車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

桃介橋( ももすけばし ) in 長野県南木曾町

2022年04月26日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

さぁ、いよいよ4年越しの願いが叶った「桃介橋 ( ももすけばし )」の初渡り(笑)。吊り橋大好きのJさんと、まだこの段階では一応!余裕の笑顔を見せる私。

生意気にも(笑)、どこかのお手振りトリオを真似て手なんぞ振ってみたり、その割には随分と腰が引けている私(^^;)

Wikipedia曰く「桃介橋は南木曽町読書にある木曽川に架けられた橋。橋の名は橋の建築主である大同電力社長福澤桃介に因む。桃の橋とも称される。1922年(大正11年)に完成した木橋である。」

「構造は4径間の吊橋であり、橋桁を鉛直方向に吊るとともに、水平方向にも地面からワイヤーで支えた吊り状構造になっている。橋桁トラスは木造で橋長は247.762 mと、木造吊橋としては日本でも有数の長さである。3基の橋脚のうち中央の橋脚には河川敷に下りる石階段が設けられ、川に親しめる工夫がなされると同時に橋脚の安定が図られている。」

ざっと基礎知識はこんなものですが、それにしても大正期の橋なのに随分と頑丈なんだなと思ったら「1978年 - 増水による耐風索破断のため、廃橋の町議会決議を受けてる。」と続き、「しかし撤去のための費用がなかった為に廃橋とはならず、1993年に南木曽町のふるさと創生事業「大正ロマンを偲ぶ桃介記念公園整備事業」の一環として復元され、再び渡河の用に供されるようになった。」・・・いやはや・・何が幸いするやら(^^;)

架橋は発電所建設資材の運搬を目的としていたことから、橋の中央にはトロッコのレールが敷かれていたといいます。復元に際しては、文化財としての価値を残すという観点から、その痕跡を残すようにとの配慮がなされました。橋の中央に黒っぽく見える二本の線は、かってトロッコのレールが通されていた事を伝える意匠。そして御亭主殿が向かう先の青い部分にはは・・・

なんと!実はこの部分にだけ、架橋当初の本物のレールが残されているのです。気が付かなければそのままだったかもしれない歴史の一片を見られて、ちょっと感動(*^^*)

そんなこんなで、目一杯楽し気なJさんと、無事に橋を渡り終える事ができてすっかり魂の抜けた私 (´;ω;`)ウッ…こわかったよ~~

でも渡った橋はもう一度渡らないと、元の場所に帰れません。で・・・へっぴり腰の私、何をしているかというと・・

二人に置いて行かれて半泣きになりながら、橋の上から見る木曽川の写真を撮っているところです。でもこれ以上体を乗り出すと危険が危ないので、これが精一杯。

泣くほど怖いのなら渡らなきゃいいのにって・・そうなんですよ、私もそう思うんです。でも折角憧れの桃介橋まで来たのに、遠くから見るだけなんてやっぱりつまらない・・・と、生意気にも思ってしまうのです(笑)

この恐ろしく(笑)も美しい「桃介橋」、意匠的・技術的に優秀と認められ1994年5月に土木学会田中賞作品賞を受賞、また同12月は、読書発電所施設の一部として国重要文化財に指定されました。

こうして遠く離れてゆきながらも、何度も振り返って見てしまう「桃介橋」。念願が叶ったという事もあってか、私にはことさら美しく印象深い光景となりました。

訪問日:2016年6月19日

 

コメント (1)
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