空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

松井市長(維新代表)と小泉環境相との評価

2019-09-19 10:12:23 | ノート




 大阪まで持ってくる―なんてことの実現可能性の低さを織り込みつつであろうと、こうした発言が出来ること自体、維新の支持基盤の磐石さを間接的に知らせてくれる。



 まあ、科学的には覚悟なんて話じゃないはずであり、この「覚悟」とは市民的支持の剥落の可能性を呑むということだろう。松井氏は、一部市民の支持を決定的に喪失するリスクを負いつつ、より広範な層の支持を維持し、確保し、獲得できるだろうと賭けたわけだ。おそらくそうしたほうが国民的同胞感情を促進するによし、という思想的意味合いもあろう。

 以下そんな市民の発言らしきものを数件ひろっておく:




 人気とり―というが、どういう種類の人気とりか、という観点はあってよい。どういう人気を獲得しようか、という作戦として分析してみても良い。どんなひとから人気を獲得しようとしているのか、を。
 確実に、このように人気を失うことも分った上で、ではどこからどのようにどれほどの人気を獲得すれば「都合得点プラス」になるのかどうか。




 こうして対比してみればわかる。『どーせ政治家だ、どっちみち人気とりだろ?』と斜めに構えてみても、どうも獲得しようと思う方向性が違っているらしく、アピールの仕方が違っている。

 たとえば、大昔に流行った用語をつかって「連帯」の方向性、とでも言ってみよう。

 小泉新環境相は、まあ”被災地に寄り添う”としつつ、被災地で(無駄に)スペースをとる”汚染水”の放出を拒むもののようである。流したら風評被害が拡大する、と言う理屈のようだ。
 ではこの”汚染水”を(無駄に)福島沿岸部にとどめておく判断を賞賛する人々は、さてどのようであるか。「ケガレ」を福島に極限することで「ケガレ」が海を介して我に届かぬようにと願う人々ではないのか、と。

 そうした人にも「寄り添う」ことで得られる「人気」の質はどうであろうか、と。

 他方松井氏は正面切ってこの立場に反抗する。基本的にはもう安全らしいし、希釈しちゃえばなんとでもなろうものだ、という判断だろう、あえて大阪の海にでもやっちゃえ、と発言する。これによって得ようとする人気はどこからか、だれからか、そしてその性質は。

 恐らく松井氏のほうが、より広範で継続性がある人気を獲得できる。広範というのは、国民的連帯を図る立場から肯定的であるという意味合いもある。全国政党を目指す立場なら、これは合理的な、攻めの戦略といえる。

 他方小泉新環境相の立場は、全国政党のプリンスであるにもかかわらず、地域的分断を容認しかねない観点を含み、しかも反原発派の主張により整合的で―ちょっとこう、フラジリスタ方向にずれているなあと私は判断する。そこからの人気を、よし仮に多少とれても、社民立憲共産れいわ新撰の票を微妙に小泉に引き寄せるだけで、大勢に影響しないのと違うかなあ、と思うのだが。

 つまり松井は、社民立憲共産れいわ新撰支持層からの得票を諦める代わり、全国に薄くも広範な支持を得ようとしている。反原発知識人を(無教養だと)嫌う知識人層からの一定程度の好感をも勝ち取っている。おそらく彼が指導する党派の一般的な好感度アップに繋がるだろう。

 他方小泉は、福島を汚染物保管地域として犠牲の祭壇に捧げることで反原発派の賛同を獲得するが、それは全国にソコソコ程度の広がりしかなく、しかも社民立憲共産れいわ新撰支持のコア層に重なるものと思しく、彼のさしあたりの人気には資するし社民立憲共産れいわ新撰支持層から 彼 の 選 挙 区 に お い て 票を奪うだろうが、彼の同僚たちの票数アップには繋がりにくい。
 なぜなら小泉は党トップではなく、彼の見解は党の方針にならず、 党 の イメージアップに役立たないからだ。

 ことここまでくれば明らかで、松井氏は自分については”男を上げ”、党のイメージアップにつなげうる成果をおさめた。他方小泉氏は己の人気をあげただろうが、党内不協和をあからさまに出してしまい(前任者とはっきり見解を対立させた)、党の人気アップに役立っていない。

 さあこれは、どっちが「一石二鳥」であるのかどうか、センスの良さと言う点でどっちが上手か、判断は、私には明らかなのだが。



 こういう層にも松井氏はアクセスできる。「反原発派」と一口にまとめても、そこにはグラデーションがあるのである。微妙な線を攻めてちまちま自派に取り込む手を打つほうが老練と評されようなあ、と思うのである。

 追記


 よ り だ め じ ゃ ね え か
 …現在の支持者を確実に確保する一方、新規顧客をできるだけ積極的に獲得せねばならないという課題とすると、ああ、うん、その、まあ、ああ、できれば客を選びたいんじゃないかなあふつうはなあ、とちょっと、その…。

 追記2


 とまあ、そもそも顧客になりえなくなっちゃった人を引き戻すコストを払うくらいなら、そのほかのマスに訴えますかねーという、そーゆーマーケティングの初歩的な話なのである。
 まあ、自分の生き残りのために、どういう客をどう引き止めておくか・おけるか、という作戦とみてもよい。
 福島県民の数と、拗らせた反原発派の数とは、まあ…どっこいどっこいか、もしか後者のほうが多いかといったところだろうか。

 ひとをdisる商売はよくない―と言う風に、私は普段は教育する。ところでこの話題の場合、「被曝汚染地福島」と侮辱する方向と、「科学のカも統計のトの字も分らん低能放射脳」とバカにするかの二択になるかと思われる。
 どっちを選ぶかは個人の趣味になりそうだが、社会的な経済効果の大きさと個人的な幸福度の増進の観点から、私は福島擁護にまわるかな。福島の酒・桃・魚・野菜…を原理原則的に排除する際のめんどくささと逸失利益の点から、その点だけでも。

 だいたいなあ、福島産の肉かなにかで放射線障害を起こしたければ、山林で捕ったイノシシ肉を常時食い続ける以上のなにか特殊な行動が必要なんでなあ。
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