空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

渡辺真由子氏の事例を想起しつつ石川優実氏の言動を見る

2019-11-25 15:35:46 | ノート


 あなた著者じゃないですか、著者なら出版社以上に著作物に責任を負うのが普通じゃないか、と。



 改変・トリミングも、聞き取り調査などではありえるにはありえるだろうが、論旨に違いが出るようなそれはマズイわな。そういう問題はともあれ




 とあるんですが、私としては別の論点もあるかと思う。

 商品としての品質管理は、このさい、誰に主たる責があるかということ。

 石川氏は「なぜ出版社が販売する商品についてそれらを満たしていないものを出していると思うのでしょうか…?」と書くのだが、出版社側としては「誰が書いた文章だよ?」といいたくなりはしないだろうか。

 出版社側に肩入れした言い方をすれば、出版不況のあおりもあって、逐一完全なフォローなんて無理!ということになろう。プロの著作者なら、流儀に合わせてちゃんと原稿、書いてくださいよ!といいたくなりはしないか。引用の様式もなにも知らないで、なんで本を書けると思ったんですか!とか。

 そんな、本の執筆について誰にどのようにどう責任があるか、責任を誰がどのようにとったか、最近我々が見たのはこんな例だった:

関連:「渡辺真由子「当方と致しましては、無断転載の意図は一切ございません。」(2018-11-29)」

 勁草書房が平謝りしている一方


 当人は「当方と致しましては、無断転載の意図は一切ございません」とし、とりあえず自分は悪くないですという宣言で出版社側に責任を負わせる流れ。これは石川優実氏も同様ではないか。いや、この類推は石川優実氏に厳しいという意見もアリだが、しかし出版社の権威を利用しようとするのは少なくとも批判の対象とされるであろう。

関連:「文系版小保方案件の恐れ(2018-11-29)」



 とまあ、そういう気概と能力を示されてないからには出版社の責任だ!とは…厳しすぎるご意見ではないか。やっぱり著者による責任転嫁って言われないか。



 というか、流石に私でさえ「またこの業界かよ」とか思ってしまう。学的水準、論文・書籍執筆時のお作法の訓練…そういった基礎訓練をすっとばしてやしないか。そしてなんでそういうのがこうもゲートをくぐりぬけて出版されていくのか。出版社側にブレーンやゲートキーパーが足りないのかもしれないが、話を持ち込む側にも、あの、その…もうちょっとなにかないか、と思ってしまうのだが。

関連:「渡辺真由子:博士号剥奪(2019-03-21)」

関連:「渡辺真由子氏:博士審査結果等はもう読めない様子(2019-03-22)」
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