空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

つ「第四の権力」

2016-11-30 15:27:56 | Weblog
毎日新聞 メディア時評 負けたのは誰なのか=稲垣えみ子・元朝日新聞記者 毎日新聞2016年11月26日 東京朝刊

恐ろしかった。何が恐ろしかったって、それは橋下氏ではなく、読者の「感覚」からいつの間にかかけ離れてしまった我々のボンクラぶりであった。マスコミとは権力を監視し、庶民の味方をする存在のはずである。ところがいつの間にか我々は「既得権者」として橋下氏の攻撃を受け、その氏に多くの人々が喝采を送っていた。それどころか権力を監視するマスコミの方が権力だと見なされている

つ「第四の権力」
 田中角栄以来ともいうし、そんなに新しい、人が知らない概念でもないと思うんだけどなあ。

権力は暴走し腐敗する。それを監視する存在なくして民主主義は成立しない



 …権力は絶対に腐敗する。それゆえ、それ自体が大規模な権力である政権与党(まあ、いまは自民党)は腐敗するし、そこまでの大きさではないとはいえ、野党も(また、「第四の権力」も)当然腐敗する。そのため、満遍なく・その程度に応じて監視が必要であり、その監視の結果は選挙によって表明される(あるいは、購買率とかに現わされる)。

 …政権与党でなければ腐敗しない、という奇怪な観念がまかり通る界隈があるようで…不思議なことだ。

庶民から浮き上がったマスコミにその役割が果たせないなら民主主義の危機である。これは我々の問題なのだ

 マスコミの大問題であることは間違いないが、民主主義の危機と完全なイコールかと問えば、否と応えざるを得ない。なぜなら、権力の監視任務は、個々の国民もしている(という建前である)からである。我々個々の権力監視の、その答えとして、選挙が行われてその結果が現れる。

そんな中、毎日新聞は10日朝刊の記事「拡散する大衆迎合」で、大衆迎合主義が欧州で広がっていると嘆いた。まるで人ごとだ。大衆迎合でない民主主義などない。自分たちは大衆とは一線を画した存在だとでも言いたいのならそれこそが深刻な危機である

 ―まるで民衆に監視機能がないと断じるようなことをいい、その監視機能とは(自分達)マスコミが担うものだ、それが機能していないというのは民主主義の危機だというのは、まさしく「自分たちは大衆とは一線を画した存在だとでも言」うような態度ではないか。

 もちろん、「大衆」というのは、自律的なものではないもの、と定義づけされるんだろうが。しかしそれを構成する個々の人民は、それはそれなりに個々の意志をもって投票なり、なんなりするのである。「大衆」と名づけた瞬間、自分がその「大衆」を構成するひとりだということを忘れはてて、大衆状態へ戻ることがないらしいのは、ちょっと感覚が鈍いかも。

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