東京新聞 あの手口を学んだらどうか 麻生氏の発言要旨 2013年7月31日 朝刊
とにかく誤解されやすそうな危うげな発言である。よく考えないとわからないような難しい内容・比喩は,口頭で,しかもそうした用意のない人々の前で使うべきではない。
「「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」
ここだけ切り取れば,『ナチスに学んでこっそり改訂していこうじゃないか』という呼びかけに聞こえるだろう。
続く
「僕は民主主義を否定するつもりもまったくない」
は,独裁志向の非民主主義的指導者が人民の目をくらますための常套句のように見えるだろう。ところが
「しかし、けん騒の中で決めないでほしい」
非常に良識ある見識が示される。というか,一国の大方針を定める文章は,できれば熟慮のうちに決めたいなあというのは,良識というか常識というか。
そうした,一見矛盾するような―非民主主義者が民主主義を主張して,ということは乱を起こそうという人のはずなのに抑制のきいた冷静な議論を呼びかけていて,これもやっぱり誤魔化しなの?という―文章の前には,何があるだろう?
「憲法の話を狂騒の中でやってほしくない」
「落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」
冷静な議論でやってほしいんだ!という一人称の願いを言い,そして冷静な議論をしようと呼び掛ける。
「騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」
上掲の一文こそが本来の主張なのであろう。たかだかこの程度の量の纏めの文章の中に,「喧噪のなかで・騒がしいなかで・狂騒の中でやるべきではない」との文章が三回も入っている。
そうすると,『ナチスのやり方を学んだらどーかなー?』という文には,別個の意味を読み取ることができなくもない。
『「ぼくのかんがえるけんぽうがにほんこくけんぽうです,それいがいのものは極悪邪悪猛悪な存在なので全員一致の正義の実力で以て撃滅せねばならぬッ!!!!!」とゆーことを思うひとは,ちっくらナチスのやり方を学んじゃあどうかね? アレ程度でも,うまいこと国民をだまくらかしてヤッちまったじゃないか。君達,70年位前か,アレ程度がやったアレ程度も真似したり学んだりすることはできないと,そういうわけかね?』
この理解の場合,彼が「もうちょっと物を考えようか」と呼び掛ける相手は,彼の敵対者(と自分を位置づける者)に限らない。個人的な人気を確保しようと見識に欠けた発言を行う者たち皆である(だから,党の予定にない範囲にまで大風呂敷を広げて無駄に火に油を注ぐ自民党なりなんなりの”若いの”も対象に含まれる)。
腹立ちまぎれ,苛立ちまぎれにうっかり口を滑らした嫌味であるという可能性だ。
「ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありうる」
「日本が今置かれている国際情勢は、憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。改憲は単なる手段だ」
現行憲法を不磨の大典と位置づけるのは間違いだ,そんな物神化は間違いだ,善意からでも悪は結果しうる―まあそんな感じだろう。
なおここで「改憲の目的は国家の安定と安寧だ」とだけ言ったところについては,やはり不用意であるかなと思う。国家自体の安立を目的とし,市民の存在を軽視するものではないか,そういう意識が表出しているのではないか,と批判する余地が出てくる。「改憲の目的は国家・国民の安定と安寧だ」と入れておけばよかった。国民の安全・安心,生活を守るのが重要だと入れるとよりよいかとは思う。
もちろん,国民という言い方が気に入らない向きは大いにあろう。市民と言わなければ納得いかない向きは大いにあろう。しかし麻生氏の立場では「国民」で十二分のはずだ。一般有権者に呼びかける際にもそれでいい(特に誤解を招かない)。
そんなわけで,私はこの「ヒートアップした側の見識が問われることにもなりかねない」の点に注目したわけであった(上掲メモを書き終えてから大屋先生の発言を見た)。
事実関係の理解については,私はあのあたりのことを頭の中にあまりおいてないので失念してました。そういえば,えらくとんでもないぐだぐだな停止っぷりを曝したわけですね,ええ。
とにかく誤解されやすそうな危うげな発言である。よく考えないとわからないような難しい内容・比喩は,口頭で,しかもそうした用意のない人々の前で使うべきではない。
「「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」
ここだけ切り取れば,『ナチスに学んでこっそり改訂していこうじゃないか』という呼びかけに聞こえるだろう。
続く
「僕は民主主義を否定するつもりもまったくない」
は,独裁志向の非民主主義的指導者が人民の目をくらますための常套句のように見えるだろう。ところが
「しかし、けん騒の中で決めないでほしい」
非常に良識ある見識が示される。というか,一国の大方針を定める文章は,できれば熟慮のうちに決めたいなあというのは,良識というか常識というか。
そうした,一見矛盾するような―非民主主義者が民主主義を主張して,ということは乱を起こそうという人のはずなのに抑制のきいた冷静な議論を呼びかけていて,これもやっぱり誤魔化しなの?という―文章の前には,何があるだろう?
「憲法の話を狂騒の中でやってほしくない」
「落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」
冷静な議論でやってほしいんだ!という一人称の願いを言い,そして冷静な議論をしようと呼び掛ける。
「騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」
上掲の一文こそが本来の主張なのであろう。たかだかこの程度の量の纏めの文章の中に,「喧噪のなかで・騒がしいなかで・狂騒の中でやるべきではない」との文章が三回も入っている。
そうすると,『ナチスのやり方を学んだらどーかなー?』という文には,別個の意味を読み取ることができなくもない。
『「ぼくのかんがえるけんぽうがにほんこくけんぽうです,それいがいのものは極悪邪悪猛悪な存在なので全員一致の正義の実力で以て撃滅せねばならぬッ!!!!!」とゆーことを思うひとは,ちっくらナチスのやり方を学んじゃあどうかね? アレ程度でも,うまいこと国民をだまくらかしてヤッちまったじゃないか。君達,70年位前か,アレ程度がやったアレ程度も真似したり学んだりすることはできないと,そういうわけかね?』
この理解の場合,彼が「もうちょっと物を考えようか」と呼び掛ける相手は,彼の敵対者(と自分を位置づける者)に限らない。個人的な人気を確保しようと見識に欠けた発言を行う者たち皆である(だから,党の予定にない範囲にまで大風呂敷を広げて無駄に火に油を注ぐ自民党なりなんなりの”若いの”も対象に含まれる)。
腹立ちまぎれ,苛立ちまぎれにうっかり口を滑らした嫌味であるという可能性だ。
「ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありうる」
「日本が今置かれている国際情勢は、憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。改憲は単なる手段だ」
現行憲法を不磨の大典と位置づけるのは間違いだ,そんな物神化は間違いだ,善意からでも悪は結果しうる―まあそんな感じだろう。
なおここで「改憲の目的は国家の安定と安寧だ」とだけ言ったところについては,やはり不用意であるかなと思う。国家自体の安立を目的とし,市民の存在を軽視するものではないか,そういう意識が表出しているのではないか,と批判する余地が出てくる。「改憲の目的は国家・国民の安定と安寧だ」と入れておけばよかった。国民の安全・安心,生活を守るのが重要だと入れるとよりよいかとは思う。
もちろん,国民という言い方が気に入らない向きは大いにあろう。市民と言わなければ納得いかない向きは大いにあろう。しかし麻生氏の立場では「国民」で十二分のはずだ。一般有権者に呼びかける際にもそれでいい(特に誤解を招かない)。
その意味で、いや事実関係の理解についてはどうにもアカンのではないかと思われるところ、改憲を論じるなら《静かな環境》であるべきだという点は十分にありえる主張だろうという印象。ヒートアップした側の見識が問われることにもなりかねないので、注意。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) July 31, 2013
そんなわけで,私はこの「ヒートアップした側の見識が問われることにもなりかねない」の点に注目したわけであった(上掲メモを書き終えてから大屋先生の発言を見た)。
事実関係の理解については,私はあのあたりのことを頭の中にあまりおいてないので失念してました。そういえば,えらくとんでもないぐだぐだな停止っぷりを曝したわけですね,ええ。
問題は後半の「いつのときからか、騒ぎになった。」以降。
麻生氏が、自民党員に、
改憲を民意に反して実現させるための手口を教えている場面
にしか見えない。
「いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。
静かにやろうやと。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
と言った後の
「(改憲を)喧噪のなかで決めてほしくない」
を自然に解釈すれば、
改憲を民意に反して実現させるためには、
数の力でごり押しするやり方だと喧噪が起きて失敗するので、
静かに行って国民に感付かれないようこっそり変えるやり方の方がいい
という意味になります。
自分達のやろうとしてるやり方が、
ナチスが自国の憲法をナチス憲法に改悪したときと同じやり方
だと明言したのだから、
やろうとしてることも、
自民党が自国の憲法をナチス憲法に改悪すること
だと誰だって思います。
それとも、
やり方だけ、ナチス憲法に改悪したときと同じやり方だけど、
やることは、民意を反映した形に改善することだ
とでも言うのでしょうか?
もし、そうなら、
麻生氏は、ユダヤ系人権団体に、堂々と、そう説明すればいい。
ユダヤ系人権団体が要求しているのは、
撤回や謝罪ではなく、真意の回答です。
麻生氏には、謝罪なんかどうでもいいから、真意を答えてもらわないといけない。
曖昧な答え方で誤魔化すのを許さず正確に答えてもらわないといけない。
「学んだらどうかね」とは誰に向かって言ってるのか?
「手口」とは、具体的に、どんな妨害を回避するために何をすることなのか?
ちゃんと答えてほしい。
「真意が伝わっていない」と抽象的に言われてもわからない。
ネットで真意はこうだと言って擁護してる人がうじゃうじゃいるけど、
麻生氏本人に言ってもらわないと、本当はどうなのかずっとわからないまま。