん」と言っているのであれば、余計なお世話かもしれないが。
もう1点、「選抜は『ばんねん』の願いだった」と言っていたが、『晩年』は人生の終盤の意味で、意味を誤解しているのではないか。『長年』または『積年』が適当と思う。それとも、AKB卒業を踏まえて、AKB時代の終盤という意味で敢えて使っているのなら、得意の自虐ネタだが。
重箱の隅をつつくあら捜しをしているようで心苦しいが、立ち止まらずに頑張るシンディのために、少しでも役に立てばという老婆心である。(本人がこれを読む訳ではないが。)
DJそのものは、とても上手だと思った。二回りも違う私にとっては、少し気恥ずかしい思いもあるが、年下の十代のリスナーにとっては「元気でお茶目なお姉さん」といった設定だろうか。
もともと私は「生身派」ではなく「企画派」である。生身のアイドル本人に恋するのではなく、アイドルの作り出すパフォーマンス(企画)を鑑賞するのがスタンスである。ラジオのDJもパフォーマンスには違いないが、CDや舞台公演よりは、生身に近いところがある。それもあってDJは、他のアイドルも含めあまり聞いたことがなかった。
今回は高校時代以来だ。
でも、プロとしてのシンディの覚悟を聞くことができて、よかった。