あまりにも社会学が雑にアニメに意味を求めすぎてるというきらいはある。 https://t.co/7Jz5oTc4BP
— 鐘の音@白瀬咲耶本メロン委託中 (@kanenooto7248) 2018年10月20日
「大学の人気講義でセーラームーン「男目線」論を聞かされて理不尽を感じた話」https://t.co/2VlsTUqajS にコメントしました。
読む前からもう結論はわかりきってるようなもので、「男の目から見て魅力的な女性像を幼い女の子に理想像の如く示すのは、幼少時から女を男の性的従属物として育てようというものであり、女性はこうした見方から解放されるべきである」くらいなもんだろう。
まあ30年くらい前からか、大昔からある理論であり、つぎつぎ同じようなアニメに同じように適用してやれば、次々同じようなアニメは出てくるので次々新しい論考を書いているような気になれることだろう。しらんけど。
残念なことだろうが、「相互作用」という概念を落としている議論であり、常に一定程度の勝利を約束されるものの、常に一定程度の敗北を甘受せねばならぬ程度のものである。
なにしろ「女子向けアニメにでてくる男の子」というのは「アニメのなかの女の子にステキな視線を向けてきてその存在を肯定する」もので、そこで働いているところの「男の視線」は、女子側にとってそうあってほしいところの男子像を反映するからだ。これ自体はリアルな男性とは一定程度、別の理屈で動くことになる。
キズナアイ騒動を振り返ると、あれはやっぱりフェミニズムがどうという文脈のものではなくて、昔PTAが漫画は青少年に悪影響だ、といって出版社に抗議してたやつの現代版でしかないように思うんだよな。たぶん嫁姑の関係せいじゃないけど、世代またいで継承される構図なんだろう
— 織部ゆたか (@iiduna_yutaka) 2018年10月21日
なので、”問題提起”者の理論ががばがばなのはしゃーないんかなーとか。
エマ・ワトソンがちやほやされているのは、彼女がフェミニストだからではなく、彼女がエマ・ワトソンだからだ、君らがちやほやされないのは、君らがフェミニストだからではなく、君らが君らだからだ
— 激走ちゅきはぐ九邪和さん (@Qjawa_san) 2018年10月17日
関連:「研究業界への新規参入希望者のとある姿と撤退者の姿たちと(2018-11-11)」
私が私として尊重されるとしたら、それは我が業績によるのである。だから、フェミニズム研究し始めましたーとかの人たちは、さっさと業績をあげるとよいぞ。
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