ほとんどの人は不勉強である限り、その思考や発想が、例えば古代ギリシャから抜け出せなかったりするわ。普通の人が生きているうちに考えるようなことは大抵昔に議論し尽くされていることなの。だからもっと発展したことを考えたかったらちゃんと勉強しなさいよね!
— 現代文たんさん (@gendaibuntan) 7月 30, 2012
何か思いつく→ちょいとお勉強する→人類が自分の思いつきをン百年前に通過していることがわかる…というのを数回繰り返すと骨身に染みて理解できるなあ。>RT
— ソマリア・ヲチャさん (@somalia_watcher) 7月 30, 2012
だからだろうか,私の講義の時間配分はより古代側に寄る。
そーして考えていくと、人類が積み上げてきたものの一歩先を進み続ける「研究者」とかいう人種は化け物じみた存在に思えるなあ。
— ソマリア・ヲチャさん (@somalia_watcher) 7月 30, 2012
成功した研究者(の論文)だけ挙げればそう見えますけどねー。
実は相当スカ打ったりするわけですがー。
面白いからじゃないよ。安いからなんだよ販売価格が。んでもって製作費のしわ寄せはワタミなんか吹き飛ぶような超過酷労働と、「それでも好きだからやってる」という熱意と好意をすり潰して成り立たせてるんだよ
— こなたまさん (@MyoyoShinnyo) 7月 31, 2012
だから漫画家やアニメーターにも税金投入しろって話ではない。さんざん昔から「残酷物語」言われてるのに、「面白いから売れてる」「面白くなかったら消えるだけ」なんてよく言えるよ。
— こなたまさん (@MyoyoShinnyo) 7月 31, 2012
で,まあ。
ぶっちゃけ斜陽分野な研究者としては,共感するところがあるのだったり。
少ない資金投下でより大きく業績を挙げねば,生き残れない。無理は勤務時間外にすることになる。
そりゃあまあ,好きだし,人類史的使命を担っていると信じていればこそ,仕事をするのだが。
研究費獲得のための書類を書き(※なお私個人には一銭も入ってこない予定のもの),出張してひとを口説き,メールでひとを励まし,するうちに研究費交付の話がぽしゃり,慌てて別件の書類を書き…
…していると,自分がいったい何のためになにをやっているのか分からなくなっていく。
研究論文なぞ一本もかかなくとも,まあ職についちまえばなんとでも生きられるというコースもあるらしく(※そりゃあ研究大学なら無理だろうが),そんなんになってしまえばまあ気楽な一生を送れるんではなかろーかなーとか思いはする。
まあ私の名前で外部資金を獲得すれば,直接的に私個人の利得にならずとも,間接的には様々な利益があるわけですが。さしあたり学内での扱いがよくなったりとか(※なお講義の負担が軽くなったりはしない),某組織に対して”貸し”が増えるとか(※ということは,私の行動の自由度が高まるんだが,それでようございましょうか),まあいろいろ。
…これ,僕の(せめて)国内出張旅費の1,2回位,混ぜ込んじゃダメかなぁ。
そんなこんなで,かなり疲労気味な私の日記と愚痴吐き。
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