はじめてタイを訪れた時から通っているお店があります。そこは、BTSアソーク駅の近くにある韓国料理店「韓国館」です。毎回、バンコクに着いた夜には決まった知人と食事をしてます。前回(5月)の時、知人が「納豆スープが美味しいよ」と言われ、ビックリしました。早々、注文しました。それは、キムチと豆腐の激辛スープの中に納豆を入れたものでした。
味は二重丸でした。でも、韓国人は納豆を食べるのでしょうか。また、メニューには「清鞠醤」と書かれてました。これは中国語?ローマ字では「NATTO」でした。
このお店は、週末ともなると多くのお客さんで賑わってます。
ここのお店の特徴は、小皿に盛られて出てくる食べ物が美味しいことです。全て従業員の手作りです。ビビンバなど、単品を注文しても出てきます。
ファーストリテイリングは「ユニクロ」をタイで年内に3店オープンすると発表しました。タイは11ヶ国目の海外進出先。2020年までに100店舗に拡大する計画もあるようです。1号店は9月にバンコクの中心部に開くとのことです。さて、どこにオープンするのですかね。誰が考えてもサイアム地区だとは思うのですが。まさか、伊勢丹ではないでしょうね。ここに買い物に訪れるのは日本人だけですから、多分違うと思います。
今年の4月21日のブログで第二次世界大戦で活躍した戦艦のプラモデル「ウォータラインシリーズ」を記事にしました。既に過去のものかと思っていたら、まだまだ健在でした。GWに秋葉原で立ち寄ったモデル・ショップでは専用コーナーを設けて販売してました。
私の中学・高校時代はプラモデル作りに熱中してました。その当時は、田宮、長谷川など国産メーカーの製品が大半で、輸入プラモデルは極僅かでした。でも、今では世界中のプラモデルが手に入るようです。このお店ではポーランドの製品が売られてました。
↓のモデルも外国製品でした。特に右の製品は、戦車を得意とするタミヤでも発売していないものでした。パッケージもリアルですね。
日本航空、全日空は8~9月発券分から燃料サーチャージを引き上げると発表しました。値上げ幅は両社とも同水準。これが私には理解できません。
チュニジアが起爆剤となった中東の「ジャスミン革命」の影響で原油が値上がりしている現実は、当然知ってます。しかし、航空会社は先物取引によってリスクを価格変動を回避している筈です。
それにもかかわらず、2社が同じ状況だとは考えられないのです。これも、航空行政の一つなのですかね。利用者にとっては、理解できません。
19日(日)日本経済新聞社1面の春秋欄にIBM社のことが載っていましたので紹介します。今でも日本企業の一歩先を行ってます。
紙のカードに穴をあけ、その位置の違いで情報を記録する。コンピュータが登場する前、米IBMはそうした「せん孔カード」式事務機を作っていた。日本からも引き合いがあったのが大正の末。ところがせっかくの注文を断った。
「機械のメンテナンス体制が日本にない」というのが理由だった。製品の点検や修理をする人がいなければ、使い手に迷惑がかかるとIBMは回答。そこで注文した会社は、交渉役の社員が米国で機械の保守技術を習うことにした。商談は成立し、その社員は日本IBMの設立にかかわり後に経営トップを務める。
事務機などの3社が統合し、現在のIBMが生れたのが1911年6月。この100年の間、日本企業はIBMから、情報技術、半導体、超電導など幅広い分野で刺激を受けてきた。だが、技術より先に学んだことがある。製品を顧客に渡した後も企業は責任があるとの考え方は、当時の日本企業には驚きだった。
いまIBMはアフリカの営業拠点を増やし、現地の大学と組んで技術者の養成にも力を入れている。
以前一度書きましたが、私は今風に言うとIT技術者です。でも、実体は「おやじプログラマー」です。今から約30年ちょっと前、私がはじめた触ったコンピューターは「IBMシステム360」でした(↓の写真)。CPU(中央演算処理装置)のメモリー容量は64KBでした。今、このブログを書いているパソコンのメモリーの1万分の1以下です。これで、全国規模のオンライン業務を行ってました。
この当時、液晶モニターなどはありませんでした。会社ですから仕入れた商品や売れた商品を伝票からコンピュータに入力しなければなりません。そこで、使われたいたのが↓の「パンチカード」です。このカードに数字、英字そして一部の記号をコンピュータが認識できる穴をあけて使っていたのです。伝票が100枚あれば、このカードを100枚作ることになるのです。
何故、今になってこんな記事を書いたかと言えば、IBMが誕生して今年で100年を迎えたからです。