イントラムロスには、サンチャゴ要塞以外にマニラ大聖堂、サン・オウガスチン教会など歴史的建造物がありますが、一般市民も多く住んでいます。↓は見た瞬間目を疑いました。
これは人家でした。2階部分は船の船首です。おそらく、真似て建てたのでしょう。人が生活しているわけですから、周辺には商店や食堂がありました。この日の夕食はこの人家の近くにあった食堂でとりました。料理は東南アジア定番の「ぶっかけご飯」でした。
店先に並べられているおかずを選び、ライスの上にかけて食べます。何故、この店を選んだかと言えば、店頭で焼いていた肉の臭いに誘われたからです。
私は東南アジアのお米が食べられないので、おかずをつまみにビールを飲み、〆は焼きそばでした。
ベトナム・ホーチミン市で開催されていた女子アジアカップは日本の初優勝で幕を閉じました。この大会は、来年カナダで開催される女子ワールドカップの出場権を得る大会でもありました。
ワールドカップ出場国はドイツ大会の3か国から2か国増えて5か国となりました。今回のアジア杯には北朝鮮がドーピング違反で出場できませんでした。
大会が開催される前、予選を免除されていた日本,韓国,中国,オーストラリアが順当に行けば出場枠が得られる予想でした。結果はその通りでした。注目されていたのは最後の1枠でした。
ベトナム、タイ、ミャンマーの3か国は東南アジアの中でもサッカー熱が高い国です。私はベトナムを応援していました。代表監督を中国から呼び、大会前には合計で1か月の代表合宿まで行ったそうです。しかし、結果はタイに敗れて出場を逃がしてしまいました。
ベトナムの初戦は日本でした。この試合をテレビで観戦していました。前半日本に1点は取られましたが善戦してました。もし、日本と引き分けていたならば、その勢いでベトナムは出場権を得たかもしれません。
連日、タイのクーデターの様子が新聞・テレビで報道されています。経済では中進国の基準を満たしているタイですが、政治にも基準があるとすれば、発展途上国並みではないでしょうが。
ことがある度に国軍が表舞台に登場しますが、この国には国軍は存在せず、「国王の軍隊」が国軍と呼ばれています。すなわち、国王の意図に基づいて行動を起こすことになります。
私は、2006年9月のクーデターを実際に目にしました。このときは、タクシン首相が外遊している隙を狙ったとも言われています。それ以前にデモなどが行われていませんでしたので、街は普段通りでした。また、国政の調整役として成果を上げました。
ところが、今回は状況が異なっているようです。調整の可能性が厳しいと判断したようで、与野党議員を拘束しました。強引な手法は諸外国から非難を浴びることになるでしょう。記事は拡大されてから読んでください。
今日は仕事帰りにアップルストア銀座店に寄りました。
帰りは銀ブラをしながらJR新橋駅から帰宅するつもりでしたが、あることを思い出して有楽町まで足を運びました。その場所は有楽町駅から、やや新橋駅寄りのガード下にあるもつ焼店でした。
ここは、フジテレビ「続・最後から二番目の恋」の初回に、吉野千明(小泉今日子)、水野祥子(渡辺真起子)、荒木啓子(森口博子)の3人がオヤジ化して気勢を上げていたお店でした。店名は「ふじ」です。
私が社会人生活を送りはじめたときに既にありました。この界隈でも最も有名なお店の一つです。
一見すると下町風ですが、ガードの反対側には帝国ホテル、その先が日比谷公園と皇居です。この周辺はサラリーマンのオアシスです。外国人が物珍しそうに食べている光景を見たこともありました。
今日のタイトルは、日本経済新聞社日曜版の読書面にシリーズで掲載されて記事です。毎回、トップ企業の社長・会長の読書歴が紹介されています。
今月4日の記事の中で興味を引く本が紹介されていました。タイトルは「考える技術・書く技術」(板坂元著、講談社現代新書刊)。初版は1973年ですが、昨年71版が発行されました。隠れたベストセラーと言えるでしょう。
早速、購入して読みはじめましたところ、何故かアイビーの記述がありましたので紹介させてもらいます。
その内容とは、
十何年前(初版の刊行が1973年なので1960年頃と思われます)ハーバード大学に赴任した
とき、まず目を見はったことは、学生が敷ぶとんの生地に使うような布でつくったスポーツコー
トを着ていることだった。
むかしの日本の田舎では、敷ぶとんだけでなく、お寺や旅館の座ぶとんにもあんな縞の材
料が使われていたものだ。あの生地はヨーロッパでは、ついぞ見なかったものなので、おどろ
きであった。ところが、その生地が四、五年したら日本に輸入されてアイビー・ルックとして大
流行したのには、二重に驚かされた。当時、この服装を現地でたしかめようと視察に来た人を
世話して、ハーバードのキャンパスの中で、片っぱしから学生をつかまえては、「なぜ、その柄
の上着を着ているのか」と質問したことがある。ほとんど、自分にはわからないという答えだっ
たが、中の一人は、よく事情を知っていて教えてくれた。この生地は、もともと印度産の木綿で
あって、安くて強くて何度も選択がきくのでわれわれ貧乏学生の上着に適している。だから、
みんなが着ているのである。と。なるほど、そういえば日本の敷ぶとんの生地も、印度わたり
の安木綿だったのだから、同じ材料だとわたくしは大いに喜んだ。そばに立っていた視察の
日本紳士の憮然とした顔つきは、今も忘れられない。
あれも、印度の学生やブラジルの学生が着ているといったのではブームにならなかっただろ
う。むかし安旅館のふとんに使っていたでは、なおさらダメだったはずだ。ハーバード・エー
ル・プリンストン等の学生が、というので人々のお気に召したのにちがいない。
説得という点か ら見れば、あれを日本に持ちこんだ人は天才である。
です。
注目は最後の「あれを日本に持ちこんだ人は天才である」ところです。その天才とは誰のこと
でしょうか。興味があります。
そして、「敷ぶとんの生地に使うような布でつくったスポーツコー ト」とは何を指していのでしょうか。
初日の夕方、「サンチャゴ要塞(Fort Santiago)」を見るためにホテルを出ました。ガイドブックの地図によるとチャイナタウンのホテルから目指す場所まではさほどの距離はないようでした。ホテルからは、「パシッグ川(Pasig River)」に架かる「ジョンズ橋(Jones Bridge)」を渡り、川に沿って歩く先が目的の場所でした。
橋を渡っているとき視線の先に要塞と思しきところが見えました。歩くこと10分程でその場所の近くに着いたのですが、入口が見当たりません。仕方なく、周辺をうろうろしていたら、城壁のようなものが見えました。近くに寄って確認するとまさしく城壁でした。そして、その上を人が歩いているのでした。どこかに登り口があるのではと思い周囲を歩くと石造りの坂道がありました。上がってみるとやはり城壁でした。早速、ガイドブックの地図を広げて確認すると、私が居るところは「イントラムロス(Intramuros)」と呼ばれるところでした。↓の地図で太線で囲まれたエリアです。
ウィキペディアによると、ここは16世紀にスペイン人たちによって建てられたフィリピンの首都マニラの最古の地区であり、パシッグ川南岸に位置しています。その名称は直訳するとスペイン語で「壁の内側で」となり、壁で囲まれた都市または要塞を意味し、またその厚く高い壁と堀とで囲まれた構造を言い表しています。スペイン時代には、ここがマニラそのものだと考えられていたようです。
イントラムロス内の多くの建物はコロニアル様式でした。最近建てられたよ思われるホテルもコロニアル風でした。セブンイレブンも街に溶け込んでいました。
昨日のブログでさらっと触れましたが、私の仕事はシステム・エンジニアです。属にSEとも呼ばれています。主に企業情報システムの構築に携わっています。SEはコンピューターの事だけではなく、幅広い知識が必要となります。それに役立っているのが新聞やビジネス雑誌です。
特にビジネス雑誌は、様々な切り口で興味ある特集記事を載せています。私はビジネス雑誌の定期購読はしていませんが、常に特集記事のチェックはしています。そんな中、週刊ダイアモンドが現在のクライアントに直結する特集号を発刊したので購読しました。特集内容は「保険を斬る!」です。
この中に首を傾げたくなるような記事がありましたので紹介します。赤線を引いた内容に注目してください。
私たちの日常生活や将来に直接結びつく事はありませんが、お役所とはこんなところなのですね。