この記事はiPhoneから投稿しました。
今日は今週26日(水)にとりあげた東京・渋谷の名曲喫茶「ライオン」の続きです。その日の記事にも書きましたが、紹介する起因となったのは読売新聞夕刊「しあわせ小箱」のコーナーのでした。今日はその全文を紹介します。ちょっと長いですが是非、読んで下さい。
クラシック1(24日)
若者たちの街、東京・渋谷。道玄坂を中ほどまで上り、路地を右手に進むと、石造り風の古い洋館が現れる。昭和元年創業の名曲喫茶「ライオン」。玄関につるされたパンフレットには、誇らしげに「全館ステレオ音響完備」「帝都随一を誇る」とある。石原圭子さん(77)はその3代目店長だ。
客席は旅客機の座席のように、一つの方向を向いている。お客が見つめる先は高さ2㍍、幅3㍍の巨大スピーカー。これが「帝都随一」のいわれだった。この音響装置の下の棚では、クラシックのレコード5000枚が今か今かと出番を待っている。
先代の店長で夫の宗夫さんは4年前に亡くなった。石原さんは嫁いでから50年あまり。その半世紀はスピーカーから流れだす深く柔らかい音に、静かに身を委ねる客の姿を眺めて過ごした。
「父さんと母さんはいつでもここでデートしていたよ」。先日、北海道から訪れた中年夫妻が我が子に聞かせる光景を見た。「まだやってたか!」。店に入るなり、叫んだ客もいた。
最近は2階席の床がぎしぎしと悲鳴をあげ、経営も楽ではない。だが、店を閉めようとは思わない。「戻ってくるお客さんがいるから、やめるわけにいかないのよ」
クラシック2(25日)
東京・渋谷の名曲喫茶「ライオン」の3代目店長、石原圭子さん(77)が店に来た50年前は、夫の義兄で創業者の山寺弥之助さんが店長。明治生まれを絵に描いたような頑固で厳しい人だった。
日本橋で育ち、銀座でハイカラなものも多く見て育った石原さんは、巨大なスピーカーに驚くことはなかったし、レコードを扱ったこともあった。だが、店の看板である「帝都随一を誇る」音響設備は、やはり勝手が違った。
初めて客のリクエスト曲をかけた日。針を持ち上げると、ウソのように軽い。それを、ぐるぐる回っているレコードに静かに載せるのは容易ではない。置き損ねてバチバチッと針が飛ぶと、すかさず「何やってんだ!傷つける気かっ」と怒声が飛んだ。
レコードがとても高価な時代。石原さんは震え上がり、しゃれっ気から視力が悪いのにかけずにいた眼鏡を買いに走った。その後も、針を落とすのが難しい、レコードの途中に入っている曲のリクエストが来ないように祈った。
怖くてあまり話せないまま、山寺さんは亡くなった。怒ったのは、一枚一枚のレコードを大切にする気持ちからだろう。指揮者によって同じ局が別のものに聞こえるくらい耳が肥えた今、心から思う。「もっといろいろ教わっておけばよかった」。
クラシック3(26日)
半世紀も店にいると、いろいろな人に会う。東京・渋谷の名曲喫茶「ライオン」の店長、石原圭子さん(77)が客の奇抜な振る舞いに目を丸くしたのは一度や二度ではない。
スピーカーの前で、髪を振り乱して指揮棒(タクト)を操る「マイタクト学生」、モーツアルトばかりリクエストして卓に突っ伏して聞き入り、隣の人が本をめくる音にも「うるさい」とどなる「モーツアルトおじさん」…。でも、そうした振る舞いも、音楽を愛するゆえと思えば、いとおしくなるから不思議だ。
昔に比べると、最近のお客は随分おとなしいが、今でも「このスピーカーでなきゃ」と、わざわざ大阪からレコード持参で通ってくる変り種もいる。
店のアルバイト森曠士郎さん(36)も、元々は客の一人だった。音大でピアノを学んだが手を痛めて中退、人生に絶望していた時、店で働き始めた。巨匠の音楽を聴く毎日は耳と心を鍛えた。鍵盤に触れずとも、間の取り方など演奏のイメージが次々浮かんだ。「また弾きたい」。強い気持ちがわいてきて、再び鍵盤に向かった。動かなかった手は緩やかに回復し、今ではピアノ教室で教えられるまでに戻った。「音楽には人を癒す力があるからね」。石原さんはにっこり笑う。
クラシック4(27日)
東京・渋谷の老舗名曲喫茶「ライオン」は年中無休だった。大みそかは「第九」、正月は筝曲を流す。経営者の石原圭子さん(77)の夫で、先代店長の宗夫さんも「休まない」という創業者の意思を守り続けた。
夫はとにかく、店のことになると一生懸命。「コーヒーを研究する」と言って、東京中の喫茶店を訪ねて歩いた。店をつかの間、人任せにして一緒に卓を挟んで座るひとときが好きだった。無口な人で、何を話すでもなかった。でも、しあわせな時間だった。
お互いに年をとってきた頃、石原さんの意見で正月休みと夏休みだけはとるようにした。がんと分かったのは4年前。病床でも「店は大丈夫か」と何度も口にしたが、闘病は数か月で終わった。
通夜も葬式も店で行った。ひつぎを大きなスピーカーの前に置き、一晩中、ありとあらゆる作曲家のレクイエム(鎮魂曲)をかけた。欧風のクラシックな内装と青白い証明。そこに幕を張り、ベートーベンやブラームスの肖像画に囲まれて線香がたかれ、お坊さんがお経を読む葬式は、何とも不思議な光景だった。その中で、息子や娘が父の思い出を語る姿を見つめた。たぶん、夫はこのお別れを気に入ってくれただろう。その日だけはコーヒーのにおいがしなかった。
クラシック5(28日)
扉の前をうろうろしていた若者が遠ざかっていく。「あら、行っちゃった」。昭和元年創業の名曲喫茶「ライオン」(東京・渋谷)ではクラシック過ぎる外観のせいか、入店をためらう人をよく見かける。「怖くないのに」。そうつぶやくのも経営者の石原圭子さん(77)の日常だ。
歩きながらでも、多様な音楽を聴けるようになった現代。7年ほど前には、「何かを変えるべきか」と夫と悩んだこともある。でも、行き着いた結論は、「来てくれる人がいる限り、同じスタイルで店を続ける」。音楽とお客さんのために、細々とだが働く道を選んだ。
最近ちょっとうれしいのは、若い女性が増え始めたこと。村上春樹さんの作品に出てきた作曲家ヤナーチェクをリクエストする人も多い。人はきっかさえあれば、クラシックのすばらしさに気付いてくれるだろう。「がちゃがちゃした音があふれる世の中でこそ、心にしみこむクラシックは脈々と生き続ける」。そう信じている。
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昨日の読売新聞夕刊「しあわせ小箱」のコーナーで東京・渋谷の名曲喫茶がとりあげられてました。店の名前は「ライオン」です。思わず「あそこだ!」と叫びました(ちょっとオーバーですかね)。
昨年末に休日出勤した際(私の仕事場の最寄り駅は渋谷駅です)、昼食をとるため渋谷で人気のある中華料理店に行きました。その帰りに時間があったので、周辺を散策していた時、名曲喫茶と書かれた看板が立っている店を見かけました。その店が「ライオン」でした。戦後まもない頃にオープンしたそうです。
場所は、渋谷駅から道玄坂の「しぶや百軒店通り」を入った奥にあります。
案内所と書かれている建物の右をまっすぐ進むと、左側にあります。この辺はとあるものが多く建っていることで有名な円山町です。
この国を訪れるようになって約10年が経ちました。10年も経てば色々と変わるのですが、道路の渋滞は益々酷くなってます。朝夕の通勤ラッシュならまだしも、午後の早い時間でもスクンビット通りは渋滞です。
スクンビット通りが渋滞しているため、Soi(ソイ:日本語だと横道ですかね)も渋滞してます。
スクンビット通りへの合流もままなりません。この国の運転手には「譲り合い」の精神はありません。
車の販売台数が年々伸びているのですから、渋滞が緩和されないのも当たり前ですね。
変わったことが一つありました。BTS(高架鉄道)です。初めて訪れたときは開業して2年目頃でした。バスの運賃と比べて2倍から3倍していたので、朝夕の通勤時でも空いてました。しかし、現在は満員です。
バスとの価格差は今も変わってません。と言うことはタイ国民の経済水準が上がったのですかね。
タイではプリペイドSIMカードを通信会社から購入し、SIMロックフリーの携帯端末に装着をして通話を開始することになります(日本では想像できないですけど)。当たり前のことですが、SIMカードには電話番号が設定されてます。この番号はパッケージに印刷されてます。人間の心理としては、車のナンバーのようにゴロがいい番号が欲しくなるわけです。そこで、タイではゴロがいい番号を入手した販売店では、その番号を店頭に掲示して販売してます。
このような番号は若干のプレミアム付きの価格となってます。その中でも、下の写真の番号は超プレミアム付きとなってます。主に販売されているSIMカードは概ね300バーツ前後でです。それからすると、「082-5566309」は2,000バーツですから約7倍、「08-09460946」は3,000バーツですから約10倍、そして「08-55555-059」は、なんと10,000バーツで約30倍となってます。この番号には横線が入っているので売却済みでした。
バンコクで木村拓哉さん主演「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」と新垣結衣さん主演「ハナミズキ」が公開されてました。
タイでは日本の食文化は深く浸透してますが、エンターテイメント(特に音楽と映画)は「韓国ブーム」に押され気味です。特にKARAや少女時代が人気があり、彼女たちのファッションをまねている若い女性も増加してます。
昨日のブログでサイアム・スクエアにあるラーメン店「ちゃぶ屋とんこつらぁ麺CHABUTON」の写真を載せました。昨年12月には2号店が「セントラルワールド」にオープンしてました。私はこの手の情報に疎いので、ちゃっと調べてみました。そもそもはテレビ東京の「TVチャンピョン・ラーメン職人個人選手権」で優勝した森康二氏と「らあめん花月嵐」などを展開している会社が共同プロデュースし、タイでは外食大手企業が展開しているとのことでした。