AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

乃木坂46『チートデイ』を聴く。実は『ポニーテールとシュシュ』と同じ歌? (ときめき研究家)

2024-09-29 19:03:46 | ときめき研究家
「チートデイ」が分からなくて調べたら「ずる休み」のこと。ダイエット中だけど今日だけは甘いものを許すような時にも使うようだ。
AKBグループや坂道グループの楽曲で流行語を知ったことは多い。『フライングゲット』を初めとして、『オキドキ』『(いきなり)パンチライン』『シュートサイン』『サステナブル』『ジワる(デイズ)』『(君)しか勝たん』『インフルエンサー』『BAN』などなど。今回の「チートデイ」も若者中心に普通に使われている言葉なのだろう。勉強になる。

一聴すると、授業をサボって彼女と2人でバイクに乗って海に行くハッピーな歌だ。ラップ調フレーズで始まり、同じラップ調フレーズで終わる。ノリノリの夏ソングだと思って聞いていたら、ところどころ引っ掛かりを感じ始める。
勝手なイメージだと、「今日は学校サボろうぜ」と、朝から彼女と一緒に海を目指したのだと思ったがそうではない。そもそも2人は学校が違う。彼女は女子高に通っていて、そこに迎えに行き、彼女を連れ出さなければならない。結構ハードルが高そうだ。その前に、まず自分の学校を途中で抜け出さねばならないが、「チャイムが鳴るまで我慢」して休み時間に脱走しているあたり小心だ。そんなことで、女子高の校門の外からバイクのエンジンを吹かして、何事かと窓から顔を出した生徒たちの中の1人に「出て来いよ」と叫ぶような真似ができるのだろうか? まあそれは漫画や映画の中だけだとしても、スマホで授業中の彼女を呼び出すのだろうか?
「初めて会った春色通学路 ずっと夢見てた」とのフレーズに至っては、本当に彼女と付き合っているのか?という疑念を抱く。夢見てたけど今はラブラブ、という可能性もあるが、今もまだ夢見ているだけという気がしてならない。
「君の水着がまぶしすぎて 幻想ばかりじゃ寂しくなる」がダメ押しだ。「君の水着」は幻想に過ぎず、せめて女子高の柵越しにでも彼女の姿を一目見たいという歌なのではないか? そう、この歌もいつもの妄想恋愛ものなのだ。
同じクラスの彼女に片思いして、一緒に海に行くことを妄想していた『ポニーテールとシュシュ』と全く同じなのだ。「水しぶき跳ね上げて波打ち際を走りたい」というステレオタイプな歌詞がそれを暗示している。
同級生ではなく女子高の憧れの彼女であること、自分は一応教室を抜け出していることは進化しているが、構図は全く変わらない。

ところで曲中でメンバーの一人が「ごめんなさーい」と叫ぶ。ごめんと言いながら本気で悪いとは思っていない、まさに「チートデイ」の気分を表していて秀逸だ。その一言が、歌詞の中でどういう意味を持っているか考察してみた。
1. 女子高生を代弁し、彼と一緒に海に行くことを「ごめんなさーい」と謝っている。
2. 彼を代弁し、妄想で彼女と一緒に、本当は一人で海に行くことを「ごめんなさーい」と謝っている。
3. 女子高生を代弁し、彼の妄想には応えられないことを「ごめんなさーい」と謝っている。
4. 歌詞とは関係なく、それぞれの「チートデイ」を楽しむことを「ごめんなさーい」と謝っている。
どう解釈するかは聴き手の自由だが、私は3.と4.のダブルミーニングだと解釈している。
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三宅香帆『「好き」を言語化する技術』を読む。「推し」語りは自分語り。(ときめき研究家)

2024-09-21 13:55:56 | ときめき研究家
本屋で偶然見かけて購入、何度も膝を打ちながら読んだ。ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でバズり中の著者は、アイドルや宝塚のファンということだ。
「推し」のことを話したり書いたりしたいのに、「やばい」しか言葉が出てこない。上手に伝えられない。そういう人へのアドバイスが親切に書かれている。
私も好きなアイドルの楽曲や、映画、ドラマ、本などについてこのブログに書き続けている。その際、どう書いたら正確に表現できるか、どう書いたら読者に伝わるか、いつも四苦八苦しながら書いている。上手に書けたと100%満足できる記事はそんなにはない。何か違う、表現しきれていない、もう少し何とかならないかと思いながら、どこかで妥協して掲載するのが常だ。その過程もまた楽しくもあるのだが、何かヒントがないかと思い読んでみた。

「好き」は移ろいやすいから、言葉にして保存すれば自分の中で残っていく。
ありきたりな表現(クリシェ)を避け、自分だけの言葉で表現することが大事。
「好き」を具体的に細分化したり、妄想を広げたりするとオリジナルな表現になる。
一番重要で難しいのは「書き出し」。そこにはいくつかのパターンが使える。
等々、日頃私がなんとなく無意識に実行していることを、ズバリと言語化して示してくれている。何だかお墨付きをもらった気がして安心する。

特に共感したのは「自分の感想を書き終えるまで他人の評価は見るな」というアドバイスだ。知らず知らずのうちに他人の評価が自分の感想を上書きしてしまうリスクは恐ろしい。
このことは以前、私も記事にしたことがある。
「自分の目で見たものしか信じない」
2015年のプロ野球ドラフト会議で、当たりくじを引いていたのに自分で確認せず外れと思い込んだ阪神の金本監督を題材に、他人の評価に影響されず、自分のピュアな感想を護ることの難しさを書いた。その思いは今も変わっていない。
(気になって調べてみたが、件のドラフト会議を経て阪神に入団した高山俊選手は、阪神で8年間プレイした後、2024年度から新設されたオイシックス新潟に入団して現役を続行している。なぜだか頑張ってほしい気持ちになった。)

「推し」を語ることは自分を語ることでもあるという論旨にも激しく共感した。真実だと思う。
自分の書いたブログ記事の最も熱心な読者は未来の自分だと思って書いている。現に、過去に800編以上書いた記事を折に触れて読み返している。
ブログにはアクセス分析機能があり、最近アクセスが多かった記事が示される。すると時々、何年も前の、自分でも忘れていたような記事がなぜか上位に来ることがある。それを読んで、当時の自分自身に再会できるのが嬉しい。と同時に、世界のどこかで、何人かがその記事にアクセスしてくれたということで、それは本当にありがたいことだと思う。心から感謝します。
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NGT48『一瞬の花火』を聴く。櫻坂46『桜月』の姉妹曲と解釈。(ときめき研究家)

2024-09-14 17:40:22 | ときめき研究家
『一瞬の花火』(NGT48)。
昔「恋は遠い日の花火」というウイスキーのCMがあったことを思い出す。
今「僕」はひとり。学生時代に付き合っていて、一緒に花火を見た「君」のことを今も忘れられずにいる、要するにそんな内容の歌だ。
2人が別れてしまった理由は「別々の道を歩き始めたお互いのために言ったサヨナラ」と抽象的に描かれているが、離れた場所に就職したとか進学したとかそういう事情を想像する。しかし彼はその別れを後悔していると歌う。後悔するくらいなら別れなければよかったではないか、遠距離恋愛でも何でもいいから続ける努力はしたのか、そう突っ込みたくもなる。でも、その時は続けられる自信がなかったのだろう。
迷って選ばなかった方の未来を妄想しては後悔する、その気持ちはよくわかる。でも戻ってやり直したいということでもないのだろう。当時「君」と一緒に歩いて花火を見た「公園通り」を、今は一人で歩いて感傷に浸ることで充分なのだ。

花火は美しいが、一瞬で消えてしまい後には何も残らない。その儚さがゆえに、かえって深く記憶に刻まれる。
AKBグループには『僕の打ち上げ花火』という初期の名曲がある。メンバーが劇場公演で浴衣を着て歌っていたことを思い出す。しかし、その時に見たメンバーはもう誰もグループに残っていない。
「打ち上げ花火は悲しいね 儚なすぎて 美しい光も一瞬の過去」。恋と同じように、アイドルの輝きも一瞬だからこそ深く記憶に刻まれる。

最近、この曲とよく似た曲を聴いた気がして、考えたら櫻坂46『桜月』だった。櫻坂46に改名して以降の代表曲と私は思っている。
その曲は、卒業して上京する「君」に心を告げることもなく別れてしまう「僕」の心情を歌っている。ここでその心情を投影しているのは散っていく桜の花だ。花火と同じように、短い時間で散っていく桜の儚さを、移ろいゆく心に重ねて描いている。
『桜月』の数年後の歌が『一瞬の花火』だと勝手に解釈して楽しむこともできる。
何より、曲調が似ていると感じる。ピアノが印象的なサウンドに、緊張感のあるメロディーが乗せられている。

歌詞の中で「シダレヤナギ」(NMB48)、「坂道の途中」(欅坂46『乗り遅れたバス』など)、「将来の夢を語り合った」(渡辺麻友『三つ編みの君へ』)など、AKBグループ、坂道グル-プ関連の楽曲のモチーフを連想させるワードも忍び込ませてある。「公園通り」は『109』『渋谷からPARCOが消えた日』を連想させるが、渋谷の公園通りから花火は見えないので、たぶん新潟にある「公園通り」なのだろう。
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