車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 島根県旧島根町(松江市)

2018年07月14日 07時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡島根町(しまねちょう)は島根半島の中央東よりに位置し、北は日本海に面し、南に北山山地を背負った町です。50km に及ぶ海岸線には「佐太大神」がお生まれになったと伝えられる「加賀の潜戸」があり、海岸全域が大山隠岐国立公園に指定されています。「町の木:松&ケヤキ」「町の花:桜&菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により島根郡大芦村・加賀村・野波村が発足。

1896年、郡制の施行により、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1956年、野波村、大芦村、加賀村が合併、八束郡島根村が発足。

1969年、島根村が町制を施行、八束郡島根町となります。

2005年、旧松江市・鹿島町・美保関町・八雲村・玉湯町・宍道町・八束町と合併、松江市鹿島町となりました。

マンホールは全体が市松柄風の規格蓋がありましたが、デザイン蓋の類はありません。

昭和46年12月11日制定の町章は「左側の半円で「し」、右側の半円と点で「マ」、中央が「ネ」をあしらって、「しまね」と読みます。円は、町民の融和を象徴し、内部は培われた力が放射状になって、町運が、無限に進展することを示す。」旧公式HPより

撮影日:2011年5月19日

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松江市島根町大芦、大芦漁港に面して鎮座される「式内社:大埼神社」。御祭神は『伊邪那美命』。傍らの案内に「出雲風土記登場地、現在の「大芦」は「大埼」が転化した地名である」と記されています。

参道石段両脇より神域を守護されるのは、昭和63年10月建立の出雲構えの狛犬さん一対。なんだか随分と楽しそう(⌒∇⌒)

県道37号線を走っているとき、偶然お見掛けした鳥居と狛犬さん。参道の石段にいとも簡単に心折れた二人(-_-;) 参拝は鳥居の前でご勘弁願いました。

参拝日:2011年5月19日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧鹿島町(松江市)

2018年07月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡鹿島町(かしまちょう)は島根県の東部に位置し、日本海側に面していた町です。町名は、1956年の合併に際し、四つの町村が秋鹿郡と島根郡に跨っていた事から一字ずつとって「鹿島」としました。町域には出雲風土記に登場する「出雲国二宮:佐太神社」や、弥生時代の銅鐸・銅剣が出土した「志谷奥遺跡」があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により秋鹿郡恵曇村(えともむら)・佐太村、島根郡講武村・御津村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1947年、恵曇村が町制を施行、八束郡恵曇町となる。

1956年、八束郡恵曇町・佐太村・講武村・御津村が合併、八束郡鹿島町が発足。

2005年、旧松江市・島根町・美保関町・八雲村・玉湯町・宍道町・八束町が合併、松江市鹿島町となりました。

マンホールは規格蓋のみ、デザイン蓋はありません。

昭和46年5月8日制定の町章は「「カしマ」を図案化したものです」

松江市役所鹿島支所の敷地内にあった「中国文学者 増田渉(ますだ わたる)先生顕著碑」。恵曇村の出身。中国の思想家で小説家でもあった「魯迅(ろじん)」に師事し、彼に関する多くの作品を残した人物です。

撮影日:2011年5月19日

 

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ご当地マンホール in 島根県松江市

2018年06月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

松江市(まつえし)は島根県の東部、山陰地方のほぼ中央に位置します。出雲地方に位置しています。北は日本海に接する島根半島の北山山地、宍道湖と中海、南は中国山地に挟まれた地域に広がる都市で、松江藩の城下町を中心に発展してきました。県庁所在地で山陰最大の人口を擁する中心都市です。「市の木:松」「市の花:ツバキ」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑、歴史と教育を大切にし 伸びゆく国際文化観光都市・松江」

明治22年(1889)、市町村制の施行により島根郡・意宇郡の一部から松江市が発足。同年、八束郡津田村・川津村・朝酌村・法吉村・乃木村・竹矢村・忌部村・大庭村・持田村・生馬村・本庄村・古江村・秋鹿村・大野村が発足。

1934年、八束郡津田村を編入。

1939年、八束郡川津村、朝酌村を編入。

1948年、八束郡法吉村を編入。

1950年、八束郡乃木村、竹矢村を編入。

1951年、八束郡忌部村、大庭村を編入。

1953年、八束郡持田村、生馬村を編入。

1955年、八束郡本庄村、古江村を編入。

1960年、八束郡秋鹿村、大野村を編入。

2005年、旧松江市・八束郡鹿島町、島根町、美保関町、八雲村、玉湯町、宍道町・八束町が新設合併、新松江市が発足。

2011年、八束郡東出雲町を編入、現在に至ります。

マンホールには、塩見縄手のほぼ中央に現存する「武家屋敷長屋門」がデザインされています。

「武家屋敷長屋門」

消火栓に描かれているのは、宍道湖沿いの公園の一角に置かれた、高さ6mの来待石製「青柳楼の大灯篭」、「市の木:松」「市の花:椿」。

「青柳楼の大灯篭」

「市の花:ツバキ」がデザインされたマンホール。カラーはイングリッシュガーデン付近にのみ設置。

市章は旧・松江市制時の明治31年12月20日に制定され、新市章として継承されました。「「松」の字を公木とくずし、これを図案化するとともに、城址. 亀田山にちなみ、外郭は亀田、中は松葉を意味. しています。」HPより

仕切弁には松江城の内堀に遊ぶ白鳥が描かれています。

水道メーターには「市の花:ツバキ」と「市章」がデザインされています。

歩道カラータイルは「松江城」。現存する天守は国宝として、また城跡は国の史跡に指定されています。

松江城の堀をめぐる「ぐるっと松江堀川めぐり」の様子が描かれた歩道カラータイル。

中央に「有線」の文字があるマンホール。電話なのか他の何かなのか不明。

中央に「中国電力株式会社」のロゴマークがあるコンクリート製マンホール蓋。

松江市ガス局のガス・セクターバルブ用の角蓋。

撮影日:2011年5月18日&2013年5月27日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県安来市

2018年06月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

安来市(やすぎし)は島根県の東端に位置し、鳥取県米子市に隣接した市です。出雲風土記に、『素戔男尊』がこの地に来られ「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」といわれたことから「安来(やすぎ)」と命名されたと伝えられています。市域からは鉄製の刀剣、鉄器類が多く出土しており、古くから冶金技術が発達していた雲伯地方一帯の中心都市であったことが窺えます。

キャッチフレーズは「あらエッサッサ~ 民謡・安来節のルーツ 安来市」「~水と緑と文化が調和する健康・交流のまち~」

安来駅前にある正統派「どじょうすくい踊り」の像。

明治22年(1889)、町村制の施行により能義郡安来町・能義村・宇賀荘村・赤江村・荒島村・飯梨村・大塚村が発足。

1951年、能義郡安来町、能義村、宇賀荘村が新設合併、(二代目)安来町が発足。

1954年、能義郡安来町、赤江村、荒島村、飯梨村、大塚村が新設合併、安来市が誕生。

2004年、旧安来市、能義郡広瀬町、伯太町が新設合併、(二代目)安来市となりました。

マンホールには「安来節にあわせてどじょうすくい踊りを踊るオヤジ」がデザインされています。

安来駅前にある「どじょうすくい踊りの親父の顔出し」。これがマンホールの図柄と一番近いかもしれません。

2004年10月1日制定の市章は二代目で、「「安」の文字をモチーフとして、人と自然がいきいきと共存共栄し、舞い躍るイメージをデザイン化しています。 グリーンは自然・発展・調和、オレンジは陽光・人・活気、ブルーは清らかな水・青空を表しています。」公式HPより

昭和29年4月1日制定の旧市章は「「安ギ」を図案化したものです。」

安来市イメージキャラクター『あらエッサくん』。どじょうすくい踊りが得意な小学三年生。『あらエッサくん』のザルの中にいるのは、彼の友達「どじょっこ隊」の一匹だそうです(笑)

撮影日:2011年5月20日&2017年8月9日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。島根県初のマンホールカードは「安来市観光協会」で頂けます。

1998年に設置されたマンホールには、安来節に合わせて「どじょうすくい踊り」を踊る正統派のオヤジさんがデザインされています。

【ももひき姿に絣(かすり)の着物。 鼻あてをつけ、頭には豆絞りの手ぬぐい。そして、腰に魚籠(びく)をぶら下げ、ザルを手にした「どじょうすくい」のオヤジを描いたデザインです。 民謡・安来節に合わせて踊るどじょうすくいは、その名が示す通り、ザルでドジョウを掬う様子をユーモラスに表現した伝統芸能です。 ぬるりと逃げられたり、ヒルにかまれたり、苦労して捕まえるドジョウ。捕まえた時の満面の笑みは、見る者を幸せな気分にさせます。 本マンホール蓋のデザインもきっと、皆さんの心に温もりを届けてくれることでしょう。 どじょうすくい踊りは、安来節演芸館で楽しむことができます。】

訪問日:2017年8月9日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧斐川町(出雲市)

2018年06月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡斐川町(ひかわちょう)は宍道湖のほとりに位置した町です。町域には「龍神温泉」「川中温泉」と並んで、三大美人の湯の一つとされる「湯の川温泉」が有り、また国宝に指定された「銅剣・銅鐸・銅矛」などが出土した国史跡「荒神谷遺跡」の存在でも知られています。「町の木:ヤマモモ」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「未来と古代が響きあうひかわ」

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡荘原村・出西村・伊波野村・直江村・久木村・出東村が発足。

1955年、荘原村・出西村・伊波野村・直江村・久木村・出東村が合併して簸川郡斐川村が発足。

1965年。斐川村が町制を施行、簸川郡斐川町となる。

2011年、出雲市に編入され、出雲市斐川町となりました。

マンホールには、町章を中心に、荒神谷遺跡から発掘された「銅鐸」が描かれています。

荒神谷遺跡から発掘された「銅鐸・銅剣」が描かれた方位版。

農業集落排水のマンホールには、季節風を防ぐために屋敷の周りに植えられた「斐川の築地松」が描かれています。

斐川の築地松は、冬季の北西からの季節風を防ぐ為に植えられたもので「屋敷林・屋敷森」とも呼ばれます。 家の周りに松を植え長方形に刈り揃えた様子は、この地域独特の田園風景を展開しています。

昭和31年(1956)5月27日制定の町章は「「ひ・川」を組み合わせたもので、村章として制定されたものを、町制制定後にそのまま引き継ぎました。」

撮影日:2011年5月17日&2015年4月21日

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「道の駅:湯の川」に併設された「足湯」。誰でも無料で楽しむことが出来ます。 特産品の品揃えも多彩で、施設は明るくて清潔・・と車泊者にはこれ以上無いほど素晴らしい道の駅。
出雲方面に来た際にこの道の駅にお世話になりました事、心から感謝いたします。 車で旅をする者にとってこの様な道の駅は、本当に有難く大切な場所です。

改めてその節には有難うございました。

 

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ご当地マンホール in 島根県旧平田市(出雲市)

2018年06月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡平田市(ひらたし)は島根半島の北西部に位置し、北は日本海、南は斐伊川から宍道湖に囲まれていた町です。「目のお薬師様」として知られる「一畑薬師」を有し、また江戸後期には木綿の集散地としても栄えてきました。今も平田船川沿いには往時の名残を留めた一画が残されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡平田町・北浜村・佐香村、八束郡伊野村が発足。

1955年、簸川郡平田町・北浜村・佐香村が合併して平田市が発足。

1960年、八束郡伊野村を編入。

2005年、旧出雲市・簸川郡佐田町・多伎町・湖陵町・大社町と合併し、出雲市平田町となりました。

マンホールには「ひらた湖遊館 自然へ返す思いやり」の文字と、「宍道湖公園 湖遊館」「ゴギ(岩魚の一種)」がデザインされています。

「宍道湖公園」内に俳人で小説家でもあった『清水基吉』の句碑【 八雲立つ 空より鳥の 来て遊べ  】

昭和30年10月20日制定の市章は「「ヒラ」を図案化したものです。」

消火栓は旧平田町時代のもの。地味ですが貴重です。

撮影日:2011年5月17日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧湖陵町(出雲市)

2018年06月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡湖陵町(こりょうちょう)は島根県出雲平野の最西端に位置した町です。北西部は日本海に面しており、旧出雲市との境にある「神西(じんざい)湖」は、古くは「神門水海(かんどのみずうみ)」と呼ばれ、『大国主命』の妃となられた、『須世理姫(すせりひめ)』の生誕の地と云われています。「町の木:黒松」「町の花:ハマナス」を制定。

旧キャッチフレーズは「ぬくもりのコンフォートタウン湖陵」

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡西浜村・江南村が発足。

1951年、簸川郡西浜村、江南村が合併。簸川郡湖陵村が発足。

1963年、湖陵村が町制を施行、簸川郡湖陵町が発足。

2005年、旧出雲市・平田市・簸川郡大社町・多伎町・佐田町と合併、出雲市湖陵町となりました。

マンホールには「遥かに三瓶山を望む神西湖」と、そこに遊ぶ「白鳥」がデザインされています。

昭和44年11月3日制定の町章は「頭文字の「コ」を円形に図案化したものです。」

撮影日:2011年5月16日&2015年4月20日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧佐田町(出雲市)

2018年06月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡佐田町(さだちょう)は島根県の中部、神戸(かんど)川中流域に位置した町です。町域の大部分は山林で占められており、目田森林公園や飯の原農村公園など、豊かな自然を利用した施設があります。町域には、この地に来て最後の開拓をした『須佐之男命』が、「この国は小さい国だがよい国だ」と言って「須佐」と命名したといわれる地名も残されています。「町の木:赤松」「町の花:山百合」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡須佐村(第1次)、簸川郡窪田村が発足。

1896年、須佐村が分割し、 大字宮内・原田・朝原の区域をもって飯石郡東須佐村が発足。 大字大呂・反辺の区域をもって飯石郡西須佐村が発足。

1953年、東須佐村・西須佐村が合併、飯石郡須佐村(第2次)が発足。

1956年、簸川郡窪田村と飯石郡須佐村が合併して簸川郡佐田村が発足。

1969年、佐田村が町制を施行、簸川郡佐田町となる。

2005年、旧出雲市・平田市・簸川郡大社町・湖陵町・多伎町と合併、出雲市佐田町となりました。

マンホールには、「町の花:ヤマユリ」と「町の木:赤松」、下に町章がデザインされています。(須佐神社近くに設置)

佐田支所前を流れる「神戸川:佐田大橋」には、鮮やかな「町の花:ヤマユリ」のレリーフ。

昭和31年12月21日制定の町章は「「サ」を象徴したもので、佐田村章として制定、そのまま町章として継承された。」

 
佐田支所近く、神戸川と並行して走る県道29号線の側壁にあったレリーフは、出雲神楽ではすっかり定番となった「須佐之男命の大蛇退治」

昭和50年に町の青年団が中心となり、一時期途絶えていた出雲歌舞伎を復活、「出雲歌舞伎むらくも座」として活躍しています。

昭和57年(1982)に発足した「さだ須佐太鼓」。能面を付けて太鼓を打つ、独特の演出が人気です。

「須佐神社」参道にあった「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」十二支の方位版。

撮影日:2011年5月16日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧多岐町(出雲市)

2018年06月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡多伎町(たきちょう)は島根県の中東部、出雲市の最西端に位置した町です。日本海の美しい海岸線に面したビーチは夏には海水浴客で賑わい、また海岸から見る日本海の落日は「日本の夕陽百選」に選ばれた絶景。

町域では全国でも珍しい「蓬莱柿(ほうらいし)」という品種のイチジクが特産品として生産されており、「ヘルシーフルーツいちじくのまち」の看板通り、イチジクを使った商品がたくさんあります。「町の木:ヤマモモ」「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡田儀村、岐久村が発足。

1956年、簸川郡田儀村と岐久村が合併、簸川郡多伎村が発足。

1969年、多伎村が町制を施行、簸川郡多伎町となります。

2005年、旧出雲市・平田市・簸川郡大社町・湖陵町・佐田町と合併、出雲市多伎町となりました。

マンホールには、町内にある「多伎藝神社」の神事「花馬(はなんば)」が描かれています。

「道の駅:多岐」のシャッターに描かれていた、伝統神事「花馬」。

農業集落排水のマンホールには、花馬神事の田植え囃子に登場する『猿田彦』がデザインされています。

花馬神事・田植え囃子の行列で先頭を歩く『猿田彦命』。導きの神とされる「猿田彦」は常に人々の先頭に立たれます。

海辺の町・多伎町の漁業集落排水マンホールには、「日本海の荒波とブリ」がデザインされています。

昭和41年9月30日制定の町章は「円と弧で「和」を象徴し、「タキ」を組み合わせたものです。」

出雲市多伎町多岐にある「道の駅:キララ多伎」。ここは夕日が美しく見えるスポットとして、また運が良ければ「イルカ」の群れが見られる事でも有名。出雲と石見の中間に位置し、近くに日帰り温泉もあり、車泊地としては本当に最高の場所。出雲石見の車泊旅では、こちらの道の駅で車中泊をさせて頂きました。

名産のイチジクはご亭主殿に大好評で、そのままが一番おいしいと(*´꒳`*)。私の一押しは「出雲海鮮たこやき」の「タコ」!「エビ」も捨てがたかったのですが、やっぱりここは「タコ」一択で(笑)

車で旅をするものにとって、このような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました m(__)m

撮影日:2011年5月16日&2013年5月23日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧大社町(出雲市)

2018年05月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡大社町(たいしゃまち)は島根県のほぼ西端、日本海に面した町です。町名の由来でもあり、数千年の歴史を持つ「出雲大社」の鳥居前町として栄えてきました。

また、出雲大社の親神様とされる「日御碕神社」や、島根半島西端に建つ白亜の「日御碕灯台」などを有し、多くの観光客が訪れる事でも知られています。

日御碕にある「経(ふみ)島」は、「ウミネコの繁殖地」として国の天然記念物に指定されています。「町の木:クスノキ」「町の花:菊」「町の鳥:ウミネコ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡杵築町・杵築村・荒木村・日御碕村・鵜鷺村・遙堪村が発足。

1925年、簸川郡杵築町・杵築村が合併、簸川郡大社町が発足。

1951年、簸川郡大社町が荒木村、日御碕村、鵜鷺村、遙堪村と合併、改めて大社町が発足。

2005年、旧出雲市、平田市・簸川郡湖陵町・多伎町・佐田町と合併、出雲市大社町となりました。(読みが「たいしゃちょう」に変更)

マンホールには柱状節理の「日御碕」を背景に、「日御碕灯台」「町の鳥:ウミネコ」がデザインされています。

「世界の歴史的灯台百選」の一つに選ばれた、美しい石造り白亜の「日御碕灯台」。そして、日御碕の「経島」を繁殖地とする「ウミネコ」。海面近くを飛翔する姿はとても優雅です。

昭和36年9月26日制定の町章は「頭文字の「大」を表したもの。」

撮影日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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