空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

どうやったらできるんですか

2011-12-26 18:00:00 | Weblog
@robo7c7c ナナシ=ロボ(福島市) 「うん、「仙台にパンダ」って下らねぇんだぁ。けど、今の被災地でパッとした話、持って来るとなっと下らねぇ話しか出て来ねぇのない。何するんだって何年も掛かる話ばっかしなんだから。直ぐに、ちっとでも景気良い事になりそうなら下らねぇ話だって良がっぺぇ?ダメちうなら、なんか考えてちょー。 」(2011/12/25)

・問題点
 八木山動物公園ですって? 街からそこへ上がる道の一つは未だに車両通行止めです。そもそも行楽シーズンには片道走行道路化しますが。パンダが来たところで,見に行く人の不便さたるや,山のふもとまで車列が続いていつ果てることかもしれず,周辺住民の方はほぼ完全に行動を封じられることに!

・プラス点
 即座に話題になるよね。
 来れば即座にお金になるよね。
 まあ夢のある話ではあるよね。こっちの地元の子供たちは喜びそうだし。
 外部から来た人には,被災地の道路事情を体感するいい機会になりそうだよね。いやあれ,いくら金と人があっても,すぐにはなんともならん。地味に今さら沈降してるらしいところもあるし。
 ともかくまあ,友好の懸け橋ではまあそれはそれであるわけで,

・結論
 地元住民,泣いてくれ。喜びの涙に見えるような方向で。

 でまあ,面白そうな話をしているのでメモ:

@ishihata いしはたたかし(いっしー) 「@mayousa_desuga うーん、「安全」と「安心」の定義がよくわかりません。「原発事故が起きた時に大きな健康被害がでない」ことが「安全」で、「原発事故が起きた時に人々が不安に思わない」ことが「安心」ですか? 」(2011/12/26)

 おい待て哲学徒! 「安全」「安心」の差が分からないと(産業に関わる方面での)応用倫理が一切分からんことになりかねん! 君,どういう育ち方をしたんだ! というか,どうやって生きていく気なんだ! …あーあーあーあー,そーかいそーかい一生象牙の塔で専門の本だけ読んで生きていく気かい。でも東大でももうそれムリだと思うけどーと思ったら,すげえ若い人だったのでまあいいか。

 いろいろできるようになっておくとよいです。わかるようになっておくといいです。就職したら,何もかもやらないとダメですからねー。私なんか,広がり過ぎて…(泣) …他称が「XもできるY学者」が「YもできるX学者」に変化した。

@mayousa_desuga まようさ or フィメたん 「@ishihata 「安全」とは、人体に害が無いことです。害の有無は実験で確かめられます。「安心」とは信頼できるかどうかという価値判断ですね。何を信頼するかは人次第です。安全と安心はまったく独立しているので、科学的には明らかに非合理でも安心を感じることはありますし、逆も然りです 」(2011/12/26)

@ishihata いしはたたかし(いっしー) 「@mayousa_desuga 「人は何を信頼するか」って実験できないんですか?たとえば、「あなたは原発事故がおこった際、何の情報を信頼して行動しましたか?」というアンケートを取れば、だいたいのことはわかるのでは?科学が語れないのは「人は何を信頼す『べき』か」だと思います。 」(2011/12/26)

 その「だいたいのこと」では拾えない微細な点に人文学の未来を見るのだ,と主張してはどうか。
 例えば私は,大まかには一般報道,保安院の情報を見て,IAEA,WHOあたりを絡めて考えることにしていた。だが安心してはいなかった。自分の身について,安全だとは,ほぼ当初から確信したが。

@mayousa_desuga まようさ or フィメたん 「@ishihata 今回、人文学が不安を煽ったというのは、この安全と安心がそれぞれ独立であることを無視し、「安心ではない」という自身の価値判断の根拠として、「安全でないからである」という(科学的に反証しうるという意味で)誤った説を持ってくることを主に指しています。 」(2011/12/26)

@ishihata いしはたたかし(いっしー) 「@mayousa_desuga で、どちらにせよ人文学は「俺は安心していない!」ということを語る学問ではない(芸術は語るかもしれませんが、芸術学は語らないと思います)し、さっきもいったとおり「安全であるか否か」は科学の問題であって、人文学の問題じゃありません。 」(2011/12/26)

 これは少年の主張に分がある。なんか哲学なり人文学なりを志す若い人の中には,自分が持った意見を正当化するための理屈を求めてか,それとも現代の問題に快刀乱麻に切り込むことを目的とするかのごとき向きが…いや昨日のメモでちょっと思ったのだが。
 まあ少なくとも伝統的な哲学なり倫理学なりは,超地味な文献学的作業の積み上げであって。それに耐えきれなくなった人がスピンアウトしていろいろぶちかましてるみたいだよねーというのが中の人の愚痴ですな。

@mayousa_desuga まようさ or フィメたん 「@ishihata 私が「煽った」と言うのは、自身の価値判断に科学的知見に反した根拠を付け加える行為です。安心と安全は独立であるのだから「大して害はないと理屈では分かってるけど、俺は原発事故が不安だ」でいいはずです。なのに「福島のこどもはみんな死ぬから」と付ければ煽りでしょう 」(2011/12/26)

@mayousa_desuga まようさ or フィメたん 「@ishihata なので私は「安全だと分かっているのになんとなく安心できないのはなぜか? また安心する/させるにはどうしたら良いか?」という追究であれば、これを不安を煽っているとは言いませんよ。これは正当な問いでしょう。 」(2011/12/26)

@ishihata いしはたたかし(いっしー) 「@mayousa_desuga いやだから、「自然科学について間違った意見を言って不安を煽った」ことがどうして「人文学が不安を煽った」ことになるのか。 」(2011/12/26)

@mayousa_desuga まようさ or フィメたん 「@ishihata ふむ、ではこれからは「自身の価値判断の根拠として、科学的に誤った根拠を付け加えようとする人が、人文学の視点からものを語ろうとする人の中におり、それを積極排除しようとする動きが私には見えない」と言い換えることにしましょう 」(2011/12/26)

「人文学」「自然科学」と大きく括って「**はXX」と一般化して語るのは,それこそ個々の実存を見失った見解ということにはなりましょう。

 なお私は人文科学のひとですが,安心・安全を論じる文脈にありませんので表立っては騒ぎません。寧ろ,私はあえて言えば,状況を分析する側でしょうね。

 あえて発言したといえば,近所の小母さまに言ったこと程度だろうか。敢えて「先生様」の権威を利用しました。それは職業倫理的には罪のはずですが―「放射能こわーい」という小母さまに,「いや既に数値としては我々の地域は問題外で,数値的には,寧ろ積極的に世界の他の地域からの避難民を受け入れねばならぬレベルに」と。

 文学の博士なんだがな,私。

 ところで(広く分ければ)自然科学者から,『福島第一の爆発の煙は大変核爆発のそれに似ている。あれはやっぱり』と語られました(複数回)。これは「自身の価値判断の根拠として、科学的に誤った根拠を付け加えようとする人」にもう一歩というところか。

 博士(文学)が思うに,福島第一のアレは核爆発になりようがない(いや実は燃料棒の濃縮率が95%だったとかなら別だが)。事故後

「あれ,核爆発だと思います?」
「どうやったらできるんですか,なれるんですか?」

 と(別の)自然科学者とお話したことがありますな。なお後者の発言が私の物。おなじ「自然科学者」の枠に入っていても,『なんか私にはそう見えたんだもん』の時点前後で思考を止める向きもあり,人文科学者でもまあいろいろあり。

 では『お前は人文科学者として同輩を止めよ!』という話もあろうかと思われるが,いや相手は大大学の大先生だぞ。誰がどっちの意見を信用しようとするか,どっちの意見を売ろうとするか,商売になるか,発表媒体の確保はどうか,考えても見てくれ。

 労力の点も考えてほしい。大大学の先生は,ひとによるが,授業をしなくてもこなし得るんだ。弟子に任せればいいからな。講読の授業にさえ,一回も姿を見せなかった大先生がいるぞ。そんな連中相手に我々みたいな授業と学務に追われる向きが何できるっていうんだ。つうかこっちは被災地だよ。

 …ま,言っても詮方ないので。私は私の仕事をするのですが。とある盲説を覆すための仕事もあるな。
 …あのねー,盲言くっちゃべるのはすげえ楽なんだけど,根拠を持って権威ある言葉を喋るのはすげえ労力がいるんですよー…。


 ともあれ,このいしはたたかし少年は良い授業を受けたようです。きちんと勉強を積み上げていくといい。
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