回転運動を電気に変換するのがダイナモで回転運動を功徳に変換するのがマニ車だとしたら、逆にマニ車に功徳を与えて回転運動を取り出すことができ、最終的に僧侶を助手席に乗せると走るエコカーなどが誕生する。
— 理央 (@Rio_mz) 2017年9月7日
それ以上はいけない(東南アジアでは僧侶を車に乗せると高速料金とかタダになる)。
…しかし僧侶の功徳は,まずは僧侶の解脱行のためにあるのである。
また,もし僧侶が日常業務でその功徳を使って世俗の人々の生活を便利にしていくなら,それは世間を利益する立派な修行者の振舞として僧侶自身のさらなる功徳になるであろう一方,在家者には功徳を積む有力な方法が失われてしまうのだ―立派な御坊様の修行の一助となることで,我々在家者は功徳を積むことができる,というわけなので。
ということで,南方仏教でも,僧侶たちはあえて功徳駆動自動車を実用化しないのだ(自動車による移動というサービスの提供を可能ならしめるように),ということになり,もうこの理屈だと北方大乗仏教の理屈とろくろく変わらないような気がしてくるなあ,なんとなく。
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