沖縄タイムス チビチリガマ損壊:「肝試し」と容疑少年ら 警察、政治的動機「全くない」 2017年9月16日 13:09
「一部の少年がガマへ入った理由を「肝試し」とし、10日の夜明け後に現場を訪れたと供述していることが16日、分かった。政治的な動機の有無について嘉手納署は「現在のところ全くない」としている。「肝試し」が器物損壊の行為につながった経緯を慎重に調べている」
よくあることでしょう。半ば無意識の行動と思ってよいものと思う。
(沖縄ほど,”歴史”が重みをもつ地域であれば)かならず歴史が関係するはずだ,という決め打ちから発するバリエーションか。
こういう感想も出るだろう。
琉球新報 チビチリガマ損壊:「肝試し」と容疑少年ら 警察、政治的動機「全くない」 2017年9月16日 13:09
「遺族からは「『肝試し』とはショックだ」「チビチリガマの悲劇を知っていたら、できるはずがない」と悲痛な声が漏れた」
「「誰が指示したんだろう。どうして。遺品は壊さないでしょう」。遺族会の与那覇徳雄会長(63)は引きちぎられた千羽鶴を一束一束つり下げ直し、つぶやいた。「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいのか」」
「遺族と共に「世代を結ぶ平和の像」を制作した金城実さん(79)」は「県警に「肝試しというのは詭弁(きべん)では。ほかに関係した人がいないのか、明らかにしてほしい」と望んだ」
と,わざわざ遺品をこわすという行為に,それなりの意味を求める傾向。
でも,そんなにいつもいつも,行為に意味があるのかなーとも疑問に思うべきだろう。
例えば,自動車を動かすときに,使うガソリンの数千万年の歩みについて思いを致すひとがそういるだろうか。道端の砕石を蹴っ飛ばすのは,数億年の営みを軽んじようとしてのことだろうか。食事の時に,つけあわせのパセリを食べないのは,無論パセリ農家の存在に断然抗議する意思を示すものだという決然とした行為なのだろうか。
「石嶺伝実読谷村長は「怒りを通り越して悲しくなった。土足で足を踏み入れる場所ではない。沖縄戦の風化がそうさせているのか」と懸念。「歴史や意味を知らないで行為に及んだのだろう。教育の中で、小さい頃からチビチリガマのことを教えていきたい」と話した」
こういうあたりでどうだろう。
琉球新報 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576898.html 2017年9月17日 06:30
「捜査関係者によると、少年たちは肝試しの様子を動画で撮影していたという。専門家は事件の背景として、戦跡への認識が薄れていると指摘している」
「捜査関係者によると、少年たちは被害届の出されていない瓶や遺品なども壊したと供述している。取り調べでは、損壊行為を反省する供述もしているという」
そんなわけで,歴史教育というより,「そこらのもの,好き勝手に破壊とか,するなや」という常識の教育が求められる場面ということではないか。
社会や経済や政治や…の構造がひとをして~せしめる,という分析は,まあ賢げではあるのだが,そういつもいつも便利につかっていては,「伝家の宝刀」の切れ味も鈍るだろう。ここは疎外の哲学ではなく,カミュとか持ち出すべきところでないかなあ。
「一部の少年がガマへ入った理由を「肝試し」とし、10日の夜明け後に現場を訪れたと供述していることが16日、分かった。政治的な動機の有無について嘉手納署は「現在のところ全くない」としている。「肝試し」が器物損壊の行為につながった経緯を慎重に調べている」
よくあることでしょう。半ば無意識の行動と思ってよいものと思う。
なぜ、そんなことをしたんだろ…歴史を学びなおす矯正教育が必要では… →チビチリガマ荒らした容疑、少年4人逮捕 沖縄県警:朝日新聞デジタル https://t.co/hwbQLRHKBK
— Shoko Egawa (@amneris84) 2017年9月15日
(沖縄ほど,”歴史”が重みをもつ地域であれば)かならず歴史が関係するはずだ,という決め打ちから発するバリエーションか。
いたずらに「なぜ」はないような気がします。「矯正教育」という言葉はなんというかファシズムの国のような印象をうけるのですが、どうでしょうか https://t.co/J4leponqci
— 菊池誠(9/13ベアーズ、16伊賀上野) (@kikumaco) 2017年9月16日
こういう感想も出るだろう。
琉球新報 チビチリガマ損壊:「肝試し」と容疑少年ら 警察、政治的動機「全くない」 2017年9月16日 13:09
「遺族からは「『肝試し』とはショックだ」「チビチリガマの悲劇を知っていたら、できるはずがない」と悲痛な声が漏れた」
「「誰が指示したんだろう。どうして。遺品は壊さないでしょう」。遺族会の与那覇徳雄会長(63)は引きちぎられた千羽鶴を一束一束つり下げ直し、つぶやいた。「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいのか」」
「遺族と共に「世代を結ぶ平和の像」を制作した金城実さん(79)」は「県警に「肝試しというのは詭弁(きべん)では。ほかに関係した人がいないのか、明らかにしてほしい」と望んだ」
と,わざわざ遺品をこわすという行為に,それなりの意味を求める傾向。
でも,そんなにいつもいつも,行為に意味があるのかなーとも疑問に思うべきだろう。
例えば,自動車を動かすときに,使うガソリンの数千万年の歩みについて思いを致すひとがそういるだろうか。道端の砕石を蹴っ飛ばすのは,数億年の営みを軽んじようとしてのことだろうか。食事の時に,つけあわせのパセリを食べないのは,無論パセリ農家の存在に断然抗議する意思を示すものだという決然とした行為なのだろうか。
「石嶺伝実読谷村長は「怒りを通り越して悲しくなった。土足で足を踏み入れる場所ではない。沖縄戦の風化がそうさせているのか」と懸念。「歴史や意味を知らないで行為に及んだのだろう。教育の中で、小さい頃からチビチリガマのことを教えていきたい」と話した」
こういうあたりでどうだろう。
琉球新報 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576898.html 2017年9月17日 06:30
「捜査関係者によると、少年たちは肝試しの様子を動画で撮影していたという。専門家は事件の背景として、戦跡への認識が薄れていると指摘している」
「捜査関係者によると、少年たちは被害届の出されていない瓶や遺品なども壊したと供述している。取り調べでは、損壊行為を反省する供述もしているという」
そんなわけで,歴史教育というより,「そこらのもの,好き勝手に破壊とか,するなや」という常識の教育が求められる場面ということではないか。
社会や経済や政治や…の構造がひとをして~せしめる,という分析は,まあ賢げではあるのだが,そういつもいつも便利につかっていては,「伝家の宝刀」の切れ味も鈍るだろう。ここは疎外の哲学ではなく,カミュとか持ち出すべきところでないかなあ。