『花は誰のもの』。
「もしこの世界から国境が消えたら 争うことなんかなくなるのに」という歌い出しの反戦歌だ。
もちろんロシアのウクライナ侵略という世界情勢を踏まえた楽曲だろう。戦争を知らない少女たちが、ピュアな平和への思いを歌っている。ピアノソロで始まるメロディーは美しい。作曲者名を見るとチェッカーズの鶴久政治だった。
こういう歌が世の中に流れることは、間接的かもしれないが平和の実現に僅かでも寄与するという意見と、歌など全く無力だという意見があると思う。私は前者の意見に与する。秋元康もそう思っているから、こういう歌を世に出したのだと思いたい。
咲いている花を奪い合って争いが起きるとすれば、世界一面に花が咲いていたら足元の国境も見えなくなり争いも起きないというロジックを歌っている。痛快なロジックだが、限られた資源や富を奪い合って起きる戦争の現実から見れば、非現実的な理想論かもしれない。でも、理想は理想だからいいのであって、現実に忖度してはいけない。
2番には「もしこの世界から国境が消えたら たぶん困る人がいるんだろうな」という歌詞がある。このフレーズだけは残念だ。現実社会には、こういう分かったようなことを言う人がいる。武器商人、独裁的な政治家などは、国境や戦争がなくなったら困るのだろう。そういう人達が裏で暗躍して平和の実現を妨げている。そういう風に世界を理解するのは一種の陰謀論だ。そんな風に世界を捉え、自分がどうあがいても仕方がないと卑屈に考えるなら、世の中は永遠に変わらないし、理想は実現しない。
この歌のスタンスはピュアに平和を希求しているのだから、こういう現実に忖度した卑屈なフレーズは要らなかった。このフレーズのため、曲全体の理想論も本気ではないのかと醒めてしまう。要するにスタンスが中途半端になっているのだ。
どうしても平和を妨げる勢力に言及したいのなら、別のスタンスとして、「そんな奴らはブッ飛ばせ」というようなラジカルなレジスタンスソングにするべきだっただろう。
『船から降りた僕たちは・・・』。
事前情報全く無しで聞いた時に、STU48は解散するのかと思った。あるいは拠点にしていた船は廃船になり、拠点を失うとか。船上ライブを売りにしていたSTU48が「船から降りた僕たちは・・・」などと歌うと、そんな裏読みをしてしまう。自己言及ソングに慣れてしまった弊害だろうか。
後日ネットを探してみたら、STU48の解散といった情報はなかった。5周年コンサートが5月3日に開催予定だったが、メンバーのコロナ感染のため7月に延期になったことを知った。
解散ではないが、5周年を迎え、新たなステージに進む覚悟のようなものを歌っているのかなと思った。
『ポニーテールをほどいた君を見た』。
サウンドが派手で、NMB48っぽい。
対照的に、歌詞はいつもの内気な男子目線の片想いソングだ。いつも電車の中で遠くから憧れて見ている制服姿のポニーテール女子に、夜偶然に会って、いつもと違う姿にドキドキしたという内容。AKB48『僕の打ち上げ花火』と同様の状況だ。彼女の方は、彼を認知している訳でもないから、当然何も気が付かずすれ違うだけ。彼の方ももちろん声をかけたりできるはずもない。
ポニーテールを結んだりほどいたりすることを、オンとオフの切り替えとして描いたのは、AKB48『センチメンタルトレイン』だ。「ポニーテールの日はテストがあるんだよね」と歌っていた。『ポニーテールをほどいた君を見た』の彼女は、通学時にはポニーテール、オフの時はほどくようだ。
一方『ポニーテールとシュシュ』の彼女は、砂浜で走る時もポニーテールをしたままだった。それどころか、彼は「ポニーテールほどかないで」と懇願している。この歌は全部彼の妄想なので、彼は幼い彼女の理想形をずっと留めてほしいと願っているのだ。実際の女性は、ポニーテールを結んだりほどいたりするものだ。
『Sure、じゃあね』。
いつも強引すぎる彼との付き合いに疲れ、じゃあねと別れを告げる歌。嫌いになった訳ではないが、振り回されず自分らしく生きていたいからだ。
格好いいサウンドに、少人数ユニットなのでソロ歌唱も多く、楽しく聴ける。「何が不満か想像つかないのでしょうね」のパートは声が特徴的。須藤凜々花の声にちょっと似ている。
「もしこの世界から国境が消えたら 争うことなんかなくなるのに」という歌い出しの反戦歌だ。
もちろんロシアのウクライナ侵略という世界情勢を踏まえた楽曲だろう。戦争を知らない少女たちが、ピュアな平和への思いを歌っている。ピアノソロで始まるメロディーは美しい。作曲者名を見るとチェッカーズの鶴久政治だった。
こういう歌が世の中に流れることは、間接的かもしれないが平和の実現に僅かでも寄与するという意見と、歌など全く無力だという意見があると思う。私は前者の意見に与する。秋元康もそう思っているから、こういう歌を世に出したのだと思いたい。
咲いている花を奪い合って争いが起きるとすれば、世界一面に花が咲いていたら足元の国境も見えなくなり争いも起きないというロジックを歌っている。痛快なロジックだが、限られた資源や富を奪い合って起きる戦争の現実から見れば、非現実的な理想論かもしれない。でも、理想は理想だからいいのであって、現実に忖度してはいけない。
2番には「もしこの世界から国境が消えたら たぶん困る人がいるんだろうな」という歌詞がある。このフレーズだけは残念だ。現実社会には、こういう分かったようなことを言う人がいる。武器商人、独裁的な政治家などは、国境や戦争がなくなったら困るのだろう。そういう人達が裏で暗躍して平和の実現を妨げている。そういう風に世界を理解するのは一種の陰謀論だ。そんな風に世界を捉え、自分がどうあがいても仕方がないと卑屈に考えるなら、世の中は永遠に変わらないし、理想は実現しない。
この歌のスタンスはピュアに平和を希求しているのだから、こういう現実に忖度した卑屈なフレーズは要らなかった。このフレーズのため、曲全体の理想論も本気ではないのかと醒めてしまう。要するにスタンスが中途半端になっているのだ。
どうしても平和を妨げる勢力に言及したいのなら、別のスタンスとして、「そんな奴らはブッ飛ばせ」というようなラジカルなレジスタンスソングにするべきだっただろう。
『船から降りた僕たちは・・・』。
事前情報全く無しで聞いた時に、STU48は解散するのかと思った。あるいは拠点にしていた船は廃船になり、拠点を失うとか。船上ライブを売りにしていたSTU48が「船から降りた僕たちは・・・」などと歌うと、そんな裏読みをしてしまう。自己言及ソングに慣れてしまった弊害だろうか。
後日ネットを探してみたら、STU48の解散といった情報はなかった。5周年コンサートが5月3日に開催予定だったが、メンバーのコロナ感染のため7月に延期になったことを知った。
解散ではないが、5周年を迎え、新たなステージに進む覚悟のようなものを歌っているのかなと思った。
『ポニーテールをほどいた君を見た』。
サウンドが派手で、NMB48っぽい。
対照的に、歌詞はいつもの内気な男子目線の片想いソングだ。いつも電車の中で遠くから憧れて見ている制服姿のポニーテール女子に、夜偶然に会って、いつもと違う姿にドキドキしたという内容。AKB48『僕の打ち上げ花火』と同様の状況だ。彼女の方は、彼を認知している訳でもないから、当然何も気が付かずすれ違うだけ。彼の方ももちろん声をかけたりできるはずもない。
ポニーテールを結んだりほどいたりすることを、オンとオフの切り替えとして描いたのは、AKB48『センチメンタルトレイン』だ。「ポニーテールの日はテストがあるんだよね」と歌っていた。『ポニーテールをほどいた君を見た』の彼女は、通学時にはポニーテール、オフの時はほどくようだ。
一方『ポニーテールとシュシュ』の彼女は、砂浜で走る時もポニーテールをしたままだった。それどころか、彼は「ポニーテールほどかないで」と懇願している。この歌は全部彼の妄想なので、彼は幼い彼女の理想形をずっと留めてほしいと願っているのだ。実際の女性は、ポニーテールを結んだりほどいたりするものだ。
『Sure、じゃあね』。
いつも強引すぎる彼との付き合いに疲れ、じゃあねと別れを告げる歌。嫌いになった訳ではないが、振り回されず自分らしく生きていたいからだ。
格好いいサウンドに、少人数ユニットなのでソロ歌唱も多く、楽しく聴ける。「何が不満か想像つかないのでしょうね」のパートは声が特徴的。須藤凜々花の声にちょっと似ている。