どうも「味噌汁」ちう身近過ぎる食べ物で、各人が想起している物が違ってるんじゃないかと言う気がしているw<そんな味噌汁の具は有り得ない論
— ナナシ=ロボ(福島市)さん (@robo7c7c) 6月 1, 2012
おなじ「味噌汁」の言葉で,どんな実体を思い起こすかと考えてみると面白い。各地方で様々あるだろう,しかしそれらはまとめて「味噌汁」と呼ばれて,日本の食卓の風景と観念される(でも中身は多様)。
さて想像してみよう,世間の国士サマがたが革命して政権を取って,『これぞ日本の正しい文化!』という像を国民に向けて打ち出す様子を。味噌汁の具からして出汁からして超紛糾することだろう!(もちろん,発布する前に内部対立→分裂,の可能性もある)
…いやあ,世界各地で起こっている原理主義運動ってなあ,こんな感じに展開しているんだろうなあと思うのである。
”意識の高い”ヒトの頭のなかに理想像があるんだけど,それは彼の脳内妄想にほとんど近い。しかしそれは純粋な妄想ではなく,何らかの規範的な概念(「味噌汁」)に,そのあるべき実態を彼自身の体験・観察から選び出した事物でもって構築する(「白味噌!」「赤味噌!」「ナス必須!」「豆腐アリ!」など)。
それはそれでひとつの典型をなすのだろうけど,しかし普遍的な像とはいいかねる。
しかしそれは,”意識の高い”ヒトにとっては,十二分に現実を考慮した普遍的に受け入れられうる妥協案だったりもする,彼にとっては(「赤味噌を許容したではないか!」とか)。それさえ受け入れないような偏狭な連中はもう癒し難い偏狭に犯されてしまっているのできぱっと異端である!と判定されよう。
しかしこちとら生まれてこの方,味噌汁にはジャガイモが入ってきたのである。それを普遍の名のもとに(「日本文化的にそれは…」などと)異端とされれば,相当むかっとくるのである。武力で弾圧された日には,武力で対抗したくもなるであろう(「うちの聖者様の墓を根こそぎにしおってからにぃいいいいいいいいいい!!!」)。
でまあ,そんな過激派は絶対的に少数派であって,よほどうまくやらないと全土掌握・長期政権なんかできやしない。そのうち各地方が各地方のアイデンティティを確かめて,自覚的に自立的に自分たちの地域の独自性・独立性を主張していくだろう。
結果どうなるかといえば,『これが日本のあるべき味噌汁』運動は日本各地の個々の味噌汁文化の独自性を際立たせ,相互に別個の文化であるとして地域的に固定され,文化の複数化・融合や普遍化を妨げるだろう。以前はみんな「日本人」だったのに,『味噌汁原理革命』の結果,三河人・大阪人・天婦羅味噌汁人・赤味噌人・白味噌人・福島浜通り人…などに分化してしまうだろう。
―でまあ,一応普遍を目指したではあろうイスラム原理主義運動は,結果として各地域のナショナリズムや民族主義や…を強化する結果になるであろうなあ,というか今現にそうなっていっているよなあ,というのが私市 正年『原理主義の終焉か―ポスト・イスラーム主義論 (イスラームを知る) 』の見解かと思うのである。
そんなわけで講義用ノート。だから私は何をやっている人なのかと。
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