AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

NMB48『ワロタピーポー』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2018-01-27 11:47:34 | ときめき研究家
『ワロタピーポー』。
欅坂46『不協和音』と同じくらい衝撃的な問題作だ。
『不協和音』は蔓延している同調圧力に対して「僕は嫌だ」と叫ぶストレートなレジスタンスソングだが、『ワロタピーポー』は現代社会の闇を偽悪的に礼賛するひとひねりした風刺曲と言えるだろう。
サウンドは全盛期のTMネットワーク風で、格好いい曲調だ。
ところが歌詞は毒が満載。炎上しないように気を付けて、目立たないように、匿名で安全なところから石を投げろと歌う。正義やモラルなど捨てて逃げ回り、何もしない傍観者であればリスクもないと説く。そんな人生を内心疑問に思いながらも、深く考えず謳歌しているという佇まい。ストレートに「僕は嫌だ」と言えない弱い大衆の屈折した心境を歌っているのだと思う。
そんな歌詞とは無関係に、カラフルな衣装で楽しそうに歌い踊るメンバーは魅力的だ。モーニング娘。の『LOVEマシーン』すら彷彿とさせる吹っ切れたパフォーマンスだ。

『普通の水』(チームBⅡ)。
フォークソング調の心地よいサウンドは、SKE48『寡黙な月』を思い出させる。その曲は少女の純情を歌っていたが、『普通の水』はくたびれた中年男のセンチメンタリズムを歌っている。
路地裏のラーメン屋で、食べ終わってコップの水を飲んだら美味しくて、昔の彼女のことを思い出して切なくなっているという内容だ。些細なことで人生の意味とか喜びとかを感じてしまうのは中年男の特徴で、大いに共感できる。また、彼女にちゃんと好きだと言えばよかったと後悔しているのは、AKBグループの楽曲ではおなじみのことで安定感がある。
NMB48のメンバーがこの歌詞に共感できているのかどうかは分からないが、これぞ創作上のリアリティと言えるだろう。

『もう一度、走り出してみようか?』(城恵理子)。
NMB48のメンバーについて詳しくないが、城恵理子のことは少し知っている。
2011年に加入してすぐに次期エース候補として期待されたが、2012年に脱退。ところが2013年に研究生として再加入し今日に至っている。その詳しい経緯はわからないが、いろんな葛藤があったことは想像できる。この曲はそういう彼女の境遇をそのまま歌ったような歌詞だ。「あの頃は迷っていた」「休んでいる間にみんな先に行った」が、「今度こそ音を上げない」「今なら全力でゴール目指せる」といった具合だ。
まさに楽屋落ち。こういう歌詞は、私は好きではないが、彼女のファンには受け入れられるのだろう。しかし、再加入した決意表明としては遅すぎる。穿った見方をすれば、須藤凛々花の脱退、太田夢莉の休養と、次期エース候補の想定外の事態に、改めて城恵理子に白羽の矢が立っているのかもしれない。
確かにかつての彼女には、ただものではないオーラを感じた。研究生時代の小嶋真子のような、味付けされていない素材のみで勝負できる魅力を感じた。(城恵理子に言及した当時の記事1
最近の城恵理子のパフォーマンスをじっくり見たことはないが、この曲を聴く限り、かつてのようなオーラは感じない。しかし、やや平板で押し出すような声は平嶋夏海的で、これはこれで特徴的だ。アイドルの輝きは一瞬だが、二度目の一瞬があるのか、期待したい。

以上の3曲は強く印象に残った。

『どこかでキスを』(チームN)。
かつてのチームN曲『恋愛ペテン師』にも似ているサウンドだ。
「どこかで会ったことがある?」というのは古典的なナンパの手法だが、まあそんな内容の歌詞だ。初めて入ったはずの酒場で、どこかで会ったような気がする男に「1回くらいキスしたっけ?」と問いかける女の歌だ。不思議なムードのある曲だ。

『本当の自分の境界線』(チームM)。
自由を求めて境界線を越えて行った制服の彼女を引き留められなかった後悔と、少し羨ましく思う心情を歌っている。この歌詞の語り手は誰なのか。私は、高校の生活指導の若い教師だと想像した。本当は引き留めなければいけないけど引き留められない、自分自身の葛藤と、彼女への仄かな恋愛感情を消化できず、悶々とした気持ちなのだろう。それが彼自身の境界線なのだ。

『自分の色』(2期生)。
2期生の誰かの卒業ソングだと思われる。おそらく3月に卒業することを発表した矢倉楓子なのだろう。
彼女が、歌詞にあるように、グループの周りに合わせて自分の色を出せていなかったのかどうかは分からないが、これからは「自分のために生きて」と同期の皆で見送る歌になっている。
こういう歌は、メンバーとそのメンバーのファンが感情移入でき、しんみりできればそれでいい。

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AKB48『11月のアンクレット』とNHK紅白歌合戦のこと。(ときめき研究家)

2018-01-08 16:34:03 | ときめき研究家
渡辺麻友が参加するラストシングルで、彼女がセンターを務める。彼女の有終の美を飾るにふさわしい楽曲だと思う。

元カノに呼び出され、新しい彼氏ができたらしい気配に、未練たっぷりだけどやり直そうとも言い出せず、煮え切らない男は、AKBグループの楽曲ではおなじみのキャラクターだ。片思いの彼女に声もかけられず、妄想の恋愛を楽しむ『ポニーテールとシュシュ』『スキ!スキ!スキップ!』などが典型だが、この曲は元カノの真意を量りかね、最後のチャンスも逃そうとしているという状況だ。「やっぱり君が好きだから、また付き合おう」と言えればいいのに、言えないからこそ歌になるのだろう。
元カノへの未練はSDN48のラストシングル『負け惜しみコングラチュレーション』とも共通するテーマ。
「11月のアンクレット」とはもちろん比喩であって、彼または彼女が現在アンクレットをしている訳ではない。夏の日に彼女がしていたアンクレットを、思い出の象徴として大事に思っていたけれど、もう諦めなきゃいけないという心情を歌っているのだ。
「君にもらったあの日の2人のシークレット」とは、田原俊彦『悲しみTOOヤング』で「2人だけの秘密は小舟の中で結ばれた」などと歌われていたような、伝統的なレトリックだ。
「引き止めてよ」と責められているように感じるのは、被害妄想でもあり、自惚れ気味とも言える。女性に責められることを喜ぶ男性の心理は、『上からマリコ』などとも通じるものがある。
「さよならにこんにちは」は、ビートルズや柏原よしえの『ハローグッバイ』を踏まえた言い回し。
アイドルポップとしての伝統を踏まえたお洒落な歌詞だ。そしてその歌詞は、卒業する渡辺麻友を引き留めたいけど引き留められないファンの心情ともシンクロしている。
サウンドも、派手過ぎず、落ち着きすぎず、ミディアムテンポで、今の渡辺麻友にぴったりの曲調だと思う。聴けば聴くほど味が出てくるような楽曲だ。

NHK紅白歌合戦のAKB48が歌う楽曲を視聴者投票で決める企画は、誰もが幸福になる結果になったと思う。
楽曲への投票とは言いながら、メンバーへの人気投票の様相を呈するのは、毎年のリクエストアワーと同じだと予想された。案の定、中間発表では、『恋するフォーチュンクッキー』『365日の紙飛行機』『11月のアンクレット』『大声ダイアモンド』が上位4曲を占めた。指原莉乃、山本彩、渡辺麻友、松井珠理奈という人気上位4名がセンターを務める代表曲の争いとなった。分散が心配された渡辺ファンの票は『11月のアンクレット』に集約されたようだ。
もちろんAKBファン以外の視聴者の投票も一定数はあったと思うし、その多数は一般人気の高い『365日の紙飛行機』か『恋するフォーチュンクッキー』だっただろうが、大勢を決したのはやはりAKBファンの投票行動だったと思う。1端末1票の制約があったためCD大量購入のような手段は使えなかったが、PCとスマホ、会社のPCからも投票した人もいるだろう。友人知人に投票を依頼した人もいるだろう。どのメンバーのファンがどれだけ熱心に投票したかが反映され、結果は『11月のアンクレット』が1位となった。
本命と思っていた『恋するフォーチュンクッキー』は意外にも4位だった。去年のメンバー投票で山本に敗れた雪辱を期して、指原ファンが必死に投票するかとも思われたが、渡辺の卒業という状況判断から、熱意もやや鈍ったかもしれない。実際、指原や山本彩も、自分がセンターの曲よりも渡辺センターのこの曲が1位になって良かったと思っているだろう。松井ファンはどうだか判らないが。
AKBグループのファンは本当にこういうストーリーが好きだと思う。その時々の空気を忖度し、多くのファンとメンバーが幸福感を感じられる結果を導き出すことに長けている。そういうファン心理をも計算しての企画だったとしたら、NHKの今回の企画は大成功だったと言える。

渡辺は、1位になると判った瞬間から感極まった表情になった。卒業に当たって、比較的クールに振舞ってきた彼女の心が激しく揺れた瞬間だったと思う。
それでも『11月のアンクレット』大サビのソロ部分も頑張ってしっかり歌えてよかった。3曲メドレーのうちソロ歌唱があったのはこの曲だけで、一番の聴かせどころだったから。
歌い終わってマイクを置く振り付けは、毎回それをやるのは軽々しい印象だったが、この日ばかりは本当に最後なので良かったと思う。

欅坂と乃木坂のパフォーマンスについても一言。
欅坂は内村とのコラボで2回目の『不協和音』に挑んだが、過呼吸で倒れるメンバーが続出した。乃木坂の『インフルエンサー』はスクリーン上の巨大な日村の映像とコラボする形となった。いずれも中途半端なコラボで、やらない方がよかった。メンバーだけの渾身のパフォーマンスを見せることに専念するべきだと思うが、それでもどうしてもやるのなら内村は1回目にフルコーラス参加するべきだったし、日村も舞台上で参加するべきだった。
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