学会の「教祖様」と絶縁できない研究者は結局は大成しない。ある言説が学問であって価値がある、ということの根拠が世間の曖昧な「東大教授信仰」に依存した教祖様のお墨付きである場合、そこへの依存を断ち切って先に進めるかどうかは研究者の分かれ道。大抵は絶縁できず、ウダウダ言って一生を送る。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2018年9月30日
先生方はだいたい、おんなじようなことを仰る。正しいと思う。
日本の研究者で伸びない人のパターン①若い時の業績にいつまでも引きずられる②狭い業界で他人の足を引っ張る③自分が苦労したから教員として就職すると学生に仕返しする④言ってもしょうがないことを言いつづける人【カネがない云々も含む】⑤若くして学長補佐になって使われる人
— masanorinaito (@masanorinaito) 2019年4月7日
もう一つ⑤師弟関係の有無にかかわらず、学界の重鎮をヨイショする人 https://t.co/a3mbCAmRZd
— masanorinaito (@masanorinaito) 2019年4月7日
「何故か五人いる四天王」みたいなもんだろう。
いやほんと、内藤先生は、米帝が関わらない限り―米帝が悪く関わりうる話でない限り、極めて信頼と尊敬に値する。
誤訳を指摘されると、翻訳のできる人は喜ぶ。できない人は根に持つ。これ、どの世界でも通じそう。自負や矜持があれば改善を虚心に歓迎できるけど、本当は自信のない人は、1つの誤りを認めると仕事全体ひいては自分の存在が否定されると思うのか、絶対に間違いを認めようとしない。自尊心の有無の問題
— 池田香代子 「100人村 お金篇」 (@ikeda_kayoko) 2018年9月30日
翻訳ができない人がいてなあ…。
世界に存在する無限の情報を等しく扱おうとすれば、組み合わせ論的爆発に陥るけれど、情報の重要度と優先順位を定めればこれを回避できる。フレーム問題は解決済み -フレーム問題に見る、AI史の闇ー https://t.co/skVBGBPztQ
— Shuuji Kajita (@s_kajita) 2019年3月18日
諸種の情報を目的に応じて整理する能力。養いたかったのだがなあ、10年近く教えても無理だった。
「友人に絶交されました…」 鴻上尚史が指摘する原因“無意識の優越感”とは (1/7) https://t.co/UQlYPyuJr0巨大な感動に飲み込まれる いくつもすごい点があるがあえてひとつ例え話にすると「ベースカバー」がすごい。あることを伝えるために十重二十重の気づかいが配置されている 唸る
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) 2019年4月10日
それはそれとして常にこうした気遣いを要求されても困る。
あと、これを読んで私も反省しようかなあとおもったら、私のところでは可能な限り仕事の話にもって行こうとしたのは私であり、むこうはひたすら自分のところの組織のアレとか自分のところの嫁のナニとか喋りたがりまくっていたのでというか喋りまくっていたので、この伝でいえば私が悪いのは仕事をしようとしたというところに尽きる、ということになりかねない。
エジルはあの声明文ツイート以外、前にも後にも何も口を開いていない。そういう覚悟だったんだろう。これはあのW杯決勝の頭突きで退場しそのまま引退したジダンが、挑発してきた相手選手がいくらその後歩み寄ろうとしてきても一切口を開かないのと少し似てる。
— こゆるぎ岬 (@o_thiassos) 2018年9月30日
ある種の見識であって、私もこれに従いたい。
いうても、それなりの説明はせなあかんことはあるが。
つうか、私は論文を書くんだが。
Togetter 聞きかじりの専門知識で「マウンティング」してくるすべてのクズどもに 27 Sep 2018
RT鍵「ドイツ人だからドイツ語で論文をいっぱい書いているはず」と思ったのか。自分が日本語の論文すら修士論文ぐらいしか書いていないことに思いを馳せれば、そうとは限らないことに気づくだろうに。RT鍵 ぶっちゃけ、北守氏、モーゲンソーがドイツ語であまり書いていないこと知らなかったんでし
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年1月11日
で、偉そうに「モーゲンソーをドイツ語原書で読んでないヤツに、国際政治への発言権などない」なぞと叫ぶ人士がおられたので、いろんな人から反論されたわけです。「25歳のときの論文、読む必要あるのか」「それ、国際法の論文だぞ。本当におまえ、読んだのか」と。@yoshyaman
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年1月11日
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