本当に、そう。
朝日新聞 日韓修復訴える集会 岩波書店社長「想像力欠けている」 編集委員・北野隆一 2019年8月31日19時25分
「編集委員・北野隆一 2019年8月31日19時25分」
「集会では、声明の呼びかけ人の岡本厚・岩波書店社長が「日韓関係は報復の泥沼に入り、収拾がつかなくなっている。圧力で相手が屈するとの考え方には、相手への想像力が著しく欠けている」と指摘した」
この「相手への想像力が著しく欠けている」は至極尤もな点がある。知識からして足りてない。即ち
この(伝)田原発言に極めてよく現れている。
私の知る限り、儒教的世界観における韓国の対日観は「弟の国」のはずである。にもかかわらず、その韓国と日本の関係について「日本が兄貴分なのだから、韓国経済は弱いんだから」というのは大変に失礼であり、相手さんの文化にたいする基本的・根本的無理解を露呈している。
これはおそらく、韓国が苛立ってきた重要なポイントのひとつだ―”本来は格下のくせに、先達ぶっていくさる”(ついでにいえば、中国はもう完全にこういう苛立ちから自由になった。『は? お前らがオレより強かった時代は終わったんだが?』といえる―『まあ、150年くらいかな、それ。頑張ったじゃん。日本ちゃん』って感じに)。
田原発言的な、そんな帝国主義的世界観に依るより、現代の国際的慣例に準じて対等扱いすべきだし、最近は「まあ、”対等である”という建前は持っておこうか」という理解も進んできたというところだろう。まあ対等だから敵対もできるよな!という反韓国主義者もそれなりにいようが。
相手への想像力、理解がえらいこと足りてないものと思われ、改善すべき事項としてあげてはおきたい。
韓国についても同様、実際にある韓国と、ひとの脳内で作り上げられた虚構の韓国とがあり、しばしばひとは己の脳内で練り上げた虚構の韓国を議論の・認識の無謬の前提として論述する。現実との齟齬に出会った際に、知的に誠実であろうとするなら、脳内像の修正をすべきだと私はおもうのだが(※「韓国」の位置には別の単語を代入してみてもよい)。
朝日新聞 日韓修復訴える集会 岩波書店社長「想像力欠けている」 編集委員・北野隆一 2019年8月31日19時25分
「編集委員・北野隆一 2019年8月31日19時25分」
「集会では、声明の呼びかけ人の岡本厚・岩波書店社長が「日韓関係は報復の泥沼に入り、収拾がつかなくなっている。圧力で相手が屈するとの考え方には、相手への想像力が著しく欠けている」と指摘した」
この「相手への想像力が著しく欠けている」は至極尤もな点がある。知識からして足りてない。即ち
番組冒頭、田原氏は机を叩き
— Chieko Nagayama (@RibbonChieko) 2019年8月31日
大声で韓国擁護し日本政府批判
「日本が兄貴分なのだから、韓国経済は弱いんだから」
日本が我慢すべきという
戦後長く日本を苦しめ縛ってきた考えだ
田原氏のような考えこそが
一人前の国とみなさない
上目線の差別だということに
多くの日本国民は気がついたんだけどね https://t.co/gu3fXSCsyX
この(伝)田原発言に極めてよく現れている。
私の知る限り、儒教的世界観における韓国の対日観は「弟の国」のはずである。にもかかわらず、その韓国と日本の関係について「日本が兄貴分なのだから、韓国経済は弱いんだから」というのは大変に失礼であり、相手さんの文化にたいする基本的・根本的無理解を露呈している。
これはおそらく、韓国が苛立ってきた重要なポイントのひとつだ―”本来は格下のくせに、先達ぶっていくさる”(ついでにいえば、中国はもう完全にこういう苛立ちから自由になった。『は? お前らがオレより強かった時代は終わったんだが?』といえる―『まあ、150年くらいかな、それ。頑張ったじゃん。日本ちゃん』って感じに)。
田原発言的な、そんな帝国主義的世界観に依るより、現代の国際的慣例に準じて対等扱いすべきだし、最近は「まあ、”対等である”という建前は持っておこうか」という理解も進んできたというところだろう。まあ対等だから敵対もできるよな!という反韓国主義者もそれなりにいようが。
相手への想像力、理解がえらいこと足りてないものと思われ、改善すべき事項としてあげてはおきたい。
>韓国に来てみると、2つの北朝鮮がありました。ひとつは、実際にある北朝鮮と、もうひとつは韓国の中で作り上げられた虚構の北朝鮮です
— 柳田 悠 (@YUUU_0910) 2019年8月30日
「韓国には2つの北朝鮮がある」 歴代最高位の北朝鮮亡命外交官・太永浩氏インタビュー
北への純粋な視点を欠く韓国 #太永浩 #南北会談 https://t.co/x4C65or4Yh
韓国についても同様、実際にある韓国と、ひとの脳内で作り上げられた虚構の韓国とがあり、しばしばひとは己の脳内で練り上げた虚構の韓国を議論の・認識の無謬の前提として論述する。現実との齟齬に出会った際に、知的に誠実であろうとするなら、脳内像の修正をすべきだと私はおもうのだが(※「韓国」の位置には別の単語を代入してみてもよい)。
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